「旅」とは、

「旅」とは、「5%の努力と、5%のお金と、90%の人々の優しさ」


出来ないなんて理由はいくらでも見つかります。でもその理由なんて挑戦しないための言い訳にすぎず、実はたいしたことでもないんです。男なら誰しも冒険したい、旅に出たいと思っている。そう信じています。こんなひ弱な日本男児でも、お金がなくても、飛行機に乗らなくても出来るんだ?!

そして、shrinking the world. 世界をもっと身近に、小さくし、

this world is smaller than we think. 私たちが思っているよりこの世界は小さいんだ。ということを証明してきます。


ボランティアをしながら世界に笑顔を届ける - 【看護師Keiの自転車世界一周の旅】×【助け合い】 ★現在挑戦中です!


(中国武漢で自転車が盗難に遭いましたが市民数万人の皆様のお陰で取り返し、無事旅を続けています!!)

2012年9月17日月曜日

ー襲われる・・。ー


細心の注意を払っていながらも、
ついに僕も大勢の男達に囲まれ襲われました・・。

武漢からきて一緒にボランティアをする友達と、ホストの家の娘さんと3人で夕食を終えた帰り道。店を出ようとすると外にはすでに男達が20人くらい見えました。少し暗く細い道。何か暴言を吐いている。
友達はすぐに店主に一緒に付き添って店を出てくれるように頼み一緒に出るも、すぐに取り囲まれた。足早に歩くも腕を掴まれ、服を引っ張られ、行く先を塞がれた。友達二人は取り囲まれながらも「彼は日本人じゃない!韓国人だ!」と繰り返し叫んだ。僕も同じくそう叫ぶも、相手はそんなのお構いなしに体当たりしてくる。友達の一人が叫びながら僕の腕を掴み狂気の男達の間をすり抜け連れ出してくれた。しかし男達はまだ追ってくる。110にかけて警察を呼ぼうとするも、自動音声案内が流れてきて話しにならない。夕食の前に中国最大のウェブサイトの一つSohuの取材を終えたばかりだった僕は着歴の一番上にあったその電話番号にかけた。情況を伝えながらも早足で追っ手から逃げ、なるべく歩行者が多い場所を歩く。友達が電話で家族に助けを求め、母親が電動バイクで救助しに駆けつけた。飛び乗った。その時点でレストランが多い賑やかな場所におり、追っ手は立ち止まり遠くから見ていた・・。

実は明日(17日早朝)、同じく自転車で世界一周を目指す日本人、遠藤さんがはるばるベトナムからバスで戻りこちらで合流し、一緒にその日の夕方の列車で被災地に向かう予定でした。


しかし、18日の大規模デモ前に痛手をくらい、19日まで身の安全を確保することにしました。もう外に安全な場所なんてありません。北京から今夜の飛行機で記者が飛行機でこちらに向かい、こちら地元の記者と共に守って頂く事になりました。被災地まで特別なバスを用意して頂き一緒に向かう予定です。

weiboに一言情況を書いたところ。2時間足らずで1万件もの励ましのメッセージをもらいました・・。暴動を起こす中国人に対し、同じ中国人も怒っているのがわかります。

事件のあと、正直すごく悲しい気持ちになりましたが、

多くの支持者と共に諦めずにこの薬を送り届けます!!





facebook: (keiichiro kawahara,河原啓一郎) http://www.facebook.com/coucou.kei

2012年9月16日日曜日

絶対負けない!2



80kgの荷物を一人で抱え46時間・・ついに貴州に到着。
 ぎゅうぎゅう詰めに人がごったがえす階段は泣きそうになった。

皆僕にぶつかり通り過ぎて行く中、一人の優しい男性が助けてくれた・・。

 デモは毎日各地で行われ日本製品や店は盗難に遭い、日本車は次々破壊され火を放たれ路上に放置されてる。暴行に合っても誰も止めない・・こんな地獄のような光景初めて・・。本当にここは中国なのか。

でも、僕には届けなきゃいけないものがある。

”今”だからこそこのアクションが必要なんだ。



でもどうしよう。
すごい・・!!人々からの支持が!!電車降りて協力者の家に着いてみたら一日でメッセージが10000以上来てて、数何万件・・ネットが炎上してる。嬉涙!

絶対負けないぞ!



