2012年09月16日

一緒に泣いてください。

読売捏造記事制作会社の新聞を購入している読者が可哀そうでならない。

『最後のパレード〜ディズニーランドで本当にあった心温まる話』

本書を執筆するにあたって、以上の書籍、また多くのディズニーランド関係資料、元ディズニーランド関係者の方々、関連サイトの情報を参考にさせていただきました。
この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。

『ディズニーと我が子』

旦那の上司の話です。亡くなったお子さんの話だそうです。
主人の上司のA課長は、病気で子供を失いました。当時5歳。幼稚園でいえば、年中さんですね。原因は分かりません。不治の病だったそうです。
Aさんも、Aさんの奥さんも絶望の淵に立ったそうです。奥さんは、突然Aさんに皿を投げつけたりするDV行為を行ったそうです。ストレス発散だったのでしょうか。
Aさんは事情が理解できていたので、黙って見守っていたそうです。我が子を失った思いというのは、自分さえ深く深く傷ついている。ましてや、奥さんは自分が仕事でいない間もずっと一緒だった。たとえば入院してからも、自分は仕事で病院に行けない日があったのに、奥さんはずっと通っていたわけです。Aさんも悪いなあと思っていました。その時点では、いずれ退院したら、どっか連れて行こうか、女房と子供はディズニーが好きだから、連れていけばいいや、と軽く考えていたそうです。その矢先のお子さまの突然の天界。Aさんも自分の過ちを気づいたそうです。その時、その一秒でも子供と、奥さんと共に接していれば、わずかな時間でも共有していれば、たとえ結果は一緒だったけれど、過程は全然異なる。そう自責の念に駆られたそうです。
子供を失った夫婦というのは、とてつもなく大きな暗い穴が広がるそうです。我が子はうざいと思う時もありますが、いざ、最初からいないと仮定すると、それは考えられない。失う、消えるという事態が突然自分の事になるのはとても理解できないと思います。そういう場面にAさん夫妻は直面したわけです。その後は毎日が夫婦喧嘩。一方的に奥さんが罵るわけですが、Aさんも耐えてるんでけども、悪いとは思いながらも、時折言い返してしまう。メビウスの輪の悪循環。
Aさんと奥さんは精神的にボロボロに崩れ落ちていました。当時A課長は、私の旦那を送ってきた際に『きみの子たちは元気だね。それは結構幸せな事なんだ。ゼロになるというのは本当に信じられないことなんだ。気が狂うよ』と言ってました。涙目で。
 後々になって話を聞くと、実際に、備長炭を用意していたそうです。死ぬ一歩手前。
そんな時な話です。
『ディズニーランドに行ってみようか』。そう思ったA課長はその考えを奥さんに言いました。なぜならその日は生きていれば我が子の誕生日だったからです。それに、子供は病院で息を引き取る前に、ミッキーのぬいぐるみを抱いていたほどディズニーが大好きだった。Aさんは、子供が亡くなるまで毎年、ディズニーランドで子供の誕生日を祝っていたのでした。今年も生きていれば当然ながら行っていた。自分の家のイベントだった。それを思い出したんです。それで一周忌に子供の約束は守ろうかって思ったんですね。
Aさん夫婦はディズニーランドに行きました。最初は後悔したそうです。
すれ違う親子連れ。ミッキーの帽子をかぶってじゃれ合う親子連れ。同い年であろう子供を見るたびに涙がこぼれそうになったそうです。だって我が子も一緒に来ていれば同じことをしていたわけです。手の温かさを思い出したそうです。『パパ、ママ』。亡き子供の声を何万回も聞いたそうです。 もし、自分の子供が生きていたら、こんなふうに乗り物に乗っていたんだろうか。こんなものを一緒に食べて喜んでいたのかなあ。ディズニーランド内を歩くたびに亡くなった子供の笑顔ばかりが頭に浮かんだそうです。
Aさんは『来なければよかったよ』と思ったそうです。奥さんも同じことを考えていたのか、Aさんを睨み付けるばかり。『帰ろうよ』、さらに『あなたは私に悲しみを与えるばかり』、『最悪の夫だよね』とも言われたそうです。宣告ですね。
 Aさんは、ふと、そんな奥さんを見て思ったそうです。
 ぼくと一緒にいるから彼女は子供のことを思い出し、救いようのない泥沼から這い上がれずにいる。それは自分も同じだ。お互いに幸福になるには?
 導き出した結論は離婚でした。子供を亡くした親は必ず離婚を意識するそうです。理由はこれ以上、子供のことを思い出して、互いに傷つきたくはないから。それが天国にいるであろう、我が子に対しての償い。償いとは、自分自身に対する運命のカルマです。
 真剣に離婚を考えながらもA課長は、予約してあるレストランへ行きました。
 そこではお互い、言葉は交わすことはなくても、これが一緒に取る最後の食事であることはなんとなく、感じていました。
 子供が生きていたら喜ぶであろう、ミッキーマウスのショーが見れるレストラン。これが最後の晩餐になるんだろうなぁ、と夫婦共に考えていたそうです。
