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秋田市太平山で 長年、ツキノワグマを観察している方からの情報(2012.7/25)
『ヤマザクラは大豊作。ミズキは不作(昨年大豊作)、
 ドングリ類は不作(昨年豊作、藤倉周辺)、クルミは場所により豊凶混在、ブナは凶作、
 クリの花は、かってないほど豊富で大豊作が予想(県内至る所される)』
この状況は2001年の餌状況と類似している。
このことから里の山に餌が多い、奥山との、なり具合の偏りによって秋にはクマが里山に移動
、駆除個体が太っている肥満型出没となり、中規模出没でありながら
駆除制度の欠陥から大駆除になりやすい状況のようだ。
「ブナが凶作だから出没」ではなく里山に餌が多いから、と言えるものです。

今回の八幡平クマ牧場での脱走と飼育員の死亡事件について(2012.4/25)

飼育クマが脱走する例は140年近く前からある。(読売新聞より)

1875年7月  東京両国で見世物小屋からクマが脱走し大騒ぎ
1875年8月 岡山県で飼育クマが鎖を切断し逃走、怪我人多数 
1890年11月 東京日本橋でクマが脱走し大騒ぎ
1936年6月 東京豊島でクマが脱走
1936年5月 東京大島でクマ2頭が脱走
1965年8月 北海道登別クマ牧場で16頭が脱走、10頭射殺、6頭捕獲

檻飼いのクマが人を咬む事故も多発

1958年5月静岡掛川で幼児が咬まれた
1960年10月 東京大島の動物園で少年、少女が咬まれた
1960年4月 静岡天竜でサーカスから逃げ出し少女を咬んだ。
1961年9月 三重新宮の遊園地で二日連続で子供が咬まれた
1973年5月 鳥取倉吉 園児、腕をガブリと
1976年11月 盛岡の住宅地で飼い主をガブリ

動物園での事故も多数ある

1962年6月 長野上田城の動物園から脱走、刑事31発 発砲射殺
1971年5月 北大植物園でクマに幼児が腕を咬まれて切断
1971年12月長野県で飼育係りが咬まれて死亡
1974年11月 福島郡山で少女の腕を咬み切る
今世紀、日本各地の動物園で飼育員がクマに襲われて死亡している。
飼育クマにより死亡事故は、ざっと20名近くはある。

個人が猛獣を飼育を行うのは反対だ。
生態と、動物の能力を知悉せずに愛玩的熱狂で飼うのは油断に陥る。
設備は貧弱に劣化しやすく監督官庁の検査を、素通りしやすい。
観光客が飢えさせたクマに餌を与えて、夢中で芸様の手招きをさせて喜ぶのは
野生の尊厳を踏みにじり、クマを常に飢餓状態に置くのは脱走を誘発し来園者に重大な危害を与え易い。
 来園者が与える餌は、牧場側が販売している餌ばかりではなく手持ちの菓子的には餌が多く、栄養が偏り易い。
経営者が短期間で代り責任の所在が有耶無耶で、経営方針も利益優先で
クマの健康、来園者の安全が疎かにされやすい。
クマ牧場についても春グマ狩りや有害駆除で母熊が殺されて残存した子グマの収容先になりやすく、有害駆除などに歯止めを、かけられなくする施設だ。
官営クマ牧場については①学芸員②飼育研修を受けた飼育員③脱走を防ぐ施設④適切な運営などを整えているか監督官庁は指導しなくてはならない。
今回の事件は経営者の素質が欠けた問題だった、と思う。

 ゴビヒグマに関して近況。(2012.4/8)

モンゴルの若い研究員

2012年4月2日
ゴビへの途中は渡りのツル類が溢れていた。
ゴビの、まっ只中、気温28度、夜は零下8度
私の右隣はゴビ管理事務所の若い研究員  素朴、ゴビの大樹トーレ(胡楊)のような男
ゴビには時々、飛行場のような堅い平面が数キロも続く。細かい粒子の黄色の粘土状。

