最終更新: 2012/09/18 00:20

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2002年日朝首脳会談 4日前に北朝鮮から文書「拉致認め謝罪する」

2002年日朝首脳会談 4日前に北朝鮮から文書「拉致認め謝罪する」
2002年9月に行われた第1回の日朝首脳会談では、どのような過程を経て、金正日総書記による謝罪と日本人被害者の一部帰国が実現したのか。会談の4日前、訪米中だった小泉首相(当時)のもとに、北朝鮮側から、金総書記の考えを伝えるある文書が届いていたことがわかった。
小泉首相(当時)の元秘書官・飯島 勲氏は「2度でも3度でも4度でも、訪朝しなければいけないという覚悟は、小泉総理(当時)にはあったそうです」と話した。
小泉首相(当時)は「ふんどし1丁で、無血開城するつもりで行く」と話したという。
10年前の9月17日、北朝鮮のピョンヤンで、当時の小泉首相と金正日総書記による日朝首脳会談は行われた。
10年前のあの日、何があったのか。
そして、会談実現の陰には、あるキーマンの存在があった。
それら舞台裏の全てを知る立場にあったのが、小泉元首相を初当選時から支え、2度の訪朝にも同行した飯島 勲元秘書官。
飯島氏は「与野党問わず、小泉内閣前の諸問題における北朝鮮関係の交渉は、朝鮮労働党を介しての交渉だったんです。過去の北朝鮮問題の交渉過程は、相当、分析を総理自身がしたんじゃないですか、当時。日本側では小泉 純一郎。北朝鮮では日本の政府に相当する軍事委員会ですから、軍事委員会委員長・金正日という立場になってもらったうえで交渉する。トップ以外の交渉は、北朝鮮では無理なんですね」と話した。
拉致問題を解決するという、小泉首相の強い意志があって実現したという、第1回の日朝首脳会談。
その4日前、訪米中だった小泉首相や飯島氏のもとに、北朝鮮側から、金総書記の考えを伝えるある文書が届いていたという。
飯島氏は「まさに訪朝前、ニューヨークのホテルで、ファクスをいただいた。(わたしが)勝手に行動していた中で、ある方を介して、金総書記からの結論的な『スタンス』を5項目いただいたということです。一番大きなのは、拉致問題を認め、謝罪するということです」と話した。
拉致を認めるという、北朝鮮側からの意思表明。
その文書の差出人について、飯島氏は「固有名詞は、わたしも完全な捕捉はしていませんが、明らかに金正日総書記の直々の答えというか、対応。小泉首相(宛てに)。これには驚きました」と話した。
金総書記の本気度を確かめるために、飯島氏は急きょ、120人の大記者団の同行を北朝鮮側に求めた。
その結果、日朝首脳会談当日、ピョンヤンからの生中継も実現した。
しかしこの時、北朝鮮側が拉致被害者について提示してきた情報は、「5人生存、8人死亡」というものだった。
この情報を提示された時の小泉首相(当時)について、飯島氏は「その時、(小泉首相は)がく然としていましたね。食事に手をつけないで、ずっといすに座って、床を見て、考え込んでいました。そして、2回目の午後の会談に挑むわけです。その間に、梅本公使に対して、『生存者に至急、どこでもいいから会って、小泉総理と安倍内閣官房副長官、2人だけが会えるような交渉をしろ』と、会談中」と話した。
この時、梅本公使は、ピョンヤン市内に出向き、横田 めぐみさんの娘、キム・ウンギョンさんに面会した。
飯島氏は「小泉首相が、それで、どうしてもじかにお会いしたい。帰国の時間が遅くなっても構わないという話までお願いして。しかし、(キム・ウンギョンさんは)心の準備が整っていないということで、断られた」と話した。

(09/17 17:44)


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