経済【評伝】樋口広太郎氏 大ヒットの影に「トップセールス」 炎天下で選挙応援も+(1/2ページ)(2012.9.17 23:08

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【評伝】
樋口広太郎氏 大ヒットの影に「トップセールス」 炎天下で選挙応援も

2012.9.17 23:08 (1/2ページ)
平成11年6月、首相官邸で小渕首相(右)に経済戦略会議の報告書を手渡す樋口広太郎氏

平成11年6月、首相官邸で小渕首相(右)に経済戦略会議の報告書を手渡す樋口広太郎氏

 アサヒビールの元社長で「スーパードライ」を大ヒットさせて同社を業界首位に育てた樋口広太郎氏が亡くなった。腰が低く、声の大きな人だった。政財界、文化、スポーツなど各界に築いた人脈は余人の追随を許さない。

 戦後混乱期の昭和24年、京大を出て住友銀行(当時)に入社。住銀中興の祖と言われた堀田庄三頭取の秘書になったのを機に出世の階段を駆け上がり、常務時代の昭和52年には経営難にあった旧安宅産業の伊藤忠商事傘下入りをまとめ上げた。銀行マンとしての数々の実績はあれど、頭取にはなれず、昭和61年に住銀副頭取から畑違いのアサヒビール社長に転じた。だが、そこからビジネスの才能の神髄を発揮した。

 取引先の接待でゴルフ場へ出かけるとき、社長車のトランクには常に菓子折りが詰め込んであった。帰路、街頭で「アサヒ」の看板を掲げた酒店を見つけたらあいさつをするためだ。

 「アサヒビールの樋口でございます。ご要望は何なりとおっしゃってください」。最前線の販売店を味方に引き込むトップセールスだった。車にはもちろん冷えた「スーパードライ」も積んであった。

 「辛口ビール」という斬新なジャンルを築いて主力商品化。資金と人材を集中投資した戦略は大当たりし、ビール業界の勢力地図さえ塗り替えた。

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