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京都・祇園を愛した明治〜昭和期の歌人、吉井勇(1886〜1960)が18歳の時、明治歌壇を代表する与謝野鉄幹に投稿した初期の短歌58首の直筆原稿が見つかった。吉井が「いさむ」とした筆名を鉄幹が本名の「勇」に直した跡も残り、作家名が決まる経緯が初めて明らかになった。
専門家は「歌人誕生を示す貴重な資料」と評価している。
鉄幹あての投稿作は1905(明治38)年8月11日付の封筒入りで、和紙9枚に墨で書かれていた。京都府宇治市の神居文彰・平等院住職(49)が今春、東京・神田の古書店が入手したと知って購入した。
投稿作58首のうち16首は朱色で丸印が付けられ、鉄幹が主宰する短歌雑誌「明星」(同年9月号)に掲載された。落選の42首はすべて未発表の作品だった。