大阪姉殺害事件について、再び思うところを述べたい。
判決は妥当と考える。残念ながら、日本の現在の慣習と法制度では、あれが限界である。
犯行は全く情状酌量の余地のない勝手きわまりない動機と意思によるものである。お亡くなりになられた姉上の、無念を思う。そしてそのご家族(残されたご主人とお子さんのことを指す。自己決定した大東被告直系親族は除く)の大変な思いを思う。
その背景も、「支援を受けない」という、これまた被告・被害家庭の自己決定と自己選択に基づく「引きこもり」という現象である。
自己決定と自己責任には、しっかり責任を持つべて儀ある。
被告家庭は、これから恥を知るのだろう。これこそ、「家事をする引きこもり」の最終形である。
異議ある人には再び言う。「家事をする引きこもり」の理想形とやらを見せてもらおうか。
最長の有期刑。これは、裁判官・裁判員による大東被告への最大限の慈悲である。行き場のない大東被告に、とりあえず最長20年の居場所と反省の場を提供したのである。
それを生かすも殺すも、大東被告の心次第である。
大東被告にこれからかかる膨大な社会的コストが実に馬鹿馬鹿しい。逆恨みされた殺害された姉の家族の身の安全が、とても心配です。現在とこれまでの本人意思によれば、更生の可能性は限りなくゼロにひとしいと考えます。
私は死刑推進論者です。この世には、死ななければならないいのちがあると私は信じます。
ヒットラー殺害計画に関与し獄死した大殉教者・ポンヘッファー牧師を、私は心から敬愛しています。実に、悪の権化の死によってのみ、世界の平和はもたらされました。ポンヘッファー先生が人道のため進んで罪を犯したことについて、スイスに亡命したバルトは批判していますが、今明白に、この世には死ななければならないいのちがあると確信しました。
これは全く個人的な意見ですが、中華人民共和国の振る舞いで、数少ないことですが、すとんと腑に落ちることがあります。それは、収賄や脱税、麻薬取引で死刑になるということです。この手の輩には教育は不要と考えています。何千でも何万でも、国家によって殺すしかないと考えています。