その2
ゴビは必ず四駆車の重連で行く ロシア製の小型4輪駆動バスのポリゴンとワッズ
ゴビの行程中 両車を満タンの上、ガソリン12缶を積載する。
車内は爆弾を背負っているような異臭に満たされる。

その3

両車とも故障し易く、修理し易い砂漠適応車。
ポリゴンはスプリングのゴム交換中、ワッズはオバーヒートで常にキャップを外していて
15分毎に給水する

大出没した昭和28年秋に新聞に載った名文。(2011.12/28)

「クマと出くわしたら騒いだりせず、付近の窪地へ素早く伏せ、
 とくに顔を地面に、へばりつけ静かに息を殺していると
 クマは一応、背中を、なでる程度で危害を加えず、
 しばらくすると行き過ぎると言われている。
 これを『クマのささやき』という」

クマは、何が何でも強襲して来るものでは無い。
中には、人にオンブして無傷、3人に連続して後ろから抱きつき擦過傷一人、二人無傷などがある。
 最初の小さなクマの手出しが「ささやき」で、そのあと被害者が、どういう対応を取るかで重大事故へと拡大するか、その軽減法を私は近年、自然遭遇事故例 (駆除、狩猟事故を除く)1524例、1863人からから探っている。

ツキノワグマとの遭遇での対処法での『死んだ振り』は悪い方法ではない。(2011.10/26)

 昭和23年以降の自然遭遇(駆除、狩猟事故を除く)での約1500件、約1800人ほどの事故で特に女性の事故で驚いて逃げようとし て、うつ伏せに転び(結果的に死んだ振り)、意識的に死んだ振りをしたとされる例が実に多数あるが、これは女性が無意識的に顔を守る動作だ。
 過去には20歳、17歳、13歳とか(幼児の死亡も多発)の若い女性が顔を、ズタズタ(新聞表現)にされているが、その後の人生の質を大きく落とすこと になる。
女性は頭部を両手で防御して耐えることが良い。
 男性でも転ぶ率が高く、人間は山野では情けないほど転ぶ動物だ。
 ナタで打つのは、熊の爪が届く範囲だ。
反撃することは熊の攻撃意欲を高めているようなものだ。
 攻撃が不可避で手に鈍器を所持していたら直接クマを打たなくても振って、自分を大きく見せることは効果がある。
 過去には自転車を振り回した、スコップとピッケルを打ち鳴らして2時間、クマと対峙して無事だった父娘、回転椅子を振り回した、などがあり持っていたら スコップが最良。
クマに、もはや襲われているのなら

(1)ばかやろう、と大声をだせ

(2)手でも、ザックでも何でも振り回せ。

(3)クマと離れて決着をつけろ

(4)クマとダンスをするな(長時間、クマに拘束されるな)

(5)最後は死んだふりと同義の首を両手でガードして体を丸めて地面に、うずくまる。
 

 「突如、クマと遭遇、即、軽い攻撃を受けて倒れて死んだ振りが多数、存在し、5分、10分後に静かになったので立ち上がったらクマが 跳んできて再攻撃、重傷」となるケースもあり、怪我を軽くする示唆がある。
また軽い攻撃の後、死んだ振りをしている人の背を踏みつけて去ったり、両前足を、どんと置いてから去る例があり、優位性を確かめさせて、立ち去ってもらう のがよい。
つまり避けられなかった軽い負傷(とはいっても全治10日とか2週間だが治療後、翌日には立って憤慨を述べているものだ)は、どうにもならないが、次の強 力な攻撃を、どうかわすかだ。
それが(1)~(5)だ。
初撃を、いきなり頭部、頸部に受けて重傷、重篤化する事故は、どうにもならず、入山する人は、せめて五秒前にクマを察知する意識を持って対処し、初撃を頭 部に受けるな。
攻撃され気を失い30分後、3時間後、4時間後、6時間後に発見された人がいる。
山奥に入る人は治療地点が遠く出血多量になりやすい。
だから複数人で入山することだ。
熊は血にこだわる、その点でも出血多量は避けることだ。
さて「秋に向かって事故が増える」とする言葉が見えるが、昭和20~40年代を総計すると正確にM字型に事故は発生し7、8月に大きく下がる。
つまり事故は初夏と晩秋に多くなるのだ。
近年20年の総計となると、初夏分が低いM字型になる。