人々の声をたどってみたらこんな記事にたどり着いた。
 これによって少し風向きがかわることを祈ります。



贼们日系,去日本料理店闹场吃霸王餐的同,那位曾经丢了自行的日本青年@河原启一郎 着大量品和生活用品去云南地震灾区帮忙去了。

(翻訳:「愛国者が日本の車を破壊したり日本料理店(日本人)を襲っている一方、自転車を盗まれ見つけた日本人青年は大量の薬と支援物資を持って雲南の被災地へ援助に向かっている。」)


これに対しネットの反響は、


「日本人は元々嫌いだったけど、見方が変わり好きになりました。」


「政治と民は別!日本人にもいい人はいます!」


 「暴動に参加している人。恥を知り、落ち着きなさい。」


「戦争なんてしたくありません。」


「本当にありがとう!」


「感動しました!」

「政府は暴徒化した人々を止める気はありません。和平を訴える場所がありません。皆目を覚ませ!」


「一部の人の失礼な事件、本当にごめんなさい。」

「彼を見なさい。暴力だけに走るあなたたち、本当にそれは愛国なのか?」

「あなたも命を落とします。」

「身のため、中国から逃げるべきです。さもなければ細心の注意を払ってください。」


「優しさに国境はありません。」

「日本人はこんな情況なのに、ありがとう!!」

「日本の友達!私たちがついてるよ!」

「この事を知って涙が出ました。」


 「一緒に頑張りましょう!!」


色々な形でシェアされ今数万件は確認できました。全ては読めていませんが9割以上が反日に関係のない言葉(感動・感謝)のようです。治安は悪化するばかりで留まる目処は全く立ちませんが、彼ら善良な人々がいる限り中国と日本には希望が見えます。


心は心でしか動かせない、そんな気がします。



誰かがtwitterしたもの:
https://twitter.com/ny_Louis_chen/status/246725612587347968/photo/1

自己weibo(sina)
http://weibo.com/u/2625543113

Facebook:
http://www.facebook.com/coucou.kei



国営ラジオで中国全土に僕のメッセージが流れます。ました?

心无国界,
一起加油!

kei

2012年9月14日金曜日

ー皆の想いを乗せた列車で46時間、雲南地震被災地へー

※重要事項記載(一番下)
写真:東日本大震災



慌ただしい日々が続く・・。
世の中は一連の国際問題に盛り上がりを見せ、最近その圧力が次第に強くなっている事が感じられる。以前より風当たりが強くなった。
日本の百貨店や家電売り場からは日本製品が下げられ、これまで普通に商店で買い物が出来ていたのに、どこの国だと聞かれに日本と答えると「日本人は嫌いだ。」と面と向かって言われる。先日はアメリカで生まれた日本人国籍を持つ友達が他の外国人とレストランに入った際に、同じ質問に日本人だと答えると即「出て行け!」と言われた。省政府の教育部門からも「日本人教師は市内を歩かないように」との昨日注意喚起された。デモは毎日のように各地で続く。今月18日には「特別な日」という事もあり、大規模なモノが各地で起こるのは確実だ。

昨日今日だけでも上海や北京で相次いで日本人が暴行を受けて負傷者が増えて行くばかり。何の罪もない、食事をしていただけの日本人旅行者でもだ。

肩身が狭いにも程がある・・。

実はブログの内容は山西省に入るあたりで止まっているが、Shaanxi省西安に到着してからもう一ヶ月が経とうとしている。
西安では孤児院などの福祉施設でのボランティア等、また色々な出来事があり、それはまた後々時間があるときに書きたい・・。

とにかくここ最近は急に忙しくなった。
講演会に呼ばれ再び河南省南陽市に電車で戻るが日にちがずれ開講日まで時間ができた。西峡という予てからずっと行きたかった綺麗な山に登山に数日出かけ、その後武漢がそれほど遠くない事に気づいた僕は少し武漢に戻る事にした。今ではもう第二の故郷と呼んでも相違ないくらい忘れられない場所、武漢へ。

懐かしい友達との再会や夕食会に顔を出す。それもつかの間、武漢に着いた日の夜、友達の家で皆集まった時、テレビに映る衝撃的な映像が目に焼き付いた。それは今からちょうど一年半前、日本の東北で起きた地震にそっくりだ。倒壊した家々と、避難する何千何万もの人々、これは過去の災害を収録したものだろうか。最初は単純にそんなふうに考えていた。
でもそれはすぐに中国雲南省の映像で、それも同日の出来事だとわかった。

その時点では死者80人、避難民3000人、その数日後、被災者の数だけで70万人と報道された。場所は雲南省、四川省、貴州にまたがっており、山岳地帯で人口は多いが都市とは呼べない村々が点在する場所だ。中国での地震と言えば2008年の四川大地震が記憶に新しい。

