尖閣問題、日本はもう日米同盟に頼れない
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- 2012/8/30 7:00
沖縄県・尖閣諸島の魚釣島(奥)へ向かう抗議船(中央)の進路を阻む巡視船(15日、第11管区海上保安本部撮影)=共同
日米の安全保障同盟は、尖閣諸島をめぐる日中の危険な論争に、1つの力学的要素となってきただろうか。また今後、この問題を解決もしくは対処していくうえで力学要素となるだろうか。状況を注視していれば、いずれの問いの答えも「否」であることは明白だ。
だが日米が両国関係の土台としてきた前提が崩れていること、さらには米国が支配するアジアの安全保障体制(ワシントンDCの戦略国際問題研究センター=CSISが発表したアーミテージ・ナイ報告書『日米同盟:アジアの安定を強化する』の核心)そのものが妥当性を失っていることを考慮すれば、「日米同盟が尖閣問題の力学要素でないとすれば、なぜそうなのか」と問い直す必要がある。
これは厄介な問題だ。というのも、ここには日米中3カ国の戦略的な力関係をめぐる非常に明確な(不可逆的、といってもいいだろう)潮流が反映されているからだ。潮流はどのようなものか、また3カ国はどこに向かうのか。
この問いに答えるには、オーストラリア国立大学で戦略論を教えるヒュー・ホワイト教授の新著『The China Choice: Why America Should Share Power』(2012年。邦訳未刊。直訳すると『中国という選択肢:米国がパワーを分け合うべき理由』)の分析を要約するのが一番良さそうだ。
ホワイト氏はまず、アジアでは約60年にわたって米国が“無敵かつ不変の”軍事的、地政学的な優位によって戦略的に君臨してきたのであり、アジア諸国はその恩恵を享受してきたと指摘する。この米国の地位は主に海軍、空軍、そして核の軍事力に依拠していた。「無敵」というのは、アジア地域には米国に比肩する軍事的ライバルが存在しなかったということだ。米国以外は実質的に依存国(経済力に集中して軍事的には依存国の立場に甘んじていた日本、台湾、フィリピンなど)、もしくは本格的な脅威にはなりえない弱小国(21世紀初頭までの中国)だった。