イノシシの出没について(2011.9/17)

当地にイノシシの出没が、ほとんど無し。
私が、この地に来てから初めての経験。
昨年の猛暑でイノシシの出産が減少して繁殖しなかったこと
ドングリ類が豊作なことで山奥にいるのではなく
海辺に近い旧佐伯町、大野町、方面で停滞していると思われる。
同様にツキノワグマも出没が極めて少なく、
昨年の凶作に加え猛暑で繁殖が下がった
影響で出没が減少しているようだ。

2011年 度 西中国山地堅果類豊凶調査結果と出没予想(2011.9/10)

2011西中国山地堅果類調査結果

(1) ツキノワグマの食餌果実の豊凶状況
ブナが凶作、ミズナラが並作の下の状況。
野生のシバグリとコナラは豊凶に、ばらつきがあるが並作から豊作。
全体的には食餌果実は十分と思われる。
栽培クリは並作から豊作
ミズキは並作以上、クルミは並以下
ウワミズザクラが並作の上
柿は並作から並作の下に推移している。
南西部(旧吉和、旧六日市、旧錦町)地域では、ハイイロチョッキリによる果実の付く枝の先端部を切り落としが広がっている。

(2) 出没予測
西中国山地中央部での食餌果実の不足が生じており、周辺の里山への中規模な移動が、
予想される状況であるが、昨年の大駆除で個体数が減少しており
大きな出没は、この秋には生じないだろう。

  2011年9月9日
NPO日本ツキノワグマ研究所

 

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●更新履歴●

 

~共生への理念~

 クマを、この日本から駆逐するのか残すのか。西日本では駆除が進行して危険な状況になってきました。
クマに存在理由を与える必要はありません。私は次の理念により共生すべきものと考えます。
『クマと「自然の森」と「そこに住むあらゆる野生生物の豊かな生態系」は同義語です。即ち、クマを守るためには森全体の保全が必要なので、従って、クマが 守られれば全てが守れるではないか』単なる除去論は21世紀の地球人が目指そうとする野生動物との共存理念に逆行するものです。
欧米人は日本を「公害まみれの工業国」と思っているだろう。イギリスには移入された鹿とアナグマしかいない。仙台、広島、札幌。百万都市にクマがいる国は 日本だけだ。世界に冠たる日本の自然環境を誇るならクマと共存するべきだ。「クマは世界に誇る日本の宝」だと、われわれ日本人だけが、その事に気がついて いないのではないだろうか。クマ(森)との共生という思想は、縄文以来の日本古来の伝統文化、そのものではなかったか。
日本が21世紀、世界に尊敬される国になるためには、クマ、森、自然との共生が全ての出発点・転換点になる。森を殺してクマを殺して、それで日本の素晴ら しい伝統である自然と共生する文化を訴えられるはずがありましょうか。

◆活動履歴◆
1948年 青森県生まれ。秋田大学教育学部卒。
秋田県立鳥獣保護センター奉職後、秋田県生活環境部自然保護課勤務。
1986年以降、ツキノワグマの研究に専念し、1989年広島県にて日本ツキノワグマ研究所を設立。
2001年に特定非営利活動法人認可。
「野生の王国」「宇宙船地球号」など数々のテレビ出演や「クマ追い犬タロ」「ツキノワグマのいる森へ」など多くの著書を出版。
▼リンク▼
アウトバック クマ被害防除資材・アウトドア用品販売
     
紀伊半 島、ツキノワグマと照葉樹林 吉澤氏サイト 主にクマ写真  

   
ツキノワグマ痕跡写真集
当所に在籍していた藤田昌弘のサイト クマ写真など

特定非営利活動法人 日本ツキノワグマ研究所 理事長 米田一彦
〒738-0301 広島県廿日市市吉和1107-328 TEL/FAX (0829)77-2080

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