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株式会社阿蘇熊牧場 代表取締役社長 小笠原 徹朗【その2】  (2010年12月28日)
株式会社阿蘇熊牧場 代表取締役社長 小笠原 徹朗【その2】

どんな素人でもやろうと思って本気でやればできるんだ。

ー3ヶ月間で熊の飼育の仕方とか、耳元で囁くような…

 何ができるもんか、そんなこと。
 要は人間ね、どれだけ真剣にやるかだよ、本当にやる気をもつかだよ。どんな素人でもやろうと思って本気でやればできる。中途半端で真剣になっていないだけなんだよ。
 3ヶ月で何がやれるわけじゃない、だけど、3ヶ月しか時間がないんだ。(「阿蘇くま牧場」開業予定から)逆算すると。開発して、5月オープンという予定だったけど、2ヶ月ずれて7月オープンになったんだよ。オープン時期の昭和47~8年ってちょうど、オイルショックの時なんですよ。何もかもないんだ。コンクリートパネルもなければ、固まらないセメントが台湾から来たり…塩ビ管がないんだから。そんな時期ですよ。コンパネをそこに積んでいたら、車一台分ごっそり持って行かれたりね。
 岩だらけでね、ここは。採石場のあとだから、57号線をつくるときに路盤材で全部この辺の火山礫を出したんですよ。57号線の下は全部、阿蘇の火山礫が埋まっている。かみ合わせがいいしこれは水はけがいいから路盤材にもってこいなんだよ。沈まないし。


ー(阿蘇の地の利を)そこまでお父様はご存じでいらして?

 知らないでしょう。阿蘇にね、これだけお客が来るということも知らない。阿蘇は活火山で、火口見学に来る人がこんなにいるなんて知らなかった。それでも何だか、あそこいいなと…。「気候が涼しそうだし、熊にも良さそうだし、紹介してくれた人も良さそうだから、あそこにすべ!」ってそれくらいのもんだったんだよ。
 例えばね、富士・箱根・伊豆と瀬戸内海と、宮崎の日南と、天草と、阿蘇。(幾つもの候補の中で)なんで阿蘇に決まったかというと、阿蘇が一番人の縁がよかったから。それだけですよ。やってみりゃ、だんだんわかってくる。「え!?ここは観光地じゃないか!」と。当時で600万人来ていたからね。


ー始めた当初からお客さんも入りも良く?

 そうです。父が社長の間は赤字のない会社でね、私が社長になった途端に赤字を喰らわしたりしてね(笑)。父の時は無借金経営で。


ー時代もありますよね。

 うん。そんなもんですよ。



※muchcolor11月号の取材内容をもとに、再編成しています。
Interview&Text by mayumi.kinoshita

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