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「取材加害」
まずは私の身近で起こった「取材加害」についてご紹介したいと思います。
「私の知人の話です。昨年の8月のこと、私の知人が市内の公衆浴場にて入浴中に、浴場内に何の前触れもなくカメラマンが入ってきたとのことです。そのカメラマンは、入浴者の方々に軽く一礼するやいなや、すぐさま写真を取り始めたとのことでした。知人は逃げる暇もなくそのカメラマンに撮影されてしまったとのことでした。聞くところによると、そのカメラマンは、ある会社の温泉特集のために市内の温泉の取材を行っていたとのことでした。公衆浴場というのは、いうまでもなく人々が裸でいる場所です。一般市民の方々が裸でリラックスしている場所です。そういう場所においてこのような行為を行うことが如何に失礼なことであるか。その取材者のモラルのなさ、常識のなさを痛感させられた話でした。この話を聞いて以来、私は安心して温泉を利用することができなくなりました。」
これは、私が2002年3月14日に、南日本新聞の「ひろば」に投稿した記事です。ここで「知人」というのは、実は私の親戚でありまして、二人でお酒を飲んでいた折に聞かされたものです。この話を聞かされたときに、自分の酔いが一気に覚めたのを今でも覚えております。
温泉を楽しむ入浴客の写真や映像は、日頃から新聞でもテレビの番組でも良く見かけられます。私もこの話を聞くまでは、当然ああいった撮影は、「事前に入浴者の方々の許可を得て」、「入浴者の方々の選択の余地を保証した上で」行われているものだと思っておりました。ところが上記の話を聞いて以来、「実際のところはどうなんだろうか?」、という<不安と好奇心>を抱くようになりました。私もまた、小学生時代に同じような被害にあったことがあるのです。その後遺症たるや、悲惨極まりないものでした(
http://hdl.handle.net/10232/4197)。義父(中村雅麿・鹿児島大学名誉教授)が法律家だったこともあり、ちょっとお聞きしてみたところ「それは法律的にも多分に問題があるね」とのこと。まずは報道関係者にお聞きしてみたいと思いました。
そこで私はちょっとした調査を試みてみました。
Q:「温泉・公衆浴場などを取材される際に、取材に先立って、入浴者の方々に許可を取ってらっしゃいますでしょうか?」という感じの質問だったと記憶しています。
A:↓
まずはTBSさん。
「温泉の取材は通常の場合、
�当該温泉の所属する地域の観光課などを通じて紹介してもらう事が多い。
�温泉管理者と接触し、許可をえる。
テレビの場合最低でもスタッフは3名、照明・タレント等が加われば6〜10名になり、無断取材は不可能です。
勿論、入浴中の方を無断で撮影収録することなどあり得ません。
�仮に、撮影されて拒否する場合には、現場でカメラマンに申し出るか、番組プロデューサーに要望する事がよいかと思われます。」
次にMBCさん。
「・・・・昨今テレビでも温泉の取材が増えています。(温泉は視聴率が取れるケースが多いため)制作部長とも確認しましたが弊社はとくにテレビでリアルな映像となりますのでこの手の取材は特に慎重に行っているとのことでしたのでまずはご報告いたします。とはいえ、常にこのことは繰り返しみんなで確認しながらいかないといつのまにか風化しかねないものだという認識でおります。・・・・」
次に上記の記事を投稿した南日本新聞社さんの一記者さん。
「通常、温泉取材をするときには、まず温泉の経営者の方に許可を取ります。次にその経営者の方から入浴者の方々に事情説明をしていただき、『撮影してもいいですよ』という方のみを撮影させていただきます。その場合、撮影は露天風呂に限定し、撮影の許可を頂いた方々のみにそこに御入浴いただき、その上で撮影をさせて貰っています。」
では、同じく紙媒体を発行している「雑誌社」ではどのように考えられているのか?。日本雑誌協会に南日本新聞に投稿した上記の記事を添付した上でご見解をお聞きしてみました。
「警察に相談されたのは、正解です。もし、そのような場合は、被写体となったみなさんの了解がなければ、撮影できません。公衆、しかも浴場であればなおさらです。その場で、問い詰めなければなりませんし、あとで訴えることもできます。カメラマンのモラル、倫理の問題が大きいです。」
おおむね、「被写体(被取材者)の方に事前に許可を得るのは当たり前のことである」という共通認識が保持されているようです。
