
- ――
- 本の内容についてもお聞きしたいのですが、あまり掘り下げすぎるとネタバレになってしまうので注意しつつ……。まずは円居さんの人物像に迫りたいと思います。
円居さんは、京都大学推理小説研究会(通称・京大ミス研)ご出身なんですよね。
- 円居
- そうです。ミステリ研に入りたいがために京大を受験したようなものです。僕の世代くらいまでは、「ミステリ研に入りたいから京大を受ける」という人がけっこういたんですよ。
- ――
- 京大ミス研といえば、綾辻行人さん、小野不由美さん、我孫子武丸さん、法月綸太郎さん、麻耶雄嵩さん、などなど作家の先輩方がたくさんいらっしゃる名門サークルです。いつ頃から、京大ミス研に入ろうと思われたのでしょうか。
- 円居
- 中学生の頃ですね。きっかけとなった作品は同時多発的にたくさんあるんですが、やはり最初は綾辻さん、そして法月さん、我孫子さん、そして麻耶さんです。
- ――
- 綾辻さんを最初に読んだのはいつ頃なのでしょうか。
- 円居
- 実は最初に読んだ作品は『迷路館の殺人』でした。順番として間違っていますが……。それが小学校四年生の頃ですね。
その前にはきっかけがあったんです。ちょっと不良っぽい友だちに、あかね書房の「少年少女世界推理文学全集」を薦められたんです。読んでみたら面白くって。他のミステリーも読みたくなったので、祖父の本棚からたまたま選び取ったのが、綾辻さんの小説でした。
当時はノベルスブームが起こってしばらく経った頃。ノベルスは通勤途中のサラリーマンのもの、という時代でした。僕の祖父もかつてはそういうサラリーマンの一人で、西村京太郎さんや森村誠一さんに代表される社会派のノベルスブームの牽引作家さんを読んでいたようです。
- ――
- えっ、小学校四年生でノベルス!? 鬼ごっことか、かくれんぼとかしてる年頃じゃないですか!?
- 円居
- 中学受験の準備が始まったのが小四の頃だったのです。勉強しなくちゃいけないからと、ゲームが禁止されちゃったんですよ。その代わりの娯楽が、本を読むことになったわけです。本は勉強の延長線上と見なされてOKだったんですね。
ただそのあと一度、SF方面へ行くんです。それが小五、小六の頃。星新一先生とか筒井康隆先生を読んでみたら、面白いし読みやすくて。しばらくミステリー方面からは離れていました。
中学に入り、ミステリーの畑に戻ってきます。友人から森博嗣さんの『すべてがFになる』を貸してもらったのが始まりで、次は京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』。それからその友人は自分が持っている京極さん、森さん作品を全部貸してくれました。「全部面白かったよ」と言ったら、「他の人にはあまり薦めないんだけど」と言いながら麻耶雄嵩さんの『夏と冬の奏鳴曲』を貸してくれました。それからです、ミステリーにどっぷりはまったのは。
- ――
- ミステリーのエリート教育ですね。
- 円居
- そうですね。環境がよかったんですね(笑)。
- ――
- その中学時代のお友達がいなかったら作家・円居挽は誕生しなかったかもということですね。その方とは今でも交友があんですか?