 A課長は自分の心は死んだ子供にある。奥さんも亡くなった子供だけしか考えられなくなっている。どんなに思おうが、子供は生き返らない。苦痛のジレンマ。だけど、二人にとっては決して忘れることができないし、忘れる気持ちも毛頭ない、楽しい日々の思い出がある。共有する楽しい思い出と、それに残酷なまでに続く悲しい思い出。子供の笑顔が脳裏で蘇るたびに、罵り合い、互いに傷つけ合う。レストランに入り、
「予約していたAですが」、と伝えると、係の者(キャスト)は席に案内してくれました。テーブル席。空席がありますが、それは亡くなった子供の席です。
Aさんと奥さんの間にある一つの空席。ポツンと。
あいにくと、その日は非常に混んでおりました。日本はおろか、アジア中から客(ゲスト)が来ていたから当然です。
 Aさんの席は二人だけなのに、4人掛けのテーブル。席を譲るーAさんもちょっぴり悪いかな、と考えました。そんな時に、キャストは来て言いました。
『お客さま、大変申しわけございませんが、御夫婦さまでしたら、二人掛けのテーブルに移っていただけないでしょうか?御家族連れに困っているお客さまのために』
 そう言ったそうです。夫婦だけなら、もっと小さなテーブルに行って、大きなテーブルは待ち疲れたファミリーに譲る。それはディズニーに限らず、レストランで食事を摂る者の当たり前のマナーですね。
 だけど、Aさんは「悪いな」とは思いつつ言いました。
『混んでいるのは分かるんだよね。できることなら僕だって席を譲りたい。でも、実は、昨年、私たちの子供が病気で死んだんだ。今日は、私たちの子の誕生日なんだ。私たちは子供の誕生日を祝ってあげたい。この真ん中の席には、子供が座る予定だったんだ。約束していたんだ。二人だけであれば当然、席を譲ろうかとも思うんだけれど、亡くなった子のバースディだから、大変申しわけないんだけど、このままでいさせていただけないだろうか』
 と言ったそうです。そのキャストは、しばらく考えると、
『お客さま、それは大変失礼な事を言ってしまいました。大変申しわけございません。どうぞ、このままの状態でいらっしゃって下さい』
 と言って去って行ったそうです。
 しばらくして食事が来ました。注文したのは二人分のフレンチのコースだったのに、なぜか三人分が来たそうです。しかも、真ん中の席にはきちんとお子さまランチが置かれたそうです。ドリンクはオレンジジュース。Aさんはキャストを呼びました。『自分たちは子供の分までは注文していない』と。すると、
『これは店のサービスです。お子さまの分はお店のサービスです』
 そうキャストは言ったそうです。
 しばらくして、天井の明かりが少しばかり落とされたかと思うと、突然、アナウンスがありました。
 Aさん夫妻は何だろう?と思い、マイクの発信先に目をやりました。すると、そのキャストが大きなケーキを持っていました。それもバースデーケーキを。
『みなさな、大変申しわけございません。本日は特別な日です。ここにいらっしゃる方のお子さまの誕生日なのです。どうかみなさま、いっしょにハッピーバースデーを一緒に歌ってはいただけませんか』
 そう言うと、音楽と共に、ケーキをAさんのテーブルに運んできてくれたそうです。幾人ものお客さんが、音楽に合わせて、ハッピーバースデーを歌ってくれたそうです。
 テーブルに運ばれてきたケーキ。
 すると自然に蝋燭の火が消えたそうです。理由は分かりませんが静かに消えた。
 Aさん夫婦が立ち上がってお礼のために頭を下げると、拍手が起こったそうです。おめでとう。おめでとう。
 やがてショーが始まったそうです。ミッキーのショーですね。
 そのとき、Aさん夫婦は、奇跡を見たそうです。真ん中の席に、誰もいないはずの席に、我が子が座っている。ミッキーの踊りを見て喜んで手を叩いている。
 ああ。ああ。君と一緒に見たかったんだよ。Aさんは涙目になりながら、我が子、生前の我が子からは少し成長した我が子を見たそうです。笑顔で喜ぶ我が子を。
 横に目線を走らせると、Aさんの奥さんもハンカチで目頭を押さえて、同じように、空席に座る少し成長した我が子を見ることを体験したそうです。
 そのとき、夫婦で悟ったそうです。
 ぼくたちは間違っていたのかもしれないね。ぼくたちが喧嘩ばかりしていたら、亡くなった子供はますます悲しくなってしまうよね。悲しみがひどすぎて、天国へもいけないね。 ぼくたちは間違っていたんだ。子供のことは忘れてはいけない。だけど、前に進まなればならないんだね
 そう、夫婦で一瞬にして悟ったそうです。その直後、真ん中に座る子供はAさんと奥さまを右、左とゆっくりと見て、微笑んだそうです。声は出すことはなかったそうですが、こう聞こえたそうです。
『ありがとう。ありがとう。パパとママ、ありがとう』
 やがてショーが終わり、店内に明かりが再び灯りました。Aさん夫婦の間には手を付けられていない料理が一つ。
 だけど、いま体験した奇跡は夫婦は本物であると疑いを持つことはありませんでした。二人手を握り締め合って、ディズニーランドを後にしたそうです
<転載終了>

