「スーパードライ」を大ヒットさせ、アサヒビールを業界トップの座に導いた樋口広太郎(ひぐち・ひろたろう)元社長が16日午後11時4分、急性心不全のため東京都渋谷区の病院で死去した。86歳だった。葬儀は20日午後1時30分から千代田区麹町6の5の1の聖イグナチオ教会で。喪主は妻公子(きみこ)さん。
京都市生まれ。1949年京大経済学部を卒業し、住友銀行(現三井住友銀行)に入行。副頭取まで務めた。86年にアサヒビール社長に就任。ビール4社の中で3位が指定席だった同社の立て直しに着手した。
ライバル会社のトップを訪ねてビール製造の基本を学んだり、売れ残ったビールを問屋や販売店から回収したりするなど、業界の常識を打ち破る行動力で社内をリード。87年、開発・生産・販売の手法を一新したスーパードライの発売に踏み切ると、バブル期らしい派手な宣伝を展開し、ドライ旋風を巻き起こした。
92年に会長に就任。98年にはキリンビールを抜き、国内のビール出荷シェアで首位に立った。翌年に相談役名誉会長に退き、相談役を経て2006年4月からは名誉顧問を務めていた。
この間、経団連副会長など社外の公職を歴任。財界の論客として、小渕政権では経済戦略会議の議長を引き受け、日本経済再生に向けた道筋を示した。
[時事通信社]