欧米に比して宗教色が薄いと言われる現代日本でも、宗教と完全に決別して生きていくことは難しい。
いわゆる「冠婚葬祭」においても、近年では小規模化の傾向が見られるとは言え、
宗教的・社会的圧力により望まぬ負担を強いられることが常態化している。
そこで、出来る限りコストのかからない極めて簡素な宗教を新たに用意し、
もちろん簡素と言っても、冠婚葬祭を全く執り行わなければ社会的摩擦が生じ、かえってコストが増大しよう。
なので最低限の儀式は執り行いつつ、それ以上の出費を防ぐために、
「私の宗教では盛大な儀式が禁じられている」などと、宗教を言い訳に使えるようにしたい。
メタ目的が「宗教に関連するコストを低減する」ことであるので、
「戒律を課す」「現世利益を約束する」といったコストの嵩む方向性は論外である。
そこで「死に対する不安を取り除く」=「死後の安楽」という点に絞る。
死後の安楽を保証するために、まず神を用意する。
他宗教との摩擦を緩和するために、
他宗教におけるいずれの神とも異なるが唯一神でもない、とする。
神は全知である。
神は「人の死後が安楽である」ことを知っておられる。
ここで「神によって安楽がもたらされる」のでは無いことに注意する。
安楽が神によってもたらされるのならば、神に対価を支払う必要性が生じてしまう。
その条件を満たすためのコストが発生するので、これも避けたほうが良い。
神が知る「安楽」は「無条件かつ無制限の安楽」である。
神は「人の死後に無条件かつ無制限の安楽が存在する」ことを知っている。
信徒は「人の死後に無条件かつ無制限の安楽が存在することを知る神が存在する」ことを信じるのである。
ことさら神へ祈りを捧げたり、神の名の下に騒ぎ立てたりすることは、
以上を踏まえて「冠婚葬祭」を考えてみる。
全知たる神は、新郎新婦の愛を既に知っている。
ただし披露宴として最低限の場を設けることは許される。
華美な装飾、豪勢な食事、金銭物品の授受などは避けるべきである。
(火葬・土葬など)埋葬方法に関わらず、死後の安楽は保証されている。
ただし告別式として最低限の場を設けることは許される。
華美な装飾、豪勢な食事、金銭物品の授受などは避けるべきである。
墓碑を用意する必要はないが、故人を偲ぶために骨や遺品を手元に置くことは許される。
弔うまでもなく死者は安楽である。
もっとも、例えばIT系で、月給100万なんて提示されたら、最初に頭に浮かべる事は「どんだけブラックなんだよ」という事だけどね
これは無いと思うが。月給が良い時点でブラックではないじゃん。
小さい頃に習った「市場原理」では、需要が供給より多ければ値段が上がり、供給が需要より多ければ値段が下がる、と習った覚えがある。
転職活動のため、ハロワを訪れて検索してみると、地元界隈では、介護、IT、看護が圧倒的に求人が多い。
にもかかわらず、提示されている給与は低い。
求人が多いってのは(空求人もあるとして)需要が多いって事ではないだろうか?
そしていつまでもその求人が消えないのは、供給が追いついていない、という事ではなかろうか?
もちろん、求人がいつまで経っても消えないのは、離職率が高い、という意味もあるのだろうが。
そんなに需要があれば、給与が高くてもいいと思うんだけど、平均して15万~25万の提示(求人票による)かな。
そんなに人が欲しければ、100万でも出せばいいのに、と思うのだが、わかるよ。その先にいるエンドユーザーがそんなに金を出さない事と、内部留保及びその他役員や別の人員の人件費、株主等に払うためのマージンが高い事を。
もっとも、例えばIT系で、月給100万なんて提示されたら、最初に頭に浮かべる事は「どんだけブラックなんだよ」という事だけどね。
ケツ丸出ししたり、裸で騒いだりするのはかっこ悪いと思う。
相手は酔わせて思考を鈍らせ、自分は酔わずに心理学とかつかって戦略的に攻めましょう!
酔って笑ったり騒いだり触れ合ったりする状態が楽しく、距離もちぢまり、恋愛に繋がり=モテるのではないか?