この記事をどうしても加工して載せたいと編集長は申し出ました。そして、以下のように加工されました。

娘のいないテーブル

私は娘を病気で失いました。
当時5歳、もしも幼稚園に入れていたら年中さんです。ひらがなとカタカナが読めるようになり、いろんなことに興味を持ちはじめたころ、突然病気にかかり、原因がわからず、治す手だても見つからないまま他界してしまいました。
娘の死は、私たち夫婦をたいへん苦しめました。
とくに妻は精神が不安定になり、私と少しでも意見がかみ合わないといきなり大声で泣き叫んだり、食器を投げつけたりするようになりました。
私ももちろん娘を失って深く傷ついていました。でも、妻の苦しみを理解していたつもりなので、彼女のヒステリーはいつも黙って見過ごしていました。妻は私が仕事で家を空けている間もずっと娘と一緒でしたし、娘が病気になり入院してからもずっとそばに付き添っていたのです。私は残業を理由に、病院へ行かないこともしょっちゅうでした。
ずっと妻に対して悪いなとは思っていました。でもいずれ娘が退院できたとき、どこかへ遊びに連れていけば埋め合わせができるだろうと、気楽に考えていました。
そして仕事先で娘の訃報を聞いた瞬間、私は自分の大きなあやまちに気がつきました。なんというかけがえのない時間を見過ごしてしまったのだろう。もっと長く、1分でも長く、娘と一緒に過ごしていればよかった。たとえ死を避けられなかったとしても、最期を看取るまでずっとそばにいてあげたかった。本当に後悔しました。
子どもに先立たれた夫婦のこころには、先行きの見えない真っ暗な穴が、どこまでも大きく広がっていくと言います。実際、そのとおりだと思いました。ときどき、うちの子はやかましい、言うことを聞かなくて憎らしい、と感じることがあったとしても、その子が最初から「いない」という日常を仮定してみると、その先のことはもうなんにも考えられません。我が子を失うという事態は親にとって、自分たちのこととしてまったく理解できないのです。
喪失感に耐えきれなかった私たち夫婦は、ただ毎日けんかを繰り返すしかありませんでした。私もいけないとは思いつつ、ときどき言い返してしまうことがありました。状況はどんどん悪くなっていきました。そんな風にして私たちは精神的にも、肉体的にも疲れ果てていきました。
ある日、妻と近所を歩いていたときのことです。彼女は言いました。
「ただあの子が元気なだけで幸せだったのに。突然いなくなっちゃうなんてつらすぎるよね。私たち、これから一体なにをすればいいんだろう。今までなんのために一緒に暮らしてきたんだろう。よくわからなくなった」
妻は目にいっぱい涙をためて、公園で遊ぶ子どもたちを眺めていました。あとで聞いた話ですが、妻はこのときいつでも娘の後を追えるよう、家に練炭を隠していたそうです。
「ディズニーランドに行ってみようか」
ある日、私はふとそんなことを思いつきました。そして少し迷ったあと、その考えを妻に提案しました。
「なんで、突然」
「いちおう約束だったし」
生きていれば、その日は娘の誕生日だったのです。本来ならばお祝いをしてあげたはずだし、もしそのとき娘が元気に歩き回れるようだったら、大好きなディズニーランドへ遊びに行っていたはずだからです。そう約束していました。娘がベッドの上で息を引き取るまで、ずっとミッキーのぬいぐるみを手離そうとしなかったことも強く印象に残っていました。
「いやよ。いい年した夫婦だけで行ってどうするの」
いいじゃないか。私は元気をふりしぼって言いました。
「我が家の最後のイベントなんだから」
私たちは夫婦二人でディズニーランドに行きました。
そしてすぐに後悔しました。幸せそうな親子連れとすれ違うたびに、胸がしめつけられる思いをしたからです。ミッキーの帽子をかぶって楽しそうにじゃれ合っている
親子。カメラをかまえているお父さん、子どもの手を引くお母さん、大声ではしゃぎまわる子ども。特に同じくらいの年であろう子どもを見るたびに、熱いものがこみ上げてきました。私たちも本当は同じことをしているはずだった。小さな手のあったかさを思い出しました。「お父さん、お母さん」と私たちを呼ぶ声がよみがえりました。もし娘と一緒だったらどのアトラクションに乗っていたんだろう。どんなお菓子を食べながら、どんな話をしながら歩いていたんだろう。園内のどこに目をやっても、娘の笑顔ばかりが頭に浮かびました。
「来なければよかったのかな」
妻も同じことを考えていたのか、厳しい表情で私を見ました。
「帰りましょうよ。しょうがないのよ。あなたといても悲しくなるだけなのよ」
私は、その言葉を宣告として受け止めました。
一緒にいるから子どものことを思い出してしまう。それは私も同じ気持ちでした。
この救いようもない泥沼から這い上がるためには? お互い、新しい幸せを見つけるためには? 導き出せる結論は一つしかありませんでした。
子どもを亡くした夫婦は、必ず離婚を意識するそうです。お互いに今以上、傷つきたくないと思うからです。またそうすることが亡くした子どもに対する、一番の償いだと考える夫婦もいるようです。