- 円居
- いまはもう連絡取っていないんですよ。いまでも麻耶さんのファンだと思うんですが……。彼がいたから、デビューできて作家になっているわけですし、一度お礼したいな、とは思っています。
その友人と本の貸し借りをし、感想を話している中で、京大のミステリ研の話が出てきたんです。当時から漠然と作家になりたい、と思っていたので、大学生が集まって作家を目指し合うなんてカッコイイな、と思ったわけです。
ミステリ研に入りたいから京大に入るなんて、何を寝ぼけたことを言っているんだ、と笑われましたけど、他に興味を持てるものがなかったんです。……というか、あまり真面目に将来を考えていなかったんですね。きっと自分の中にあったのは理想のみで、地に足のついた現実がなかったんですよ。
実際に小説を書き始めたのは、高校のときだったと思います。家に「書院」のワープロがあったので、それで書いてみよう、と。でもそんなに本気で書けなくて、長編一本くらいでやめています。
(中略)
- ――
- そしてさらに文庫化にあたって、単行本刊行時より大幅な書き直しをおこなっています。どんなところを書き直したんでしょうか。
- 円居
- BOXのときは六百五十枚。文庫は六百枚弱になっていると思います。八十枚削って三十枚書き足した感じですね。
講談社BOXの読者は若いので、それを意識して書きましたが、文庫の読者層は幅広いので、いろんな世代にわかりやすいように、設定や独特の台詞回しをばっさりと削っています。特に登場人物たちがとても饒舌だったので、その辺をかなり柔らかくしましたね。
文庫化にあたって大幅に改稿したらまったくの別物になったな、という印象です。書き始めた当初には妙なこだわりがあったのですが、社会人経験を積んだせいか、一般の感覚がわかってきました。「あ、これ普通の人あかんわ」というのが見えてくるようになったんですね。学生時代だからこそ書けたのがBOX版の『丸太町』、社会人経験を積んだからこそ、ミステリーマニア以外の人にも受け入れてもらいやすく書き直せたのが文庫版の『丸太町』です。
BOX版の「ルヴォワール」シリーズと文庫版の「ルヴォワール」シリーズでは、仕上がりが随分違うものになっています。別物でもあるのでどちらも読んで頂けたら嬉しいですね。
- ――
- 「そんなら、落ちた花活けよか」など、落花というキャラクターの関西弁は印象的です。関西出身ではない人もすんなり受け入れやすいですね。これはどこの地域の関西弁なのでしょう?
- 円居
- あれはインチキ関西弁ですね。関西弁をメインにしつつ、僕の感じている京都弁を書いたつもりです。
関西を舞台にして関西の人間を登場させる小説を書くとしたら、基本会話は関西弁にするのが筋だとは思います。だけど無理して関西弁を文字にする必要はないなと思ったんです。僕自身にそこまで関西弁についての拘りもないですから。実際京都の学生だからといって、必ずしも関西弁喋るわけじゃないですしね。だから落花以外には関西弁を喋らせていません。落花はうさんくささを出したかったので、こてこての関西弁にしたんですよ。
- ――
- 手のひらを返して着物を翻す、落花の「落花戻し」、指をビシっと相手に向ける大和の「暗剣殺」などキャラたちが派手なパフォーマンスをするシーンが印象的です。
- 円居
- キャラクターたちにビジュアル的な見せ場を作りたかったんです。京極夏彦さんの「巷説シリーズ」などの影響ですね。特に又市の「御行奉為」や林蔵の「これで終いの金比羅さんや」が大好きだったので、こんな場面をどこかに入れたい、と思ったんですよ。
ビジュアルを意識して書けるようになったのは最近のことなんです。昔、先輩から「この人、どんな格好でどこにいるの」と指摘されたことがあって。映像をうまく文字化できずにいたのですが、最近ではどういうビジュアルで、どう動くのかを考えられるようになりました。
- ――
- 『丸太町ルヴォワール』に続き、すでに刊行されている二作目『烏丸ルヴォワール』。『丸太町〜』に出てきた登場人物たちがまた新たな「双龍会」に挑戦するわけですが、これ以降にも「ルヴォワール」シリーズは続くのでしょうか?
- 円居
- 現在三作目の『今出川ルヴォワール』を執筆中です。十一月に講談社BOXから刊行する予定です。四作目は『河原町ルヴォワール』。来年早々には刊行できたらと思っています。「ルヴォワール」シリーズは四部作で終わる予定なので、『河原町〜』が最後の作品です。
タイトルにはすべて通りの名前が入っているんですけど、地図で見るとそれぞれ、横、縦、横、縦に入る通りで、すべてを線で繋ぐと京都御所を囲む形になります。『丸太町〜』は論語の話、『烏丸〜』は流の話、『今出川〜』は達也の話、『河原町〜』は撫子の話にする予定です。読み続けていくとそれぞれの過去や人物像が浮かび上がってくるはずです。