ある人は、
「四川(の地震)に比べたら大した事ないよ。今回は小さいから大丈夫。」

そういって重くは受け止めず、世間話にもメディアにも大々的には取り上げられていない。それよりも連日テレビと紙面を真っ赤に染める日中関係の報道のほうが遥かに遥かに遥かに多い。

僕はそこに問題を感じてならなかった。

政治関連のニュースの裏に本当に報道されるべきものが隠れてしまっている。他にも様々な問題があると感じる。まず人々の関心が全く変な方向に向いてしまっており雲南地震がすごい速さで日々過去のものになりつつある。「震度5」という「数字」からかつての四川大地震と比べて重く見られていない。中国の建築技術は全く耐震構造が度外視されており、ほとんどが「レンガ」を積み重ねて壁板を貼りつけ、塗装しただけの「見かけ上強そうなビル」ばかりだ。特に貴州や雲南などの中国でも経済的に貧しい地域ではみるに耐えかねない、まさに童話「三匹の子ブタ」に出てきそうな三種の家が多い地域だ。

僕の誕生日会を企画してくれた中国の建築士の友達は、こう言う。

「日本のような活断層が少ない中国は地震とは歴史上ほとんど無縁な地域が
多く、耐震構造は視野にいれていない。建築のスピードとローコストが最優先。だからもし小さな地震が起きでもしたら・・・。」

優しい彼は、その現状にため息をついていた。

義援金に関しても問題がある。繰り返される中国赤十字(China red cross)の義援金横領や賄賂などの汚職に国民の信用はもうほとんど0ゼロに近いと言っても過言ではない。地震の報道を聞いた善意ある人々は募金をしたいと声を上げるがその一番の窓口となる赤十字の信頼が失われた今、それに連鎖して募金自体に不信感が生まれ他の団体にすら募金が集まりにくい情況になってしまった。

僕に出来る事は何か。
少し悩んで、出た答え、

「行く。」

こうして悩んでいる間にも雨が降り続く寒い山間地では数千人の人々がテント生活を強いられている。日本のように避難できる体育館や、ドームなんかない。大きな建物が合っても倒壊の危険があり外での生活を強いられている人々ばかりだ。

しかし僕は今武漢。大きなバック2つだけ持って残りの装備品は西安に置いて来た。今すぐにでも行きたい気持ちを抑え、一度西安に一日戻り自前のキャンプ道具とガソリンの調理器具やライト、レインコート・衣服、ソーラー電化製品など装備を整えてから被災地に向かう事にした。そのまま飛び込んで行ったとして、現地で宿泊施設や水・食料など本当に今必要としている被災者の貴重な資源をボランティアが消費してしまっては逆に迷惑をかけることになる。また軽装で行き、自身が怪我をし、被災者が使うかもしれない病院の貴重なベッドを使ってしまったり。阪神淡路大震災や東日本大震災でも実際に「人々の善意」の影に浮き上がって来た問題だ。



そこの複雑な混乱を緩和し、有事のときに動ける人間になる為に今年の春一時帰国した際に受けたのが被災地での「ボランティアリーダートレーニング」。過酷な状況下を想定しての一週間の研修、果たしてその成果はどんなものか。足を引っ張らず、地元民と他のボランティアと連携し現地に貢献する活動ができるように頑張らねば。


被災地近くの都市までの、46時間の列車の旅は始まった。
結局武漢に滞在できたのは3日間だけだった。それでも朝から晩まで各大学を周り、友達とホッと一息をつける時間を作る。医学生達が医学部と看護学部のキャンパスを案内してくれた。

「私たちも出来るものなら一緒に行きたいです。でも行けないので、あなたに託します。」

雲南の人々のことが心配、だけど仕事や学校で遠く離れた雲南にはどう簡単には行けない。この国を知っている彼ら程の仕事はできないかもしれない。でも行ける僕が行かなきゃ、誰が行くんだ。


親しい友人にだけ行く事を伝えた。
そして、武漢最後の夜、華中師範大学の先生から
「持って行ってください。私たちの気持ちはあなたと、そして雲南の人達と共にあります。」
と、薬を30箱ほど受け取った。

