・「ハレ」と「ケ」という言い方があります。
いろんな説明ができるのでしょうが、
ぼくは、なんとなく「非日常」と「日常」というふうに
ざっくりと考えています。
「ごちそう」とか「夢」とか「恋」とか「劇場」とか、
「祭」とか「ファンタジー」とか「伝説」とか、
「事件」とか「旅行」とか「お客」とか「儀式」とか、
「ハレ」だと思われることも、
指折り数えたらいっぱいあります。
で、そのいっぱいある「ハレ」の、
それ以外はすべて「ケ」だということになります。
とっても、たくさんある「ハレ」は、
数えれば数えられるくらいだから、
「ケ」より少ないということになりそうです。
海には、無数の島や陸地がありますが、
それ以外はすべて「海」です。
「ケ」は、圧倒的に多いのだと思っていいでしょう。
「ハレ」と「ケ」とどっちがいい‥‥という問いは、
あんまり意味がありません。
光と影、右と左、前と後のように、
かならず、どっちもセットであるからです。
その、「両方あるんだぁ‥‥」ということが、
こころからわかっているかどうか、も、
大人であることの資格かもしれないです。
「夢から醒めていく時間」ってやつを、感じられるか。
たとえば、ヒーローが大活躍する映画を観て、
映画館から歩いて帰る道すがら、
さっきまで頭のなかにあった世界がだんだん薄れて、
ただの「いつものじぶん」が戻ってきます。
これを悲しいと思うのではなく、「そういうものだ」と、
味わえたりしたら、それが大人というもの。
逆に、手に入れやすくて便利で清潔なものに囲まれ、
ある意味、とても知的な生活を送っているときに、
「輝き」が足りないかもね、と静かに気づくのも、
大人ならではのことのように思います。
「夢から醒めていく時間」に、
「もののあはれ」が見えてくるのかもしれないな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ニュースのなかの人々にも、夢から醒めていく時間がある。
いろんな説明ができるのでしょうが、
ぼくは、なんとなく「非日常」と「日常」というふうに
ざっくりと考えています。
「ごちそう」とか「夢」とか「恋」とか「劇場」とか、
「祭」とか「ファンタジー」とか「伝説」とか、
「事件」とか「旅行」とか「お客」とか「儀式」とか、
「ハレ」だと思われることも、
指折り数えたらいっぱいあります。
で、そのいっぱいある「ハレ」の、
それ以外はすべて「ケ」だということになります。
とっても、たくさんある「ハレ」は、
数えれば数えられるくらいだから、
「ケ」より少ないということになりそうです。
海には、無数の島や陸地がありますが、
それ以外はすべて「海」です。
「ケ」は、圧倒的に多いのだと思っていいでしょう。
「ハレ」と「ケ」とどっちがいい‥‥という問いは、
あんまり意味がありません。
光と影、右と左、前と後のように、
かならず、どっちもセットであるからです。
その、「両方あるんだぁ‥‥」ということが、
こころからわかっているかどうか、も、
大人であることの資格かもしれないです。
「夢から醒めていく時間」ってやつを、感じられるか。
たとえば、ヒーローが大活躍する映画を観て、
映画館から歩いて帰る道すがら、
さっきまで頭のなかにあった世界がだんだん薄れて、
ただの「いつものじぶん」が戻ってきます。
これを悲しいと思うのではなく、「そういうものだ」と、
味わえたりしたら、それが大人というもの。
逆に、手に入れやすくて便利で清潔なものに囲まれ、
ある意味、とても知的な生活を送っているときに、
「輝き」が足りないかもね、と静かに気づくのも、
大人ならではのことのように思います。
「夢から醒めていく時間」に、
「もののあはれ」が見えてくるのかもしれないな。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ニュースのなかの人々にも、夢から醒めていく時間がある。
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