時論公論 「サムスン 水ビジネス参入と日本の戦略」2012年09月13日 (木)

片岡 利文  解説委員

日本が高い技術力を誇る水処理のビジネスに韓国最大の企業グループ「サムスングループ」が参入することが明らかになりました。
成長が見込まれる水ビジネスでも、日本と韓国の、メーカーどうしの競争が激しくなりそうです。

きょうは、サムスングループの水ビジネス参入の背景と日本企業への影響、そして日本が採るべき戦略について考えます。

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今回「サムスン」が参入するのは、水処理用の膜です。膜とはどのようなものなのか、こちらに日本製の膜を用意しました。
一見、何の変哲もない白い紙のように見えますが、表面には肉眼では見えない無数の穴が空いています。
その穴を使って、汚れた水から不純物をこし取り、水をきれいにします。

実験装置を使ってお見せしましょう。
この部分に、膜が束になって詰め込まれています。そこに墨汁を溶かした水を注ぎます。
圧力をかけて膜で、ろ過すると、墨汁の成分がこし取られ、きれいな水が出てきます。
浄水場や工場排水の浄化に使われる、水処理には欠かせない技術です。

現在サムスンが作る膜がどのような性能なのかは定かではありません。
しかし、すでに韓国南部のヨスという町に工場を建設しており、早ければ来年4月に膜の供給を始める計画です。
 
では、なぜいまサムスンが水ビジネスへの参入に動いたのでしょうか。
それは、水問題の解決が、世界各地で大きなビジネスチャンスとなっているからです。

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水の惑星と呼ばれる地球ですが、実は水資源の97.5パーセントが海水で、残りの淡水の内、飲み水などに使える水は、わずか0.01パーセントに過ぎません。
現在、安全な飲み水を確保できない人々が12億人いるとされ、毎日6000人もの子供の命が失われていると言います。さらに、アジアの急激な経済発展にともない水不足と水の汚染がますます深刻化しています。
そこで、工場排水の再利用や海水の淡水化など、これまで使えなかった水を使えるようにする「水処理技術」が、にわかに注目を集めるようになったのです。
経済産業省の試算によれば、13年後の2025年には世界の水ビジネスの市場規模は、およそ87兆円に達するとされています。この2年、現場のディレクターとして世界各地で水ビジネスを取材してきましたが、その拡大ぶりには目を見張るものが有りました。

この巨大市場をめぐって、アメリカ・ヨーロッパ・日本の企業がしのぎを削っていますが、大きく分けると水ビジネスは2つにわかれます。
海水を淡水化したり、工場排水をきれにする浄水技術。
さらに、浄化したきれいな水を工場や各家庭に送り届ける水道インフラの技術ならびにサービスです。
今回注目されている ろ過膜は、水を浄化するための最も重要な技術です。

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その ろ過膜の世界シェアを見てみますと、東レ、日東電工、旭化成などの日本企業が実に世界の40パーセントを押さえています。
日本企業は1960年代から膜の開発に着手し、地道な研究を重ね、現在の『膜大国』の地位を築いてきました。
ろ過膜とその関連産業は、国内に多くの工場と雇用を抱えています。
 
水問題の解決に名乗りを上げる企業が増えることは、大変歓迎すべきことですが、ビジネスという視点から言えば、後発のサムスンに、日本企業がシェアを奪われるわけにはいきません。
日本が40年以上の歳月をかけて培ってきた技術が、そう簡単に負けるわけがないという意見もあるかもしれません。
しかし、今回の取材を通じての私の実感は、「あなどるべからず」というのが正直なところです。
理由は3つあります。

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まずは、その開発メンバーです。
今回サムスンは、膜の製品化に、わずか3年で成功しました。
このスピードを可能にしたのは、巧みな人材戦略です。

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サムスンは、アメリカのGE、ドイツのシーメンス、そして日本の大手メーカーから膜の技術者をヘッドハントし、数十名体制で一気に製品化を進めたのです。
こうした人材を通じての技術流出が続けば、いずれは追いつかれ、追い抜かれる可能性も否定できません。

2つ目は、強いコスト競争力です。
サムスンの膜は、開発期間が短いため、開発コストも低く、その分価格を安くできると思われます。

しかも、韓国では生産にかかる電力の料金は日本の半分以下、輸出に際してはウォン安が追い風となり、日本の膜との価格差はますます広がるでしょう。

そして3つ目は、国による徹底した支援です。水ビジネスの分野でも、育成策が目白押しです。

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膜を使った先進的な水処理技術の研究 ECO-STARプロジェクト。
膜による海水淡水化技術の研究 SEAHEROプロジェクト。
さらに2年前に出された「水産業育成戦略」では、2020年までに韓国を世界的な水ビジネス大国にすべく、日本円にしておよそ2400億円を、官民挙げて投資。世界に通用する水企業を8社育成し、3万7,000人の雇用を生み出す方針を打ち出しました。
GDPのおよそ半分を輸出に頼る韓国にとって、外貨を稼ぎ出す基軸産業の育成は国の命運をかけた一大プロジェクトです。韓国にとってエレクトロニクス産業に続くドル箱が、水・環境ビジネスなのです。
日本企業は、1990年代のDRAMと呼ばれる情報記憶用半導体、近年では液晶テレビなどの分野で、瞬く間に韓国企業に逆転されてきました。
水ビジネスを同じような状況にしてはいけません。
では、日本はどうすればいいのでしょうか。
これまでのエレクトロニクス産業と今回違うのは、水ビジネスが、総合的なビジネスだという点です。
 
先ほど紹介したように、水ビジネスは膜を売るだけでなく、膜を部品として組み込んだ水処理プラントから水を各家庭まで送り届けるインフラの整備、さらにその運営・保守管理のサービスまでトータルで請け負う総合力がものを言います。

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そして、そのノウハウは、日本の水道行政を担ってきた地方自治体に集積されています。
例えば、今年6月、福岡県の北九州市上下水道局は、カンボジア政府から、ある都市の水道施設の計画・設計・施工監督業務を、およそ32万ドルで受注しました。カンボジア政府が評価したのは、地方自治体や日本の企業が積み重ねてきた技術と運営の総合力だったと言います。
政府も2年前に打ち出した新成長戦略で水ビジネスをアジアへのインフラ展開の柱に据え、官民挙げて21世紀の日本の基軸産業に育てることを決定しました。なお一層、地方自治体とメーカーの動きを後押しして欲しいと思います。

私は、水問題に苦しむ世界の人々に、安全な水を安定的に届ける水ビジネスこそ、技術立国・日本が果たすべき役割だと思っています。日本は、今回のサムスンの水ビジネスへの参入を、日本の総合力を再構築するチャンスと捉えるべきではないでしょうか。

(片岡利文 解説委員)