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視点・論点 「シリーズ防災(3) 古地図を防災にいかす」2012年09月14日 (金)
国土地理院地理情報解析研究室長 小荒井 衛
昨年2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、津波で多くの人命や家屋等が失われ、東北日本の太平洋沿岸に甚大な被害をもたらしました。一方、関東地方の広い範囲で液状化現象が発生し、家屋や公共施設、ライフライン等に甚大な被害が生じました。特に、東京湾岸の埋立地や利根川下流域では、多量の噴砂や流動化現象に伴う地表の変状、構造物の傾斜や沈下、地下埋設物の抜け上がり、耕作地における砂泥の堆積などの被害が発生しました。今回の地震で震源から遠い場所で広範囲に液状化が発生したのは、関東地方の広い範囲で震度6弱や5強などの強い揺れを記録したことや、揺れが長時間にわたって継続したことなどが、その理由としてあげられます。
液状化が発生するためには、強い地震動の他に、地層が水を多く含んでいること、ゆるく堆積した砂であることなどの条件が必要です。これらの条件がそろった液状化が発生する可能性の高い場所としては、地下水位の高い砂地盤、例えば、埋立地、干拓地、昔の川の跡(これを旧河道と呼びます)、砂丘や砂州の間の低地などがあげられます。
このように液状化が発生しやすい地域を把握するためには、土地の成り立ち、すなわち土地の履歴を知ることが重要です。国の地図作成機関である国土地理院では、これまで長年にわたって整備してきた地形図や空中写真等の時系列の地理空間情報をアーカイブ化し、一般に提供してきています。これらの時系列地理空間情報から土地の履歴を知ることで、液状化が発生しやすい地域をあらかじめ把握することが可能です。ここでは、利根川下流域を中心に、いくつか具体的な事例をあげて紹介します。
明治時代中頃以降、国土地理院の前身の軍の陸地測量部時代から1/50,000,1/25,000などの地形図が全国整備されてきました。このような過去の地形図は、国土地理院で閲覧することができ、謄本交付することで誰でも入手することができます。地形図がいつ整備されたかという情報は、国土地理院のホームページで検索が可能です。
ここで、茨城県潮来市周辺の昭和9年の5万分1地形図「潮来」と平成14年の5万分1地形図「潮来」をお見せします。
昭和9年の地形図を見ると、利根川の下流部で、多くの沼や池が存在していることがわかります。今回の東日本大震災では、このような沼や池を埋め立てた場所で深刻な液状化被害が発生しています。例えば、潮来市日の出地区は今回の地震により周辺と比べて激しい液状化被害が発生しましたが、昭和9年当時入江であったことがこの地図からわかります。
もう一つ、関東地方で活用可能な過去の地図として、「迅速測図原図」というものがあります。これは明治10年代に軍の参謀本部が作成した地図です。関東平野のほぼ全域と房総半島・三浦半島をカバーしています。フランス式の非常にカラフルな地図であることが特徴で、当時の景観を把握しやすい地図情報です。迅速測図原図については、国土地理院において閲覧・謄本交付が可能なほか、(独)農業環境技術研究所ホームページの「歴史的農業環境閲覧システム」でも閲覧可能です。このシステムは、迅速測図原図をシームレスで表示でき、現在の位置精度の高い地図情報と重ねて表示することもできます。土地の変遷を把握するのに非常に有効なシステムです。
ここでは、千葉県神崎町周辺の迅速測図原図と現在の地形図を示します。
明治10年代の地図と現在の地形図を重ね合わせました。現在の利根川の河道の位置がここになります。明治10年代の利根川の位置はここになります。
今回の大震災で液状化被害の激しかった箇所は、その頃の河道だった箇所、すなわち旧河道に限定されています。
同じ場所を震災直後に上空から撮影した画像です。画像中で白っぽい部分が、地面から水の混じった砂が吹きあがる噴砂が見られた場所です。噴砂は旧河道の範囲に集中して帯状に出現しており、旧河道内で液状化被害が激しかったことがわかります。ここでは、噴砂の他、トイレが浮力で周りの地形より浮き上がってしまう抜け上がり現象や、川底で噴砂が発生して河床が干上がってしまう現象などが確認されました。
過去の地図だけでなく、過去の空中写真も土地の履歴を知るのに役立つ情報です。
1940年代後半にアメリカ軍が全国を1/40,000の写真縮尺で撮影しており、当時の国土の状況を知る有力な情報です。その後、国土地理院が主に1960年代以降に全国を空中写真撮影しています。なお、縮尺の大きなカラー空中写真が1970年代後半以降に撮影されています。これらの空中写真は、国土地理院で「国土変遷アーカイブ事業」としてデジタル化を進めており、デジタル化が完了したものから順次、国土地理院のホームページで公開しており、検索・閲覧が可能です。
ここでは我孫子市布佐地区の事例を紹介します。これは布佐地区の液状化写真です。
布佐地区では、写真に示すように、電柱の傾き、大量の噴砂、家屋の傾き沈下など、激甚な液状化被害に見舞われました。そのような箇所は、大きな通りを挟んで数ブロックの狭い範囲に限られていました。
いったい何故だろうと思って、過去の空中写真を紐解いて見ました。
液状化被害の酷かった細長い箇所が、1947年の空中写真ではちょうど水部になっています。1962年の空中写真では、ちょうどその場所が埋め立てられて住宅地となっています。これは、明治3年の洪水で形成された掘を、1950年代に埋め立て住宅地にしたものであり、このような場所は液状化のリスクの高い場所です。
以上、東北地方太平洋沖地震による利根川下流域の液状化被害の実態等について、土地の成り立ちとの関連性が深いものを中心に紹介してきました。また、土地の成り立ちを知るのに、過去の地図や空中写真が役に立つことも紹介しました。いずれの事例でも、液状化被害が集中し被害の程度が大きい箇所は、川の跡や水部の埋立地であり、過去の地図や空中写真を活用することで、その履歴を詳細に明らかにすることができます。これらの情報は、インターネットで気軽にアクセスできるものが多いです。皆さんも、過去の地図や空中写真など、容易にアクセスできる時系列地理空間情報を活用して、自分が住んでいる土地の成り立ちや、その土地の液状化現象の発生のし易さなどについて、これまで以上に具体的に調べてみませんか。地域住民が自分の住んでいる土地の成り立ちや災害リスクを正しく知ることが、適切な防災や減災を進める第一歩になると確信しています。