“学習性無力感”が蔓延する職場に未来はない!
閉塞状況を破る「賢いポジティブバカ」のつくり方
――処方箋⑧部下のヤル気を奪う「暗黒フォース型上司」になるな
こんな不景気で何をやっても無駄
日本社会に蔓延する「学習性無力感」
「色々やってもね、結局無駄なんですよ、今は不景気ですから」
先日、某企業の営業の方から聞いた言葉である。
「こちらが提案しても、上が保守的で、結局何にも変わらない。公務員だからしょうがないのでしょうか」
こちらはある国家公務員の方の言葉だ。
「これで70社にフラれました。さすがにここまで来ると凹みますね」
就職活動をしている某一流大学の学生のセリフだ。
これらの言葉に共通しているのは「無力感」だ。自分だけがあがいてもしょうがない、ヤル気を見せても報われない。ならば、何にもしない方がいい。新しいアイディアなど出さず、余計なこともせず、無事にお給料をもらえればそれでいい。就職もせず、引きこもって、当座はしのいでいればいい――。
今の日本には、こんな「無力感」が蔓延しているように感じる。なぜだろうか。
心理学の有名な研究に「学習性無力感」と呼ばれるものがある。無力感を学習するのである。無力感は実は学習されるのである。
たとえば、ネズミを檻に入れておく。檻には仕切りがあって、2部屋になっており、仕切りを飛び越えれば隣の部屋に行くことができる。ここで片方の部屋の床に弱い電気を流す。これはネズミにとっては不快なので、ネズミは走り回ったあげく、隣の部屋へ移る。隣の部屋には電気は流れていない。
これを繰り返すと、やがてネズミは電気を感じると迷いなく隣の部屋に移るようになる。自分にとって利益になる行動を「学習」するのだ。
そんなネズミに、今度はどちらの部屋にも電気を流すように条件を変えて実験を行なう。つまり、隣の部屋に移っても不快な状態が変わらないようにするのだ。
これが続くと、やがてネズミは移っても無駄だとわかり、電気刺激を与えても動かなくなる。ネズミは「やっても無駄」という無力感を学習してしまうのだ。
そしてその後、当初のように隣に移れば電気刺激を回避できるような条件に戻す。しかし、無力感を学習したネズミはもう以前のように隣の部屋に移ろうとはしなくなり、「ひきこもり」となる。
このように、体験から学習された無力感を「学習性無力感」「学習性絶望感」という。
ネズミだけでなく人間も同じこと
無力感に囚われるとチャンスを逃す!
学習性無力感は、人間にも当てはまることが多い。「どうせやっても無駄だからやらない」というのは、勉強、スポーツ、仕事、ダイエットなど社会生活の様々な場面で聞かれる。冒頭の言葉を発した人々も、学習性無力感に囚われている。
学習性無力感自体は、実は意味のあるものだ。「コストをかけてまで無駄な努力をしない」というのは、個人の中では合理的だ。
ただし、それが合理的なのは、本当に何をしても無駄な状況の場合である。社会環境は刻々と変わる。本当にチャンスが来ても、無力感を持ったままでは動けない。
今の日本の社会や職場の状況を考えると、確かに無力感をもってしまいやすいだろうと思う。しかし本当に重要なのは、何かチャンスが巡ってきたときに、それをつかむために無力感に陥らないことだ。
では、どうやったら無力感に陥らずに済むのか。
これまでの研究では、非常にポジティブな思考を持った人は、無力感に陥りにくいことがわかっている。いわゆる「ポジティブバカ」だ。
ポジティブバカの人には、利点と欠点がある。利点は、無力感に陥らないため、チャレンジ精神が旺盛で、性格的にも明るい。これは周囲にもいい影響を与えることが多い。
しかし、ポジティブバカの最大の欠点は、無力感だけではなく、他の多くのことも学習しない場合が多いという点だ。無力感を学習しないということは、そもそもの学習能力も低い可能性があり、そのため同じ失敗を何度も繰り返したり、同じ人を同じことで何度も怒らせたりしてしまう。職場では、「同じ失敗を繰り返す無能なやつ」というレッテルを貼られてしまう。
逆に言えば、学習能力の高い人は無力感も学習しやすく、落ち込みやすい。それが仇になって、学習性無力感に陥りやすくなるのだ。
無力感を学習すること自体は有意義
学習する「ポジティブバカ」になれ
この無力感への対処法には、2つある。個人的なものと対人的なものだ。
個人的なものは、「心の中で自分の失敗を状況のせいにして」「学習するポジティブバカ」になる、ということだ。
時々、欧米人労働者に対する不満として「自分の失敗を人のせいにしたり、環境のせいだと文句を言う」といった話を聞く。これは、彼らが自尊心を守り、無力感に陥らないための防衛策なのだ。ところが、日本ではこういう「言い訳」は見苦しく、社会的な評価も低くなってしまう。
かつては、こういう落ち込みがあったときには、自分を慰め叱咤激励してくれる上司や同僚が数多くいたが、今の雇用状況ではそういう人が少なくなっている。落ち込んでも相談できる人は少なく、無力感からの回復は難しい。
