今年の春頃、確定診断を待っているさなか、
(書式を科学論文の形式に従う) 佐々木正美・梅永雄二 2008 大人のアスペルガー症候群 講談社
を読んで、自分には家族や周りの理解がないことと、それらがないといろいろ大変なことが起きると書かれていたことに強い衝撃をうけました。
本に書いてあった通り障害のことを正面突破での説得を試みたところ、父は激昂しました。「おまえは甘い。社会はお前を中心に回ってはいない。根性が足らないから、努力不足だから病気になった。精神病は根性の足らない人間がかかる」と。
父は主治医や診断医とも面会していますし、医師の面前でも私を頭ごなしに怒鳴りつけています。家族だけなら発言はさらに過激になります。その話も報告しています。
ある意味「世間の常識」ですが、非科学的で不適切でもあります。思い起こせば、父の部下で脳血管系の疾患で突然死した人がいます。父が退職まで所属した会社は何人もうつ病労災や過労死で裁判になっていることで有名な多国籍企業です。「根性の足らない人間がうつ病や過労死で死ぬ。会社についていけない人間は悪人。会社語でいう「異常」(ここまで書くと、具体的会社名を思いつく方もいるでしょうね)。個人の資質の問題。」というのがこの多国籍企業の本音と理解しています。
経済危機を期にますます追い込みを加速させていますから。莫大な広告で日本のメディアを封殺していますが、金の絡みのない海外や独立系メディアや共産党系メディアまでは黙らせることはできないですから、下請けを含めて傘下の労働者たちは情報を持っています。
メンタル系に理解がない。理解する気もない。不適切な指示命令であちこちでうつ病死亡事例が発生し労災や裁判になっている。カミングアウトするとかえって迫害を受けるリスクがある。脳機能の問題なのに精神論や根性論が出てきて、適切な対応が得られにくい。これが日本の「常識」と私は理解しています。
部下を潰して死に至らしめても会社は責任を取らない。父や会社の管理職になった兄弟たちの話を聴いていると、できの悪い部下をいかに追い込んで潰すか、という話をよくしています。父も兄弟も責任は取らされていません。それが「日本の常識」なのでしょう。
医師たちは「家族からは理解・支援を受けられない」と、結論を出しています。上記のような話が多いので、私にとって家族は、会えぱ緊張するばかりで安らぎはありません。
主治医はあいまいな言い方しかしてくれませんでしたが、このプログの表題をイメージさせてくれた医師の元指導教官と思われる診断医は、はっきりと言ってくれました。「うつの治りが遅い。家族とは必要もないならみだりに接触しないこと。」
診断医からの明白な忠告を家族に話すと、父は大歓迎して母を電話の向こうで怒鳴り散らしていました。「それ見たことか」。自分のこと、言われていると理解しているのかは知りません。話以降、両親とは特段の事情がある場合を除き、接触は避けています。そうすると、みるみる抑うつが治ってきました。診断医の言ったとおりに。
父にとっても、私との接触は苦痛みたいです。父の価値観からは、私は存在を否定されるもの。勘当したいけれど現在の民法では直接扶養義務が相互にあること。父は勘当したいけれど母は私に愛着があり、気の向いたときにかまいたいという気持ちがあること。父には家族経営者としての母が必要で、あまり母の機嫌を損ねるようなことがてきないこと。社会的成功者であり頭の良い人でもある父は怒りつつ理解しています。普通に、やや複雑な家庭環境です。
父からはすでに因果を含めた命令を受けています。こうして発言を真に受けるのも、脳機能の特性なのでしょうね。
父や兄弟は死んでくれと簡単に言いますが、自殺は失敗リスクや、首尾よくあの世に行けたとしても私の遺体を見た人、処理をする人たちの精神的負担と損害賠償のこと、母や友人、病気になってから出あったいろんな病気の当事者たち。それに私を本気で支援してくださっている方々への後遺症、を真剣に考えると、今の私にはできない選択肢です。よって確定診断を受けて父から因果を含まれてからひと月くらい真剣に考え、生きるという決断をしたのです。それが私の「責任」と信じています。
すなわち母や私の周りの味方を悲しませんない。これからもがんばって生き抜く。父とはみだりに合わないが、相互に扶養義務をまっとうする。兄弟たちとは迷惑をかけたくないので、今後はさらに意識して音信不通にして迷惑のかからないようにする。(今後生活保護などへの運用が変わり、兄弟への扶養義務に警察が絡んでくる社会制度になった場合は、警察が来ないように考えを少し変える)
最近になって米田先生や姜先生の本を見て、「逆、かならずしも真ならず」と理解しました。親との関係がうまくいっていても、親の価値観が「こんないい大学出て・・・・」とかだと「家事をする引きこもり」でいいや、となってしまうこともままあるみたいですね。
実際とある家族会で、吉川徹医師の「特に自閉症スペクトリムの治療目標は「家事をする引きこもり」なのですよ」という発言を朗読した際も、「それは私たちにとって理想の一つですよ。私は名大病院はすばらいしと思いますし、信頼しています。」と、その家族会の会長は私に言葉を返してくれました。その親御さんはASDである自分の子供のことを深く理解してらっしゃいますよ。でも、自己認知と居場所には全く無関心。今日もせっせと自分勝手に息子の薬をいじる。息子の主治医は薬が母親にいじられている見破っているみたい。息子が自分でそうしているのならともかく・・・ね。不信感見え見えで医師にかかる家族たち。どうぞ、自己責任で。
著名な支援団体は、こうした事情をすでによくわかっているので、大人の発達障害当事者をシャットアウトしています。
今の感想。それでいいんじゃないんですか。要りません「家事をする引きこもり」になるための支援なんて。
医療福祉を利用こそすれ、頼ったりしせんよ。これまでも。これからも。利用の中で少しでも人間らしい交流があれば、それはそれで喜ばしいこと。望外の喜ばしきこと。
私の主治医、専門ではありませんがその突っ込みが気に入っているので今でもかかっています。近所にあって助かります。これからもよろしく。
診断の先生、さすがは専門医で障害のことはよくご存じですが、企業との付き合い方については主治医のほうがよく知っているみたい。でも、時々アドバイスがあると心強い。
支援してくれている福祉施設の方々。ありがとうございます。
その他個人的に接触している方々、感謝しています。
社会がみんな、環境悪いわけではありません。こんな私にも、味方してくれる人がいますから。これからも人間関係大事にして生きていきますよ。
これから
、ニキ・リンコ 浅見淳子 2012 自閉っ子のための努力と手抜き入門 花風社
読むの楽しみにしています。
※参考文献
米田俊介 2011 アスペルガーの人はなぜ生きづらいのか? 講談社
姜昌勲 2012 他人とうまくいかないのは、発達障害だから? PHP