- ――
- 他に執筆中の作品はありますか。
- 円居
- 「メフィスト」に「5W1H」シリーズと呼んでいるシリーズを連載中です。一編目はミステリーの基本「フーダニット」の読み所、面白さをレクチャーしつつ、全体も小説としてミステリーになっている作品です。まだ連載中ですので、とりあえずは「ルヴォワール」四部作を完結させるのが目標ですね。
(聞き手:編集部)
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- 堀川
- 『幻想郵便局』が刊行されたら、新聞社の方や友人から、「いや、本当に面白かった!」と続々連絡が来たんです。それまではもしかしたら気を遣って面白いと言っていたのかな、と思うくらいの勢いで(笑)。今はこれが“新たなデビュー作”とも言えるかもしれませんね。
就職浪人中の主人公、安倍アズサが、「登天郵便局」でアルバイトを始めることになった。しかしそこは心霊スポットといわれる狗山の山頂にあり、そこに勤める人も客もなんだかおかしい――。
堀川さんが“新たなデビュー作かも”と語る『幻想郵便局』は2011年4月に単行本として刊行。改稿してさらにブラッシュアップした文庫版は2013年初春に刊行の予定だ。
まだ自分のやりたい仕事もよくわからないけれど、のんびりとしている主人公のアズサ、天国に行けずに迷い続けている怨霊の真理子さん、優しい赤井局長に、郵便配達の登天さん、どこにでもいそうなオジサンのルックスにしてオネエ言葉の青木さん、そしてものすごい存在感を放つ大富豪の「大奥様」こと楠本タマエ。人やら幽霊やら神様やら、濃いキャラクターがわんさと登場する。生と死のはざまという不思議な世界で彼らが生き生きと動き、読者がすんなり入りこめてしまう物語は、美しい装丁と合わせて「ほんのりと怖いのにほっとあたたかい」と評判になった。
- 堀川
- 「怖い物語」を書こうとしているわけではないんですよ。怖いというよりもむしろ、「遠い世界」を書きたいと思ってきました。
私はずっと青森の田舎に住んでいて、東京のことを知らないし、東京の人にとってのリアルな生活は描けない訳ですよね。シビアな世界をあまり知らない私が、リアルな世界を楽しく書けるか、いや、書けないと。そういうこともあって、今の生活から「遠い世界」を書きたいと思ってきたし、今もそう思っているんです。
デビュー作が日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞であることもしかり、確かに堀川作品の舞台となっている多くは生と死の境目など、「遠い世界」だ。「ありえないはずなのにリアルに感じる」のが堀川マジック。このような世界を描くまでの基礎となったものは何だったのだろう。
堀川
小説は、小学生の頃から気がついたら書いていました。学校の授業ではノートのはじめから使っているから、終わりのほうから小説を書き始めて、いつの間にか授業のノートは取らずに後ろから小説だけ書いていたりしていました(笑)。
小学校のときから、読むのは翻訳ものが多かったんです。最初に出会ったのはシャーロック・ホームズとかアルセーヌ・ルパンで、だんだんSFのような「生活から遠いもの」になっていったんですね。
思えば、遊ぶのもひとりでが多かったですね。普通に友達と外でも遊んではいましたけれど、うちで毎日のようにひとりお人形ごっこをしていました。それもレゴブロックを色別でお姫様や家来にみたてるから、お金がかかっていないんです(笑)。今日はお姫様どういたしますか? なんて独り言をつぶやきながら遊んでいました。
中学になると翻訳SFものをもっと読むようになりました。アンドレ・ノートンとか、フリッツ・ライバーとか。中学のときに出会った筒井康隆先生の『SF教室』なんて大喜びで読んで、ますます小説が書きたくなりましたね。かえって、女の子らしい『赤毛のアン』とか『小公女』などは40歳すぎてから読んで、「わ、面白い!」と言っているくらい。難しそうな本を背伸びして読むのが好きだったんでしょうね。
中学生の頃は人生の中で唯一まじめだった3年間でした。だって、塾に行って予習復習をして、美術部の活動もして、図書委員もして、それで本をたくさん読んで、本好き同士で「これが面白かった」なんて話していましたからね。どうやって時間を作り出していたのか、自分でも不思議です。
小中学生の頃から書いていた「小説」は、さらに大人になって現実的な「夢」となっていった。