ところで、上記の日本雑誌協会からの引用文にもありますように、実は私、この件については以前、鹿児島県警にも相談をしておりました。「私の知人が上記のような被害にあったのだが、これは警察に通報しても良い事案なんでしょうか?」。そのときの鹿児島県警の回答は「鹿児島県不安防止条例〔http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/sneak_shot/〕,に触れることが予想されます」と言ったものでした。
私は凝り性です。とにかく徹底的に調べなければ気が済まない性です。
ちなみに、温泉を経営している経営者のご意見については以下の通りです。
温泉経営者の見解
a)「当館をご予約いただきましてまことにありがとうございます。・・・・もちろんマスコミの取材もありませんし、もしあったとしても記事〔上記の南日本新聞「ひろば」の投稿記事〕にあるような非常識な対応は致しませんので、どうか安心してお越しくださいませ。桑原様のお越しを心よりお待ち申し上げます。」(屋久島−−田代別館=http://www.tashorobekkan.co.jp)。
b)「お世話様でございます。メール頂きありがとうございます。・・・・ご質問の件でございますが、今日現在取材の方は予定がございません。急遽入った場合はお知らせいたします。何卒宜しくお願いいたします。」(鹿児島県−−指宿白水館=http://www.hakusuikan.co.jp/)。
c)「お問合せ頂きましてありがとうございます。偶然ではありますが、15日の夕方からテレビの撮影が入っております。私共では、取材の際は少しのお時間だけ入浴をご遠慮頂いてその間に撮影を致しております。チエックインの際にはお客様にお伝えしておりますので、特にそのようなご迷惑を掛けるようなことはないと思います。よろしくお願い致します」(霧島観光ホテル=http://www.nk.rim.or.jp/~kirikan/)。
注1
「撮影した内容を被写体の許可なく公開した場合には、刑法(名誉毀損罪)になる可能性が高い。また民事裁判では、カメラマンのみならず、銭湯の経営者も被告になることが考えられる。いずれにしても、まずは相手に撮影をやめるよう警告することが重要である。その上で相手が応じない場合には、遠慮なく110番して貰って結構である。」(北海道警)
「自分の名前や住所、電話番号が無断で記載され、事実無根の中傷を書き込まれたり、裸の写真を掲載された。(名誉毀損)→現実の社会でトラブルがあり恨みを抱いている人間が、インターネットでその恨みを晴らそうとして上記の行為に及ぶ場合があります。これらの行為はインターネットを使うことで罪悪感なく行われがちですが、これらの行為は違法です。」(茨城県警)
注2 【下着姿の元恋人の写真をホームページ上に掲載するケース】。
「名誉毀損行為として「事実を摘示」する行為とは、漫画や写真による表現も含む。
男性が男性の入浴姿を「覗き見」しても「軽犯罪法違反(窃視罪)」が成立するぐらいですから−−元タレントM.T.が先に起こした事件−−、女性に限らず男性の場合でも、「威迫されれば」当然、脅迫罪の成立が考えられます。「強姦罪」を除いて、刑法上、そのほかの性犯罪に男女の区別はありません(東海大学法科大学院教授・鹿児島大学名誉教授、中村雅麿氏)。
さて、上記のように、いくら「報道の自由」や「取材の自由」が「憲法」によって保障されているからと言って、「強制的に、あるいは選択の余地のない形で」、取材という行為が行われるならば、当然、そうした取材行為は犯罪行為として罰せられることになります。このことは何も、上記のような特殊な事例に限られたことではありません。あらゆる取材行為に当てはまることなのです。以下の引用文を見てみましょう。
「いくら報道のための取材活動だといっても、その活動が刑法のような一般刑罰法規にふれるような犯罪行為であってはならないし、また民法で定める不法行為(他人のプライバシーを侵害するとか、その他の『他人ノ権利』侵害)を行ってはならないのである。すなわち、ジャーナリストといえども、取材活動にあたっては、ふつうの人がふつうの場合適用されるはずのふつうの法に服さないわけにはゆかない」(奥平康弘、1997年、『ジャーナリズムと法』、新世社、17頁)。
当然といえば当然のことです。報道関係者という存在は何ら特別な存在ではありません。有り体に言って「一営利企業の一社員」に過ぎません。ですから、「報道関係者である」からといって、何ら特権的な権利が発生するわけではないのです。
