桜庭一樹
さくらばかずき
1971年生まれ。99年に作家デビュー。07年『赤朽葉家の
伝説』で日本推理作家協会賞受賞。08年『私の男』で直木賞受賞
桜庭 批判が怖い、というのもあるんでしょうか。「これはダメ」みたいに攻撃されないよう、文句を言われないものをつくろう、みたいな力が働いているんじゃないですか。
石田 でもみんなね、勘違いをしているんですよ。売れた本というのは、ものすごく売れていると思われているけど、文庫本でも三百万部とかですよ。それも何十年も経て。確かに大きな数字ではあるけど、日本全体の人口を考えたらね。本って、決してみんなのものじゃないんです。
桜庭 確かに。テレビって、たぶんものすごくたくさんの人に向けたものだから、みんなにある程度分かるようにつくられているじゃないですか。小説は、テレビをつけたらそこにあるものと違って、あえてそれを買う特殊な人たち向けにある程度つくられているところがある。だから、あまりみんなに分かるように、とやらなくてもいいんじゃないかな。
石田 ほんとにそうなんです。ベストセラーとか話題になると、もうみんなが読んでいる、と思いますけど、宇多田ヒカルのCDみたいには売れない(笑)。
――選考委員として、こういう小説が読みたいというのはありますか。
桜庭 これはちょっと不謹慎になるかもしれないので、言おうかどうか迷っていたんですが……。阪神淡路大震災の後に出てきた小説の中で、作者ご本人のお考えはわからないのですが、『涼宮ハルヒの憂鬱』はもしかすると地震の影響で書かれたものだったのかもしれないと、最近読み直して思ったんです。一人の女の子の意思でこの世界があり、この子の状態によってすべてがなくなり、灰色の瓦礫の世界になってしまう、という世界はすごく怖い。清涼院流水さんとか三崎亜記さんとか、あの何とも言えない廃墟の感じにも、なにか影響があるのかもしれないと思ったことがあります。そして、それらの作品は、SFだったり、ミステリー、あるいはライトノベル的なもの、つまりはジャンル小説の世界から、しかも比較的若い書き手から出ている。年齢がもうちょっと上がるとこういう出方はしないかもしれないし、エンターテインメントの中でもSFやミステリーなどジャンル小説として何かすごいもの、ホンモノがこれから生まれるんじゃないかと思っています。すごくマニアックな賞のほうに応募する可能性が高いけど、そばに来てくれないかな、と考えたことがあります。
石田 それは今回の震災も含めてね。
桜庭 若い人だから書け、ジャンル小説だからこそのつくり方でしか書けない、どうしても吐き出せないものがあるはずだ、と。だから、私もジャンル小説が好きだし、必要なんです。
石田 僕はね、やっぱり今の話が読みたい。現代を描いた話。二十代後半から三十代ぐらいの人が、ちゃんと今の時代と向き合って書いている話を読みたいですね。あとは「清張賞」ですから、今の原発の問題じゃないけれど、社会派ミステリーの目ってあると思うんですよ。もう少し今の時代と切り結んでほしいな。
桜庭 松本清張自体、そういう作家でもあったんですよね。面白いものは、書かれたその時代に読んでも、今読んでも、結局は面白い。
石田 松本清張賞の場合、時代小説と現代小説という感じでわりと二色に分かれているんですけど、桜庭さん、今の時代小説に関してはどう思います?
桜庭 私、時代小説をそんなに多くは読んできていないんですよ。ただ、最近は若い方が出てきて、ネオ時代小説みたいなものを書かれているのかなと思います。万城目学さんの雑誌新連載とか、和田竜さんの『のぼうの城』とか。
石田 僕がほかの賞の選考を経験した感覚で言うと、やっぱり時代小説って、一つのパターンだったり、これを押さえておけばいい、というツボがあるんですよ。型が確立している。なので僕自身、現代小説を採点するときよりも、一段辛くなってますね。
桜庭 辛いというのは?
石田 点が厳しいです。例えば粗削りだけど面白い現代のものと比較したら、現代小説のほうの点を一個上げますね。それぐらい現代の小説を書くのは難しい。なぜ難しくなったかというと、時代がバラバラになったからだと思う。例えばバブルの頃みたいにみんなが一方向を向いているときは、小説のテーマってわりと探しやすいんですよ。今は、これだ! というのをつかんで、それを確信を持って書けないんじゃないですかね。でも、現代でも面白いことはたくさんあるので、それをつかむのは、やっぱり作家の目ということになるのだと思うんですけどね。
桜庭 それをつかむ目って、本来は若い心と体が持っているはずですよね。
石田 いや、実はその目は経験でできるものなので、小説工場みたいなものが体の中にできていないと難しいかな。逆に言えば、技術は鍛えれば力が上がりますから、ちっちゃなものでも見つけたときに、ウワーッ、すごい! って感動できる気持ちを新人は持っていたほうがいい。感動する力は、齢とともにどんどん小さくなっていくのでね。まあ、今は時代物がすごくブームなので、ブームのときには手を出さない、ぐらいのセンスのほうが作家としては目があります。勇気を持って人の裏を行ける人が僕はいいと思いますけど。
桜庭 行儀のいい小説よりも、照れを忘れて、ちゃんと決めるときは決めるのが大事かなあ。それ、私、新人の頃はできなかったんです。決めのシーンは北島三郎が歌うみたいに、サビのところでバーン! とコブシをきかせるようなことができなかった(笑)。もっとも、最初からできる人も中にはいるけど、新人はなかなかそれができないと思います。「ここ、もっと盛り上げて」と言われても、何か自分の中で照れみたいなものがあって止めてしまう。それがなくなると、やっぱり本が輝くんじゃないかと。
石田 小説で、これは自分そのものだ、みたいに照れたり、恥ずかしがったりする必要はないです。
桜庭 私、以前に空手を習っていたことがあるんですが、稽古中に師範が急に「桜庭っ!」と言うので、なんだろう? と思ったら、「輝くんだ!」と言われて(笑)。でも当時、仕事のことでもいろいろ考えていたときだったので、そうだな、と。本屋さんでもいろんな本が並んでいるじゃないですか。どれだけ並んでいても、ここにこの人のがあるって存在感は大事なんだな、と思う。
石田 いや、ほんとにそうです。一瞬輝くとか、読者の心を一瞬刺すのが大事なんですよ。こちらはたまたま選考する側に回っていますけれど、デビューして一冊の本になれば、本屋さんで占めるスペースって同じじゃないですか。だから、変な遠慮はいらないですね。