(cache) WEB版稀覯書展示会「フランス人による日本論の源流をたどって」  
HOME展示目録 > I. ヨーロッパに流布していた日本関係書物のフランス語版と来日経験がなかったフランス人による書物(1857年まで)



HAYASHI Shihei

San kokf tsou ran to sets
2 vols. Paris, 1832.


林 子平 『三国通覧図説』 全2巻

 本書は林子平(1738-1793)が1785年に著した『三国通覧図説』のフランス語訳である。彼は荻生徂徠一門の流れを組む幕臣の岡村良通の子。伊達家に仕官した兄に従って生まれ育った江戸を離れて仙台に移った。藩内を歩き、海岸沿いの防備、産業の振興、学制の整備などを痛感し、同藩にその必要性を上申している。また、大槻玄沢ら当時の有名な蘭学者と交流を持ち、長崎にも赴いて時のオランダ商館長アレント・フェイトから海外事情を聞くなどして、国防の重要性を痛感した。特に、ロシアの南下政策は林の最も危惧する問題で、本書の中で朝鮮や琉球と併せエゾ(北海道)、さらには小笠原の状況など我が国を取り巻く事情を述べ、エゾ(北海道)の開発とその防衛の重要性を指摘した。林のこの考えは、1791(寛政三)年出版の『海国兵談』の刊行へと繋がっていった。その結果、徳川幕府はこの二書の絶版を命じ、林を禁固刑としている。
 本書はオランダ東インド会社の関係者か、もしくは1823年から1829年まで日本に滞在していた出島商館のドイツ人医師フランツ・フォン・シーボルトによって日本国内から持ち出されたと思われる。ヨーロッパへ到着後、ドイツの東洋学者であるユーリウス・クラプロートによってフランス語に翻訳された。林が日本国内で刊行してから本書がフランス語で翻訳されるまで既に四十七年を経ていたが、フランスではこの頃日本の政治的な情報は少なく、鎖国政策や社会世論、さらには国防力の分析に使われたと考えられる。
 なお、関連する図版や地図は大きさを異にする別巻に収められている。


前の図書へ   次の図書へ