「我々一般市民が行って罰せられること」は、当然「報道関係者が行っても罰せられてしかるべき」です。
実のところ、報道関係者も含め、「我々一般市民」が有しているとされる権利というのは、「取材の自由」であって「取材権」ではありません。被取材者に「強制的に、あるいは断る余地のない形で」取材を行う権利は、実は報道関係者にも我々市民にも与えられてはおりません。以下の引用を見てください。
「・・・・〔政治家〕でさえも、法的にはマスメディアの取材に応じなければならない義務がないのだとすれば、一般の市民にはますますもって、そうした義務はない。しばしば、『取材の自由』と『取材権』とを同列にとらえ、マスメディアにはこの点での『権利』が備わっているかごとく誤解する向きがあるが、『第4の権力』と言われるジャーナリズムにも、私人(=個人)に対しては、証言強制権も面談強要権もない(顔写真の撮影、会話の録音も被取材者に強制的に我慢させることはあり得ない。さればこそ、カメラマンは、よかれ悪しかれ、隠し撮りへとその努力を傾注するのである)。私人から強制的に情報を収集する権力を持っているのは、国家のみである。国家機関はそれぞれの特定の法律にもとづいてみずから、あるいは最終的には裁判所の力を借りてかぎられた場合に、それが出来る」(前掲書、69−70頁)。
とはいえ、どういう訳か、「報道関係者による強制的な取材行為」が横行しているのも、これまた事実です(
http://news.livedoor.com/article/detail/2592109/)。その最悪の事例が「メディアスクラム」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A0)と呼ばれる社会現象です。どういう現象なのでしょうか? 以下の引用を読んでみましょう。
「1999年12月、京都市内の小学校の校庭で、遊んでいた小学生が若い男性からナイフで切りつけられ、亡くなるという痛ましい事件が起こりました1)〔詳しくは
http://www.geocities.jp/citizenandmedia/news75.htmへ〕。被害者の遺族や地域に関わりを持つ人たちの胸を痛めたのは、その小学生が亡くなったことだけではありませんでした。悲しい気持ちを整理する暇など与えられず、押し寄せてくる取材陣にどのように対応するのか、そんなことにも胸を痛めなければならなかったのです。市民とマスコミとの間に生じるさまざまな軋轢は、この事件に始まったことではありません。マスコミは、本来、権力に対する監視をおこない、市民が安心して生活できる社会をつくり、維持するのがその役割です。ところが、実際の事件現場、取材現場では、真の理念を理解しないまま『報道の自由』や『取材の自由』を大義名分として、マスコミが市民に襲いかかり、市民の側は、マスコミを迷惑な存在だとか、恐ろしい存在だと感じる歪んだ関係があります・・・・」(人権と報道関西の会編、2001年、『マスコミがやってきた!−−取材・報道被害から子ども・地域を守る−−』、現代人文社、2頁)。
1) 1999年12月21日、京都市伏見区の日野小学校校庭で、男子児童が首を刺され、死亡した。目撃者の話などから「少年の犯行」との見方が報道され、過熱取材が続いた。2月5日、事情聴取を受けていた男性が捜査員を振り切って逃げる途中、高層階から転落死、捜査は「被疑者死亡」として終わった。
「事件直後から、学校周辺の道路は100台近くの取材陣の車で埋まり、住民の車が通行できなくなった。車はその後も道路を占拠し、エンジン音で住民は夜も眠れなくなった。犯人は少年らしい、との情報が流れると、記者たちは犯人探しを始めた。小学校の卒業アルバムや小中学校の生徒名簿を求めて歩き回り、犯人の心当たりを求めて子どもたちにつきまとう。中にはモノを与えたり、食堂に誘ったりして子どもから情報を取ろうとした記者もいた。何人かの中学生を容疑者扱いし、小学校時代はどうだったか、などと聞いて回る。『あそこの子は』などといううわさも流れた。テレビは、登校する子どもの顔も無差別に撮影した。マスコミ対策で集団登下校に親たちが付き添ったが、その様子も撮影された。私たちが自粛を要請しても聞き入れられず、被害者の通夜や葬儀でも、子どもたちが無遠慮に撮影された。子どもたちは外に出なくなった。メディアは『犯人に脅える子どもたち』と報道した。子どもたちが怖がっていたのは、報道陣のカメラとマイクだった」(山口正己、『人権と報道概論』=
http://www.jca.apc.org/~jimporen/lec01.html)