翌朝、大雨。タクシーが捕まらない。40分程場所を変えながら乗れるタクシーを探しやっと一台目の前で止まった。すでに大きな荷物を引きずっている僕は早歩きで駆け寄るも、横から走って来た女性が先にドアに手を掛けた。タクシーで駅まで20分、バスで50分。電車出発時刻まであと30分・・。
このタクシーしかない。
中国語で話しかけたら絶対無視されると悟った。通じるか不安だったが雨で濡れた切符を必死で彼女の目の前に突き出して英語で説明した。そしたら情況をわかってくれしかも偶然駅と同じ方向で、あぃのりさせて貰う事になった。ガチガチの渋滞にはまってお手上げ状態。彼女は親切にも駅に電話して列車の遅延情況や次ぎの電車の時刻を聞いてくれた。結局予定の電車には間に合わなかったがその2時間後の電車に乗る事が出来た。その電車は雨で遅延しておりぎりぎりで南陽の講演会に間に合う電車だった。
同日の夜行列車で西安に向かう予定だったので南陽滞在可能時間はたった4時間。4時間で全てを済ませなければならなかった。

無事講演会を済ませ、学生・先生方との食事にも短時間だが出席、別の大学で支援物資を受け取り、そのまま夜行列車に乗って西安へ戻る。はずだった・・。


別の大学の先生にお願いしてその日の朝生徒に呼びかけを依頼した。 すると何と夜までに100人近くの学生や生徒から大量の薬や衣服、食料、そして被災者に宛てたメッセージの束が集まった。山のような支援物資に唖然としてしまった。

その中に直接先生の家まで来て、薬や服を持って来てくれた学生がいた。
その学生は先生に、

「私たちの国で起こった災害なのにこうして日本人が来て助けてくれるなんて申し訳ないです。ありがとう。」

と伝えてくれたという。このアクションそしてそれによって得られる中国の人からのこの言葉。それが特に今の厳しい社会背景の裏で必要な事なのじゃないかと思う。


一度ある事は三度ある。物資を持って来てくれる人達の到着を待って大量の荷物をさばいていたらまた今夜の電車を逃してしまった。学生達と4人で駅まで走ったが、あと一分だった・・。その日は先生宅に泊まらせて頂き、翌日早朝の電車で南陽を離れた。

電車の中では深圳から23時間電車に乗って西安に向かっていた僕と同じ歳で看護師の女性に、中国語での医療用語やアレルギーの有無などの簡単な問を学んだ。
そして現在、西安でこれを書きつつ、荷物をさばきつつ、夕方発の電車に備えているところだ。Weinan市と西安の友達からの支援物資も受け取った。寝台でここからさらに24時間、貴州の貴陽へ向かう。宿泊場所を提供してくれる地元の協力者と、さらに武漢から別の電車に乗って僕より少し早く到着するボランティアの友達ひとりと合流する。



明日(15日)も西安で大規模デモが予定されていると聞くし、最近人々の態度が一変し、暴言を吐かれ、これまでに経験した事のない身の危険を感じてならない。
今後の日中関係もとよりこちらにいる日本人(上海だけでも10万人)の安否が心配だ。こちらの人々は本気だ(意味はお判りだろう)。もうこれまで通りのごまかしは効かなそうだ。
先日拉麺店で持ち帰りの品を友達と待っていたらどうやらその隣の同じく拉麺店と仲が悪いらしく、店長同士の口喧嘩から始まり、10秒後には殴り、大きな中華包丁を振り回し斬りつけ始めた。僕は店からイスを持ち出し盾にし彼らの間に入り、包丁男を押さえるも完全にキレている。相手は負傷し、警察が来た。実は悲しい事に本当に日常的によくある事だ。隣のどうし並ぶこちらも仲の悪い果物店で利益が悪化した方の店が隣店のおばあさんを10人がかりの男で袋だたきにした。それを知った息子はナイフを持って仕返しに行き、逮捕された。殴ったグループの中に政府関係者がいたので警察は甘くした。武漢にある僕のよく行く好きな店だった。助けを求められたので、新聞記者に相談するも帰って来た答えは、

keiさん、これは中国では小さなことです。

小さなことだそうだ。
どうしてしまったんだみんな。
善人が馬鹿を見て、悪人が浮かれる社会にしちゃいけないよ。

とにかく、旅/政分離主義の僕は雲南・貴州の震災被災者は放っておけない。

行ってきます!!




※重要
中国へ旅行される方へ

今後しばらく中国への個人旅行は避けることをお勧めします。
やむを得ずトランジット(乗り換え)などで時間があり、市内に出られる際は一人での夜歩きやタクシー乗車は避けた方が賢明です。空港から市内のタクシーは他の日本人・外国人乗客と一緒に相乗りして乗車下さい。毎日のニュースを小まめにチェックしてください。デモは連日続けられており今後拡大する恐れがあります。上海や北京など大都市に一人で行かれる際は、僕の知り合い(日本人、中国人共に)紹介致しますので、facebookを通してご一報下さい。中国の携帯番号をお伝えし、可能な限りご協力致します。

facebook: (keiichiro kawahara,河原啓一郎)