ならば、欧米人と同様に「人や状況のせい」に「心の中」でしておくべきだ。自分のメンタルな健康を守るためには、その方がよい。表に出せば自分が不利になるので、出さない方がいい。
しかし、そこで重要なのは「学習する」ことだ。人や状況のせいにするならば、その人や状況が変われば、自分は失敗しないはずである。人や状況のせいにするのは構わないが、考えるべきはいかに自分が失敗しない状況に持っていくか、そのための方策である。そのような方策について、常日頃から能動的に考える癖をつけることが重要だ。
「学習するポジティブバカ」とは、聞こえはあまりよくないかもしれない。だが、私がこのコラムで常々述べている「これからの日本社会のあるべき姿」にとって、このメンタリティは重要だと思っている。
ポジティブバカになるには、常に「自分はやればできる、それをいつか証明する」と考えていることが重要だ。しかし冒頭のセリフのように、頑張っても報われないことが多いのが現実だ。だから、前向きになれるもの、なれることを探しておくことも重要となる。
小説を読む、散歩する、カフェでお茶
「ポジティブになれる刺激」を用意せよ
そのためには、自分をポジティブに考えられる刺激を用意しておくとよい。たとえば、好きな小説や映画だ。私は落ち込んだときには、村上龍氏や舞城王太郎氏のお気に入りの小説を読むことにしている。彼らの小説にある過剰な攻撃性や全能感は、自分のポジティブを刺激してくれる。
カルトにハマらなければ、自己啓発本も良いと思う。それで自分が元気になれるならば、基本的に何でもいい。
何か儀式的なものを自分で決めておくのもよい。私の場合は、自分の気に入った神社や寺に行き、心を鎮めながら参拝し、周囲をゆっくりと散歩することにしている。
べつに、神社や寺などである必要もない。気に入ったカフェでコーヒーを飲むとか、居酒屋で決まったメニューを頼むとか、バーでとっておきのお酒を飲むとか、自分をポジティブに捉えられる手助けになる場所ならば、どこでもよい。
しかし、このような刺激や場所に依存してはいけない。特にカルト宗教などは、いくらメンタルヘルスのためには良くても、「それがないとポジティブに生きていけない」という状況になってしまっては意味がない。あくまでそういったものは、「無力感に陥りそうなときにだけ使う薬」と位置付けるべきである。
ただし、前述の個人的な解決法は対処療法に過ぎない。無力感が学習されるものならば、本当に重要なのはそんなものを学習させてしまう環境にある。ネズミが移動しても変わらずに電気刺激を受けてしまう状況こそが、問題の本質だ。
もしあなたが管理職ならば、自分の部署をそのような「無力感生成所」にしないようにすることが重要である。
拙著『フリーライダー』で詳しく述べているが、そのような無力感を生み出す「暗黒フォース型上司」について取材したことがある。
無力感を醸成する「暗黒フォース型上司」
勘違い部下のヤル気を見守る姿勢も大事
暗黒フォースとは、スターウォーズに出てくるセリフからとったものだが、その名の通り、無力感という暗黒フォースを使い、部下や同僚を無力感に陥らせてしまうものだ。
新しい提案や改革案について、文句ばかり言い、良い部分よりも悪い部分ばかりを気にかけ、せっかくヤル気のある若い社員にどんどん無力感を与えていく上司だ。このタイプが問題なのは、その上司の下で無力感を学んでしまった部下が、将来また同様の暗黒フォース型上司になってしまうという点だ。
ここまで極端でなくとも、いわゆる「ことなかれ主義」の管理職はこのタイプに近いと言える。往々にしてこのタイプの管理職の下では、部下は新しい試みやチャレンジを諦めざるを得なくなるからだ。
したがって、部下に無力感を与えないためには、少なくとも以下のことが必要となる
・ヤル気と能力は別に評価し、基本的にはヤル気は常にポジティブに捉えてやる。
・失敗はきちんと本人に分析させる。状況や他人のせいにしても、頭ごなしに否定しない。本人に無力感を与えると感じるならば、多少間違っていても、そのままにさせておき、状況が改善したらどのように実力を発揮できるかを表明させた上で、実行プランを一緒に考える。
重要なのは「俺は(私は)もうダメだ」という方向にはもっていかないことだ。現在の部下の失敗を見て、「お前はもう将来もダメだ」といったフィードバックは、最もやってはいけないことである。
そのためには、部下が多少間違った思い込み(自分の失敗を状況のせいにする)があっても、むやみに矯正せず、次の仕事へのモチベーションを優先することも、時には必要となる。社員教育とは、学習させることだけではない。
現在の日本の社会や経済の状況を考えると、多くの人にとって、ここしばらくは無力感との戦いになると思う。無力感に打ち勝てる人が少しでも増えることを願っている。