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政治
【土・日曜日に書く】ワシントン支局長・佐々木類 オスプレイで尖閣視察を
いじめられっ子
ずいぶんとなめられたものである。わが国を取り巻く国際環境は歴史認識や領土で出来の悪い近所の不良に因縁をつけられ、経済協力という金銭を巻き上げられる東アジアの「いじめられっ子」の構図そのものだ。野田佳彦政権や日本国民もまさか、日本が金持ちで国際社会の優等生だからそれでも構わないとは思っていまい。国民の生命、財産、領土を守るには、政府がやるべきことを粛々とやり、それを国民が支持していかねばならないことは歴史が教えている。
現在の日中関係は、19世紀末に清国が北洋艦隊を率いて日本を恫喝(どうかつ)するために来日した際と酷似している。1886(明治19)年8月、巨艦「定遠」「鎮遠」など、4隻の北洋艦隊が名将、丁汝昌提督に率いられて長崎沖に投錨(とうびょう)した。
清国内で、「日本征伐」論が高まっていたころで、上陸した清国水兵数百人は繁華街で飲酒、略奪を尽くし、日本の警官ら2人が殺害され、29人が負傷した。「清国長崎水兵暴行事件」である。日本政府は「眠れる獅子」を刺激しないよう穏便な対応に腐心し、結果として清兵の横暴を許した。
北洋艦隊は91年にも「定遠」など6隻を率いて横浜に来港した。日本帝国海軍生みの親、旧幕臣の勝海舟ですら腰を抜かすほどその威容に驚嘆し「世の中の惰眠を警鐘しなくちゃぁいけねぇよ、と新聞記者に語った」(「清国北洋艦隊来航とその影響」愛知淑徳大、朝井佐智子著など)。
新聞でことの重大性を知った国民は、海軍の整備に理解と支持を与え、最後は日清戦争で北洋艦隊を撃破、定遠を海底に葬った。
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