それぞれに思いを巡らせながらも、私は予約してあったレストランに妻を誘いました。これが夫婦にとって最後の食事になるだろうことは意識していました。
娘が生きていたらさぞ喜ぶだろう、ミッキーマウスのショーをすぐ近くで見られるレストランです。心の中は亡くなった娘のことでいっぱいでした。なにを食べてもきっと味なんてわからないでしょう。子どもを思い出したくない、でも忘れたいとも決して思いません。一緒に過ごした楽しい思い出は、夫婦だけで共有している。楽しかった分だけ悲しい記憶が、これから残酷なまでに長く続いていく。そんな絶望の波が押し寄せるたびに、夫婦の間に重いため息がこぼれました。
「お待ちしておりました。こちらにお席をご用意しております」
キャストのあとについていくと、店内全体がよく見わたせる広いテーブルに案内されました。空いている椅子は、亡くなった子どもの分です。それは私と妻の間にぽつんとありました。
あいにくその日は非常に混んでいました。それなのに私たちは余分に席をとっています。どう考えてもほかの家族連れに席をゆずるべき状況です。ひとりのキャストが
近づいてきて言いました。
「お客さま。大変申し訳ございませんが、ご夫婦さまでしたら、二人掛けのテーブルに移ってはいただけないでしょうか。ご家族連れでお待ちになっているお客様が大勢いらっしゃいますもので……」
まったく言うとおりでした。ディズニーランドに限らず、レストランを利用する人にとって当然のマナーでしょう。しかし私は申し訳ないと思いながら言いました。
「混んでいるのはわかっているんです。できることなら僕も席をゆずってさしあげたい。でも実は昨年、娘を病気で亡くしていて、今日はその子の6回目の誕生日なんです。本当はこの真ん中の席は、子どもが座る予定だった。約束していたんです。だからわがままを言って申し訳ないですが、もう少しだけこのテーブルにいさせていただけないでしょうか」
真剣な表情で耳を傾けていたキャストは、すこしうつむいたあと「お客さま。それは大変失礼なことを申し上げてしまいました。どうぞそのままゆっくりおくつろぎくださいませ」と言い残し、テーブルから離れていきました。
しばらくすると食事が運ばれてきました。注文したフレンチのコースは二人分だったのに、なぜかもう一人分の料理が真ん中の席に置かれます。オレンジジュースも頼んだ覚えがありません。私はあわててキャストを呼び戻しました。
「子どもの分は注文してませんよ」
キャストは笑顔でこたえました。
「お子さまの分は私たちのサービスです。どうぞお気になさらないでください」しばらくすると天井の照明が少し落ちて、みなさま、食事をお楽しみのところ申し訳ありません≠ニいうアナウンスが流れました。
なんだろうと思い、声がする方を見ると、ろうそくの火がついたケーキを片手に持って、行儀よく立つキャストの姿がありました。
本日は特別な日です。ここにいらっしゃるお子さまの誕生日なのです。どうかみなさま、よろしければご一緒にバースデイソングを歌ってください
店内にBGMが流れ出すと、ケーキを持ったキャストがこちらに歩いてきました。するとおおぜいのお客さんが一斉にこちらを向いて、手拍子をしながらバースデイソングを歌ってくれました。
テーブルに置かれたケーキの、ろうそくの火が消えました。どういうわけか自然に消えたのです。
もう一度盛大な拍手をお願いします
私と妻が立ち上がっておじぎをすると、おめでとう、おめでとうという声が上がり、大きな拍手につつまれました。
そのままショーがはじまりました。そして私たちは奇跡と出会ったのです。真ん中の席に子どもがいる。誰もいないはずの席で、子どもがミッキーのダンスを見ながら笑っているのです。
ああ。そうだ。そうだ。きみと一緒に見たかったんだよ。私は涙があふれるのもかまわなかった。ただ、娘が手を叩いて喜ぶ姿を見つめました。前よりも少し大きくなった気がしました。うん、大きくなった。はなをすする音が聞こえました。妻も唇を震わせながら娘を見つめていました。
「僕らは間違っていたのかもしれない」
妻は私の言葉には答えず、ハンカチで目をおさえました。
「別れても、この子が喜ぶはずないじゃないか。僕らがこんな状態じゃ、安心して天国にもいけないんだ……。たしかにこの子がいなくなってすごくつらい。それでもきっと、僕らは今よりもっと前に進まなければいけない」
「ねえお父さん、お母さん」娘は左右にいる私たちを交互に見て、ニコっとほほえみました。
「今日はありがとうね」
盛大なショーが終わって、再び店内に明かりがともされます。ゆっくりと静寂が戻ってくると、今まさに起こった出来事が、急に夢のように思われました。
テーブルの上には、手がつけられていない料理とオレンジジュースだけが残されています。しかし妻は誰もいない席を、まだ愛おしそうな目で見守っていました。
これは夫婦ふたりだけが体験した出来事です。証拠はなにもありません。ただ私たちには、この奇跡を疑う理由はありませんでした。
私たちは寄り添い、まだにぎわいの残るディズニーランドを後にしました。