堀川
小説を書いて仕事にしたいという夢は確かにありました。18歳くらいの頃、「私は理系脳がないからSFは書けない」と気づいたのですが、SFでなくても書きたいと。20歳の時、「関西文學」という純文学の同人誌があって、詩の募集をしていたんですね。そこでネタ帳にあった、18歳の時に書いた詩を応募してみたんです。そうしたら二次選考まで通りまして。それから小説の賞に作品を投稿するようになりました。9時5時で仕事して、とっとと帰宅して小説を書く日々。そうして2002年に小説すばる新人賞の最終選考に残ったときは、「この世にはこういう世界があるんじゃ!」と。もう受賞する気満々でした。
残念ながら最終で落ちたのですが、2006年に『闇鏡』で日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞をいただくことができました。8月に発表になり、11月に単行本でデビューさせていただいたんです。
(中略)
8月末には「胸あたたまるほんわか恐怖」第三弾ともいえる『日記堂ファンタジー』が発売されたばかり。
堀川
『日記堂ファンタジー』は、涼んでもらいたいなと思って書きました。都会の夏は暑いでしょう。コンクリートに囲まれてもいるし。それで山の中を舞台にして、いろんな意味で「涼んで」もらおうと。
日記って、処分するともったいないじゃありませんか。作家の方の日記は、大先輩の日常が垣間見えて面白いけれど、「読ませる前提」で書いていることも多いですよね。普通の人の日記はそうではなくて、知り合いに読まれるのはちょっと嫌でもある。でも一生懸命書いたものがちょっともったいなくないですか? だから「日記を売る店」があり、わりと世俗的な悩みを抱えている人の問題を不思議と解決してしまう話なんてどうかな、と思ったんです。
この作品、山の中のお茶畑が最初の方に出てきますけれど、ちょうど執筆の頃期せずして実際にそのような雑木林に行くことになったんです。旧友宅に招待してもらいまして。イノシシやウサギが出るようなところで、空気がお花のにおいがして、自動車の音とか全然しなくて。
ぜひ、涼んでください。風鈴が頭の中で鳴ります。「お寺に行ったときの涼しさ」を感じていただけると思いますよ。
疲れた時、暑い時、和みたい時、そして新たな面白い小説を読みたい時――堀川さんの作品は、きっとあなたを助けてくれる。
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- ――
- 前代未聞の“労働組合エンターテインメント”小説『ともにがんばりましょう』が話題をよんでいますが、この作品はどういったところから着想を得たのですか。
突然やって来た“労働組合”体験
- 塩田
- まずは、はからずも僕が組合を経験してしまったことでしょうか。小説現代長編新人賞をいただいた『盤上のアルファ』でデビューして、二作目を書かなあかんという、言ってみれば非常に大事なときに、突然労働組合の役選(役員選考)メンバー四人に「教宣(注:「教育」「宣伝」の略。労働組合の広報的な仕事)やってくれへんか」と声を掛けられたんです。正直労働組合にはなんの興味もなかったので、「空気を読まれへんのか!」と、ちょっと怒ったんですね。
- ――
- デビュー時は、神戸新聞の記者をなさっていたわけで、日々のお仕事も大変お忙しかったと伺っています。塩田さんが作家デビューしたということは、社内でも知られていたんですか。
- 塩田
- もう、みんな知ってましたよ。何しろ受賞の記事を自分で書かされたくらいですから(笑)。小説と記者の仕事の両立で、しんどいというのは分かってたはずなんです。最初は上司に盾になってもらって、なんとか断ろうと思っていたのに、いつの間にか外堀を埋められて、遂には新委員長と直接やり合って、「やるからには絶対小説にします!」と宣言したうえで引き受けてしまったんです。そこからは、仕事・小説・組合と三足の草鞋を履くことになりまして、一年間ひたすらパソコンのキーを叩いてました。作中にもエピソードとして使っていますが、腱鞘炎にもなり手にシップ巻いてました。しまいにはパソコンのエンターキーがポーンと飛びましたからね(笑)。
- ――
- 主人公、武井涼そのものですね。そんな調子で半ば強引に始まった、組合と塩田さんの関係ですが、実際活動に身を投じてみて、どんなことを感じましたか。
- 塩田
