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政治
【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂 領土保全を怠ってきた政府
当時は中国の軍事力も経済力も今ほどではなかった。日本の領有権を中国に認めさせる機会を逸したといえる。
中国の抗議で政府動揺
その後、福田内閣から大平正芳内閣に代わり、領土保全策に変化の兆しが見られた。54年5月、森山欽司運輸相は尖閣諸島の実効支配を確立するため、最大の島、魚釣島に仮ヘリポートを建設する計画を明らかにした。
仮ヘリポートは同月下旬に完成し、尖閣諸島の地質、動植物や周辺の海中生物などを調べる学術調査団31人がへリコプターや巡視船で魚釣島に派遣された。
しかし、これに中国が抗議し、政府内が動揺した。園田外相は衆院外務委員会で「日本の国益を考えるなら、そのままの状態にしておいた方がいい」と仮ヘリポート建設や学術調査に反対の意向を示し、閣内不一致が露呈した。
大平内閣は調査を予定より早く切り上げさせた。その後、尖閣諸島に本格的なヘリポートや漁港、灯台などを建設する構想が一部で浮上したが、いずれも中国への配慮から先送りされた。
中国は解決を次世代に委ねるどころか、1992(平成4)年に尖閣を自国領とする領海法を制定し、2004年には中国人活動家7人が魚釣島に不法上陸した。
また、1996年9月、当時のモンデール駐日米国大使は米ニューヨーク・タイムズ紙で、尖閣諸島について「米軍は安保条約により介入する責務はない」「米国にとって、尖閣の地位は防衛条約が存在しない台湾の地位と似ている」などと発言した。
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