筆者コメント
たとえ事実はどうであれ「記憶」という揺るがない証拠があります。夢と魔法の王国にいるときは、夢の中にいてほしい、奇跡が起きてほしい。キャストたちはいつもそう願っています。

最後のパレード ディズニーランドで本当にあった心温まる話
2009 年3 月10 日 初版発行
著 者 中村克
イラスト ヒラノトシユキ
デザイン 井上新八
発行者 鶴巻謙介
発行・発売 株式会社サンクチュアリ・パブリッシング


参考文献
『魔法の国からの贈りもの』
上澤昇著 PHP 研究所刊

顧客サービス・e セミナー・テキスト@
『ディズニー・テーマパークの魅力─「魔法の王国」設立・運営の30 年─』
上澤昇著 実践女子大学生活文化学科生活文化研究室刊

『「天才組織」をつくる―グレート・グループを創造する15 の原則』
ウォーレン・ベニス/パトリシア・ウォード ビーダーマン著 佐々木直彦/
佐々木純子訳 日本能率協会マネジメントセンター刊

『真実の瞬間―SAS( スカンジナビア航空) のサービス戦略はなぜ成功したか』
ヤン・カールソン著 堤猶二訳 ダイヤモンド社刊

『愛と注目欠乏症候群』
池田 誠二郎著 チーム医療刊

『夢を形にする発想術』
イマジニア著 ディスカヴァー・トゥエンティワン刊

『ディズニー7 つの法則―奇跡の成功を生み出した「感動」の企業理念』
トム・コネラン 著 仁平和夫訳

本書を執筆するにあたって、以上の書籍、また多くのディズニーランド関係
資料、元ディズニーランド関係者の方々、関連サイトの情報を参考にさせて
いただきました。
この場を借りて、厚くお礼を申し上げます。


posted by S・C・ NAKAMURA at 19:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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