夏の思い出が詰まった阿字ケ浦海水浴場=ひたちなか市で
|
 |
訪れたのは今月初め。勝田駅でJRから、ひたちなか海浜鉄道湊線に乗り換えると、ホームに入線していた一両のみの気動車をバックに記念撮影する親子の姿があった。
終点の阿字ケ浦駅まで勝田駅を含めて九駅で、わずか二十五分ほど。かつては沿線の海水浴場まで多くの海水浴客を運んだが、マイカーの普及で、今は湊線を使う海水浴客はほとんどいない。
市街地を抜けると、車両の両側に油彩のように濃い緑の森や水田、畑が広がる。湊線という名前ながら、海が見えるのは一瞬だけ。下り線なら那珂湊駅をすぎたら右側の窓の外にしばらく注意してほしい。
夏期講習や部活動の地元高校生に交じり、女子大生三人組がいた。東京都練馬区の星野舞さん(22)、横浜市の籠谷彩花さん(22)、土浦市の中嶋恵理さん(22)で、いずれも来年就職を控えた四年生。国営ひたち海浜公園(ひたちなか市)で開かれるロック・フェスティバルのため訪れた。
阿字ケ浦の民宿に二泊して、しっかり海水浴も楽しむという。星野さんは「とにかく景色がすてき。のんびりした列車も好き」。籠谷さんは「放射能? うーん、心配するよりも楽しみたい」。三人とも学生最後の夏をはしゃいでみせた。
阿字ケ浦駅から十分も坂道を下ると、若者に人気の阿字ケ浦海水浴場が見えてくる。海に近づくと海面から蒸発した霧が舞い上がり、肌にひんやりと心地よい。
平日の海岸は人影もまばらだ。救護本部のレスキューによると、日曜は一日で三千人ほどの人出で、東日本大震災前の平日レベルに回復しているという。ただ平日は四百〜五百人の日もあり、震災から二年目の夏も東京電力福島第一原発事故の影響が影を落としているようだ。
海の家を経営する女性(72)は「見たとおり。今年は期待していたんだけど」と、がらんとした食堂に座り、力なく話す。「水質検査で異常はないのに、原発事故のイメージで警戒されてるのかねえ。お客が戻ってくるまでまだ二、三年は掛かるかも」と表情はさえない。
記者が学生時代、海水浴客がいなくなった夕暮れの海辺で、友人二人と監視台に座り、缶ビールを空けながら話し込んだことを思い出した。酔いも手伝い、引いては寄せる波の音と重なるように、頭の中で一九七〇年代にヒットした英国ロックバンドの10cc(テンシーシー)の曲「アイム・ノット・イン・ラブ」がノンストップで鳴り響いた。
久しぶりに監視台に乗り、一人でコンビニで買ったビールを開けた。夕闇に白く浮き上がる波を眺めていると、あの夏に鳴っていた多重録音による独特のくすんだサウンドが静かによみがえってきた。 (林容史)
<メモ> 会社の前身は1907年に設立された私鉄の湊鉄道。太平洋戦争末期の44年に茨城交通に合併。2008年4月1日、ひたちなか市と茨城交通が出資する第3セクターひたちなか海浜鉄道が開業、路線を引き継いだ。JR勝田−阿字ケ浦駅間14.3キロを結ぶ。東日本大震災前の2010年度の輸送人員は78万4000人。しかし震災で休業後の11年度は67万3500人と過去最低に。現在は9割以上まで回復した。CMに登場することが多く、応援団もある。同社やアクアワールド県大洗水族館、ひたち海浜公園、民間企業が提携し新たな観光ルートの提案を進めている。
この記事を印刷する