中田大地君の三部作、速読ながら一気読みしました。
うん、子供らしいがんばりがみられる。親御さんは子育てに熱心。障害受容もしておられる。
私的には、そう快な読後感のある三部作。発達の様子が垣間見られ、ほほえましい。
大地君は大人に近づくごとに、大人の建前や算術に気付いてきている様子がわかる。
「家事をする引きこもり」を目標とする児童精神科医。全国に広く生息しているのではないか。
キーワードはconventional。裁判官が判決量刑を過去の事案にあてはめるように、自分の患者の大半の人生が「消化試合」である事実をもとに、(イタリアなどでの実践によると、あるいは最近の被災地での「精神科病院が壊滅した」後の医療実践をみてみても、それは「消化試合にならざるを得ない」のではなく「消化試合にしてしまった方が安定した儲けになる」ということ)、伝統的に、まるである日が来たら毎年決まった量の農薬をばらまくように、「発達障害とくに自閉症スペクトラムの目標は「家事のてきる引きこもり」なのですよ」という発言が公文書で堂々となされるのでしょう。
その道、私の手前にもある。その道を歩む当事者も数多い。それでも私は、その道を歩まない。
医師の勧めるその道。「家事をする引きこもり」。決して楽な道ではない。そういう当事者たちは「人生の苦労」「生活の苦労」ではなく「病気の苦労」を多く抱えることになっている。症状を消すためにどんどん薬が処方され、それによってどんどん弱くなり、周りに迷惑をかけ入退院を繰り返す。わたしはこの真実を同じ患者として身近に幾らでも知っている。
もし選ぶことができるのであれば、チャンスがあるのであれば、医師の勧める気やすい道を鵜呑みにするのは妥当なものなのかどうか。患者の未来像ではなく利益率を常に念頭に置いている医師の側に立って考えた方がいいのではないか。あまりあてにならない想像力を駆使してでも。
昨日も会社の友人たちから電話があった。仲間たちが私の復職を待っている。私には帰るべき場がある。ありがたい。