- 最初はとにかく面倒だったし、嫌で嫌で堪らなかったですから、メチャクチャに書いてやろうと思ってたんです。ところが、続けているうちに、誰かがこれをやらないと、経営側の思いのままやな、現場の声を直接届けるには、組合の存在が絶対に必要なんだと、少しずつ感じるようになりました。団交の場に出たり、他の労組との交流を通じて、過渡期にある新聞社というマスコミのあり方みたいなことを客観的に見ることができたように思います。実は、組合の仕事を引き受けた頃にはもう会社をやめるつもりでいたので、組合活動をしながら新聞社というものをあらためてじっくり捉え直す機会をもてたんですね。十年続けた新聞記者という仕事について、退社を機に何か書いてみたいと思っていましたが、「労働組合」の活動が、気がついたら最適なフィルターになってくれていました。
(中略)
関西が育んだ“笑いのDNA”
- ――
- 続いて、デビューから着実にキャリアを積み上げてきた塩田さんご自身についても伺いたいと思います。今回の作品では「全開」といってもいいかと思うのですが、その秀逸な“笑い”のセンスは、どのように磨かれてきたのでしょうか。
- 塩田
- 関西で生まれ育ったのが大きいんでしょうね。幼い頃は、兵庫県の尼崎という街にいまして、ここは「ダウンタウン」の出身地なんです。子どもの頃、男の子が権力を得るには喧嘩が強いのが一番だと思いますが、もう一つやり方があって、それは“面白い”ということなんです。僕はその路線でいくことにしたんです。八つ年上の姉がとにかくお笑い好きで、姉の好きな一世代上のお笑いの影響を、ずっと受け続けて育ちました。
――
実際、お笑いの世界を目指していたこともあったそうですね。
塩田
高校生の時に「セクションサーティーフォー」というコンビを組んで、舞台にも出てました。でも全然ウケなくて、五分以上滑り続けてると、なんだか精神的につらくなってきて、それに耐えられずに解散してしまいました。相方と二人で学校を休んで、漫才の大会にも出てたんですけどね。
――
東京にいると、ついつい関西の人には笑いを求めてしまいますが(笑)。
塩田
ずっと関西育ちでしたから、労働組合の交流で、初めて東京の人たちとやり取りをした際、最初から最後までまったく笑いのない会話があることにびっくりしたんです。
僕はそれに罪悪感を覚えてたんですが、東京の人はそれが普通だということが、かえって衝撃的でした。でも、そのときに気付いたのは、関西人には、面白いことをキャッチするアンテナが特別に備わってるんだということでした。面白いことに気付けるから、結果的に笑う回数が多くなるんですよね。基本的に人間同士の会話を楽しむ文化が根付いているんでしょうね。
(中略)
書くことで“人間”を突き詰めたい
- ――
- 実体験を色濃く投影した作品ゆえに、塩田さん自身の成長もそこここに書き込まれているようですね。転換点ともなった『ともにがんばりましょう』を書き終えて、この先の塩田さんは、どんなテーマに挑んでいくのでしょうか。
- 塩田
- 芸人が“笑い”を突き詰めていく仕事だとしたら、“人間”を突き詰めていくのが小説だと思っています。ですから次は、人間臭さをとことん書きながらも、ページを繰る手が止まらないという作品を書こうと思っています。これはなんとか文章にしたい、と思っているものがたくさんあるので、一つ一つ具現化していきたいです。会社員を辞めて作家に専念したことで、その自覚もより強くなりました。書いている最中は、敗北もあるし、ちょっと勝つこともある、そんな感覚を味わえることがやっぱり好きで堪らないですからね。
(聞き手:編集部)
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「宇宙の物語」に魅せられて
- ――
- 時は二〇三一年、地上と宇宙を行き来する“宇宙エレベーター”のメンテナンスマンの日常を描いた『宇宙へ』が、この九月二十日に刊行されます。福田さんにとって、「宇宙を舞台にした物語」とは特別なものなのでしょうか?
-
- そうですね。私は子どものころから小説や漫画を書くのが好きで、大学ノートに書いては友だちに読んでもらっていました。一応連載のような形式をとっていて、盛り上がる手前でお話を区切って「つづく」としてみたり(笑)。テレビ放映されていた『大空魔竜ガイキング』というロボットアニメを小説化したようなものを書いてみたのは小学生のときです。
十代のころは、SFにどっぷり漬かっていました。中学、高校とアイザック・アシモフやラリー・ニーヴンなど、外国作品を中心に読み漁っていたんです。
当時はすっかりSFに傾倒していましたから、自分でもSFを書いてみたいと思うようになりました。ですが、納得のいく作品を書くには、高校生の知識ではとてもじゃないけれど歯が立たないな、と気づきまして。
- ――
- 新しく何か勉強されたのですか?