基本的に酔うと愉快になり、よく喋りよく笑いよくバカなことをする
そして楽天的、というかネガティブなことを一切考えていない状態がいいんじゃないか
最近子供の足が汚くないか?形は前からだが色も汚い。身体の歪みと血液の汚染が心配だ。日頃女の子の脚を見ていて思う。
決してロリコン趣味ではない。純粋な研究目的。男なら女子中学生の脚を見るよな?決してやましい気持ちはない。
もし仮にやましい気持ちがあったなら目がいやらしいはずだ。俺の目はいやらしくない。不審者扱いされたこともない。
貴方の事が好きだから、好きとは伝えない。
分かりきった結末を向かえるのが怖いから、私は逃げる。
別れてとも言わないけど、その代り私は貴方と付き合わない。
感情に任せて貴方に身を委ねたら、
好きだけじゃ付き合えない。
このままの関係で良いよね。
でもそういう優しい貴方のことが好きなんだ。
twitterとかで有名人に言及すると突然本人からRTされたりするが、本来これは非常に失礼な行為。
でもこういうことを言うと、「公開されてるから反応されて当然」「嫌ならチラシの裏に書け」とか言う反応が出るが完全に的外れ。
普段の日常生活で外出中に周囲に他人がいる状況で有名人に関する話をすることはあるが、
だからといって割り込まれたりはされないし、逆に自分がそういう人を見かけて何か突っ込みたくなったとしても割り込んだりはしない。
にもかかわらずネットだと平気でそういう迷惑行為をする人が出てくる。
WEB上では法律にさえ反しないなら何をしてもいいという風潮があるが、
各国で法律がばらばらな全世界とやり取りできるネットで法律を行動規範として持ち出すのはナンセンス。
人としての最低限の良心が有れば何をしてはいけないかくらいはわかるはずだ。
面識のない人にいきなり話しかけるなど正気の沙汰じゃないということは民族人種に関係なく誰でもわかる。
なんか、よく釣れてるね。
どうして、旦那は育児に無関心で、私のしてほしいことをしてくれないの?という母親の悩みがあるそうだが
解決方法簡単で、XXして って言うだけ。 だそうだ。
あうん や ツーカー も いいんだが。 そんな馬鹿げたことで離婚してもしょうが無いし、そもそも 阿吽は 何十年も連れ添った夫婦がやっと出来る。
つか、XXして の一言がなぜ言えないの?という事でいいらしいよ。たったそれだけで、育児ノイローゼがかなり解決するそうだ。
考え方も 性別も違う二人が 一緒に暮らすということを ナメてる。という事らしい。
給食で余ったプリンをどっちが食べるかで喧嘩になって「もうおまえとは友達じゃないもんね」と捨て台詞を残す小学生のごときナイーブさだな。
尖閣諸島にしろ竹島にしろ、あんなちっぽけな島で瞬時に崩壊するような友好関係って一体何なんだろうと思う。
「謝れば許すからさっさと出てこいよ。一応、ビルと被害者への賠償はしてもらうけど、払える範囲でいいからさ。」
で良かったんじゃね?
って俺は思うんだけどな。
オタクはコミュニケーションにおいて、相手に求めるばかりで、相手の望むことはしない(できない)例が多すぎます。
これは同意
というか、それが出来ない人でも無条件に受け入れるのがオタクコミュニティなのだと私には思えます。
オタクコミュニティに染まると、幼稚な性格になるわけではありません。
これは「自分は自分が嫌うオタなコミュ障じゃないから!幼稚じゃないから!違うから」
その前フリはこれ
私はオタク女なので(略)
冒頭で自分をオタ女といいながらオタ女を酷いといっているところ(だって自分は違うし)
ところで下記のように不愉快な気分になるというところが疑問
不愉快な気分になりました。
オタコミュニティを捨て非オタコミュニティを選択して満足しているのならば、オタがオタコミュニティ内で恋愛結婚相手を探すのを見て何故心を動かされているんだろう?
例えばお腹がすいている時はメニューを見てどれがいいか悩むが、お腹がいっぱいで満足している時は別にメニューを見ても特に何も感じない