若い時の時間はゆっくり過ぎる。
でも、やりたいことは山ほどある。
歳を重ねると時間は早く過ぎる。
でも、やることは次第に少なくなる。
若い時は彼女を横に載せてドライブするだけで楽しい。
歳を重ねるとそれが楽しければ家庭裁判所に行かなければならない。
人生には学習の時期、青春、そして壮年と老年がある。
それぞれにそれぞれの時を過ごさなければならない。
老年がその価値観を若い人に押し付けてはいけない。
学習の時期にある子供が老年に勉強を強いてはいけない。
時は過ぎていき、そして人生が終わる。
命は続いている。
人生は一度ではない。命と思いは次世代が引き継いでくれる。
節約は50歳以上の人の好みにあう。
若い人は彼女とのコーヒーを楽しんでほしい。
そして、あまりゴミとか節約とかは考えなくても良い。
それは、私たちがやる。
ゴミが満杯になるというのはウソなのだ。
地球が温暖化して海水面が上がるというのもウソなのだ。
ダイオキシンが猛毒というのもウソだったぐらいだから。
大人は君たちの時間を奪おうとしている、まるで時間貯蓄銀行のように。
大人たちは君たちの心を奪おうとしている。
大人は「大量消費はいけない」と言いながら、「需要の創造」に懸命だ。
「需要の創造」というのは「さらに大量生産する」ということだ。
大人は「ごみ箱がすぐいっぱいになる」と20年前に言った。
でも、まだまったく余裕がある。
リサイクルをしたからではない。焼却したからだ。
大人は「レジ袋をやめよう」と言って「買い物袋と専用ゴミ袋」を買わせる。
その方が「大量生産、大量販売」できるからだ。
先頭に立っているのは日本最大の量販店。
彼らの目標は「さらに売ろう!」である。それには「環境」は使える道具だ。
大人を信じてはいけない。
悲しいが、君たちの先輩はウソつきなのだ。
自分の後を継いでくれる君たちを騙して、自分が儲けたくなった。
お金で価値を測る。
現代という時代はそういう時代である。
気温は上昇している。
でも、環境の破壊は起きない。
海水面は30年で11センチしか上がらない。
海の満ち引きだけで2メートル40センチだ。
サンゴはなくなっていない。
ツバルは沈んではいない。
ホッキョクグマは少なくなるが、アマゾンは栄える。
温暖化とは「ポカポカしてくる」ということだ。
なぜ、大人はウソをつくのだろう?
それには二つの理由がある。
一つは儲かるからだ。
もう一つは、寂しいからだ。
大人になるとさびしい。
彼女はいなくなる。
食欲もなくなる。
笑えなくなる。
だから寂しい。
大人は寂しく、自分を向いてもらいたい。
だから、危険を叫ぶ。
それがウソでも叫ぶ。
海水面が上がるのではない。自分を向いてほしいのだ。
年齢がもたらす悲しさもある。
自分の時間が短くなると、やたらと心配症になる。
お説教もしたくなる。
それには「環境」は良い話題だ。
かくして、ゴミ、リサイクル、ダイオキシン、環境ホルモン、地球温暖化、レジ袋と次々と新手を生み出し、10年で捨てていく。
大人に付き合ってはいけない。
大人の言うことを聞いてはいけない。
もともと、こんな大量消費の時代を作った張本人だから。
大人を信じてはいけない、と辻さんは言った。
大人は反省しよう。
自分の残された時間が少ないからと言って、若者を道ずれにしない覚悟を持とう。
大人は大人の社会を作り、節約し、分別し、電灯を消し、環境税を払おう。
「お前は遊んで来い。俺があとは片付ける」
自分の若い時もそうだったのだ。
スーパーで長いレジにならび、手当たり次第に買ったのは自分だ。
自分には節約を呼び掛ける資格はない。
そして環境も破壊されていない。
心の寂しさを癒すために環境も持ち出すのはやめよう。
どうせ、環境を良くしようと思ったら、給料や年金を半分にしてもらわなければならない。
その覚悟はない。
お金があって環境に良い生活などできるはずもないのだ。
私たちは原罪を背負い、なにもできない。
でも、幸い、もう30年もすれば石油もなくなり、温暖化しようにもできなくなる。
若い人に節約させても30年が40年になるだけだ。
そうなら、その判断は若い人に任せよう。
私たちは事実だけを伝えれば良い。
リサイクルは消費を増やすことだと・・・
レジ袋を嫌うのは買い物袋と専用ゴミ袋を買わせるためだと・・・
ダイオキシンは脅してお金をもうけたかっただけだと・・・
海水面は11センチしかあがらないと・・・
でも、
日本には食料がないこと、
日本にはエネルギーがないこと、
それには私たちはなにもやってこなかったこと、
それだけを伝えれば良いと思う。
おわり
武田邦彦
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