-
- 勉強といっても、何をどう学べばよいのか分からなかったのですが、とりあえず理系の本を読めるようになりたい、と進路を決めました。
- ――
- それで大学は工学部に進学されたのですね。戦略的で脱帽します。
-
- いえいえ、私は数学が全くできなかったものですから、先生に「無理だ。やめておけ! おまえは絶対文学部だろう」と止められましたが、意地を張ってなんとか理系の学部へ潜り込みました。けれども、卒業後の就職先はなんと銀行。銀行ではシステムエンジニアとして、長くシステム部に在籍していました。
(中略)
初めて宇宙を描いた
――
いよいよ、待望の新刊『宇宙へ』について伺いたいと思います。デビュー六年目、十五作品目にしてやっと講談社に順番が回ってまいりました。ありがとうございます。
こちらこそありがとうございます。乱歩賞作品が好きだった自分が、やっとここまで来られました。めでたしめでたし、みたいな(笑)。
――
福田さんにとって思い入れの深い「宇宙」が舞台の小説を初めて書かれました。でも、ロボットや未知の生物が登場するようなタイプのSFではありません。
はい、ちょっと違いますね。宇宙を舞台にしていながらも、誰にでもサクサク読めるものを書きたいと思いました。
――
過去の小説に出てくる「宇宙」というと、「未来」「非日常」「憧れ」のような単語と結びつきやすかったと思います。ですが、『宇宙へ』で広がる世界は日常風景とあまり変わりませんね。
今回もスケールの大きな話を書きたいなと思う一方で、主人公は自分が親近感をもてるような人間にしたいと考えたんですね。宇宙だから主人公は「宇宙飛行士」とすれば格好いいんですが、私が宇宙飛行士になれるかといえば難しすぎるので、パスしようと(笑)。「私が行ける宇宙」を想像しながら、出てきた主人公が、宇宙エレベーター〈スペース・カーゴ〉のメンテナンスマンの原田拓海です。
私はもちろんハリウッド映画のようなスタイルも好きですが、書き手としてはニッチを狙いたいという気持ちが常にあります。誰も書いていない「隙間」を書きたいんです。宇宙エレベーターのメンテナンスマンというニッチな仕事、でもエレベーターができればきっと必要になるだろう仕事を想像して、物語を広げていくことにしました。
(以下略)
続きはIN★POCKET9月号をご覧ください。
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ちょっと周囲には相談しづらいセックスのお悩み。
四人の悩める女性から寄せられた質問を、石田衣良さんにお答えいただきました!
Q 彼と結婚したいと思っています。でも、浮気がやめられません。(28歳)
-
- 私には常に浮気相手がいます。いまの恋人とは付き合って四年半、同棲して一年半で、一年前からセックスレスです。彼は仕事も優秀で、お互い価値観も似ているので、いずれは結婚したいと思っています。一方、浮気相手には恋愛感情はなく、会ってセックスするだけの関係です。結婚したら不倫はしたくないと思っていますが、夫一筋になれるのか不安です。彼との結婚は正しいのでしょうか?
A (略)
Q セックスの相性はいいけれど、彼との将来を想像できないんです。(32歳)
-
- これまで恋愛相手には困らなかったほうだと思います。しかし32歳になって出産のタイムリミットも近づき、そろそろ結婚しようかと焦り始めています。恋人は39歳で、一緒にいると楽しく、身体の相性もいい。ですが彼との結婚や、十年後に二人で一緒にいる姿を想像できません。いい彼ですが、結婚相手としてはどうなのでしょう?
A (略)
Q 結婚六年目でセックスレスに。浮気してしまいそうです。(42歳)
-
- 二歳年上の夫とは子どもが産まれた二年前からセックスレスです。私から誘っても「疲れている」と断られてしまいます。夫に浮気の気配は感じられませんが、二年間もセックスをせずにいられるものでしょうか。私はこのままだと浮気してしまいそうです。単なる身体の関係と割り切れれば問題ありませんか?
A (略)
Q 結婚し、子どももいますが、実はエクスタシー未経験です。(29歳)
-
- 夫はいい人だし、子どもはかわいいし、このままで十分幸せなのかなとも思います。ですが女の人生、一度もイッたことがないまま終わったら寂しいですよね? 夫とのセックスはマンネリで、最近ではセックスで盛り上がることもなくなってしまいました。マスターベーションも試しましたが、気持ちいいけれど、「イク」という感覚がよくわかりません。
A (略)この女性、目覚めてしまったら30代はすごいことになってしまうかもしれないな。その日を楽しみに、諦めずに楽しみながら頑張って(笑)。
石田さんのお答えはIN★POCKET9月号をご覧ください。
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