韓国でも「格差社会」という言葉が日常的に聞かれるようになった。最近では「1%の金持ちと99%の庶民」という言葉まで流行している。多くの韓国人が富者に対する拒否感を持っており、左派活動家らはそういう大衆の感情を刺激して、富者に対する敵がい心を煽るキャンペーンを展開している。
その点で、在日韓国人の寄付活動は韓国社会が参考にすべき模範となっている。「母国を助けたい」という純粋な思いの発露であり、寄付した者は何の見返りも求めていない。
寄付行為とは本来そうあるべきなのだろうが、韓国社会では寄付に見返りを求める傾向がある。たとえ純粋な気持ちから寄付をしても、人々はそれをありのまま信じようとはしない。
例えば財閥グループのトップが私財を社会団体に寄付する際の過程を見ると、本人が経済関連事件の被疑者になっていて、捜査を受ける過程で巨額を寄付したりする。まるでお金をあげるから司法処理を見逃してほしい、罪を軽減してほしいと言っているようなものだ。
今年8月、ある財閥のトップが5000億ウォンの私財を寄付すると発表した。その時、社会貢献活動という評価よりも、政権とある種の取引があったか、狙いがあったのではと見る向きが多かった。
李明博大統領が就任初期に私財の大半を奨学財団に寄付した時でさえ、純粋な意図だったのかに疑惑が寄せられた。07年の大統領選直前に発表したため、票を得るためのパフォーマンスと受け取る人が多かったのだ。
このように、韓国では寄付行為が否定的に見られることが多い。その決定的な理由は、例に挙げたように純粋な気持ちで行っていないという疑いをかけられやすいことだろう。
実際に最近行われたある世論調査機関の調査によると、韓国国民の10人に9人は富者の寄付行動に落第点を与えている。富者の寄付が「非常に不足している」という回答は50・4%、そして40・3%が「不足している方だ」と答えたのだ。「十分だ」という回答はわずか2・3%だったという。
一方、一般庶民の寄付は多くの人の反応と共感を受ける。借家暮らしをしながら新聞紙を集めて全財産を寄付した高齢女性の話や、寄付活動をして交通事故で死亡した飲食店の配達員の話が美談として扱われる。先月亡くなったキム・ウスという青年は、中国料理店の配達員として働きながら、貧しい子どもたちに寄付してきたという。青年の死後にその事実が広く知られ、多くの人が故人の弔問に訪れた。
韓国では人知れず貧しい隣人を助けるという事例が、富者よりも経済的に余裕がない人の間でよく見られるのだ。
その点で、在日韓国人が母国で行う寄付活動はノブレス・オブリージュ(高貴な義務)の典型であると同時にモデルになっている。何の見返りも求めないという動機の「純粋性」、差別と逆境を耐えて集めた私財を惜しまず出すという「感動」、一過性ではなくたゆまぬ関心と支援を送り続ける「誠実さ」が揃っているからだ。
その事例は数えられないほどある。
名古屋の鄭煥麒・琥珀グループ会長の基金で立てられた慶南晋州教育大学の奨学財団は「祖国の後輩の学問活動の足しにしてほしい」という願いが込められている。基金は110億ウォンを超え、韓国の教育大学にある財団として最大規模だが、外部に誇ったり、宣伝したりしたことはない。鄭会長は今も絶え間なく後学の育成を支援している。
2001年に京都の金慶憲・洛西建設工業会長の寄付で釜山大学内に設立された慶憲シルバーアカデミーは、全国で最も優秀な生涯学習施設に成長した。
それを可能にしたのは金会長が継続して育成基金を支援し、母国の高齢者福祉促進に確固たる哲学を持っていたからだ。彼は7月、シルバーアカデミーの安定した財政基盤を作るため福祉財団を設立。今までの寄付も合わせると、その額は50億ウォンを超える。
京都の韓昌祐マルハン会長も、昨年5月に故郷である慶尚南道の泗川市に本人と夫人の祥子氏の名を冠した「韓昌祐・ナガコ教育文化財団」を設立した。投じた私財は60億ウォンになる。
ずいぶん前から故郷にどのような貢献ができるか悩んでいたという韓会長は「次世代教育を助ける財団として、一つの芸術作品のように作っていきたい」と抱負を明らかにした。その後もことあるごとに関心を示しているという。
東京の金熙秀・金井グループ会長は、韓国に秀林文化財団を作り、後学に奨学金を支援し、民族文化発展を支援する事業を広げている。1987年に経済難で廃校の危機を迎えていた韓国の中央大学を買収した彼は、数年前に斗山グループに学校を売却し、残った財産を全額母国の文化事業のために使っている。
このような寄付活動は在日韓国人1世だけに限らない。在日2世である東京の徐東湖パラッツォ東京プラザ代表取締役は、父の遺志を引き継いで全南・順天の暁泉高校理事長として後輩の育成のためにたゆまぬ支援をしている。徐代表はこれとは別に私財を投じて碧峯奨学会を作り、世界の人材を夢見る母国の若者を支援している。
「受けた恩は石に刻め。施した恩は水に流せ」という父の座右の銘を胸に生きていくという彼からは「在日の歴史」を引き継ぐという固い意志がうかがえた。
母国韓国で展開される在日韓国人の寄付活動は、韓国の富者が模範としなければならない姿勢だろう。彼らはみな一様に日本の地であらゆる苦労を経験しながら10ウォンたりとも無駄使いしなかった人々だ。金熙秀会長は「電車に乗るビル財閥オーナー」というニックネームがあるほどで、徹底的に倹約が身についている。
苦しい生活の中で我慢強く貯めた大切な財産を共同体の利益のために惜しまず寄付する。これは決して軽く見てはならない気持ちといえるだろう。
母国の後学と高齢者らのために奉仕と施しを実践する在日韓国人の寄付は、まさに真の「ノブレス・オブリージュ」の模範だ。
(ソウル=李民晧) |