雑踏で、呼ばれた。
宮野有澄。今年で十七歳になる。
本来アリスミと読む名前をそのまま呼ぶ人間は少ない。
人は有澄をその少女に見紛うほどの顔に敬意を込めてか、こう呼ぶ。
「アリス!」
見知らぬ男だった。
外国のモデルにいるような、背が高くすらっとした体躯、短めの白に見間違うほどのプラチナブロンドにフレームレスの眼鏡。
男は道の向こうから突然やってきて有澄をアリスと呼び、そして突然、
口付けた。
「――?!」
どんっ、
有澄はあまりのことに驚き、反射的に男を突き飛ばした。
「…なっ、なんなんだよ、お前…っ!」
有澄の言動に男も驚いたように目を丸くしている。
じっと見るその目は赤に近い紫だった。
有澄がその色に見入っていると、男は残念そうにため息をつく。
「この世界の空気が悪いのはわかってたけど……ねぇアリス、もしかして俺のこともあっちの国のことも、何にも覚えてないの?」
まるで有澄がおかしいとばかりに言われる。
この男は人違いをしているのだろうか。
それとも、様相のままに日本語が堪能な外国人だからだろうか。
有澄は呆れて男を無視しようと身を翻した。
そのはずなのに体がそれ以上動かなかった。
ぎしり、
意思に反して身体の関節が軋みをあげ、動きを抑える。
「だめだよ、アリス。逃げようとするなんて」
ゆっくりと近づいた男が耳元で囁く。
背後から伸びてきた男の手が有澄の制服のネクタイをゆっくりと解いた。
有澄の目の前には相変わらず通行人が歩いている。
けれどまるで一枚のガラスで遮断されてしまったかのように、誰も有澄達に気付かない。
「アリス、思い出して。君は10年前に僕たちの世界に来て、約束したじゃないか。また帰ってくるって」
男は有澄の背中を抱きしめるようにすると、有澄の首をぐい、と上向かせ、仰け反らせた。
「ほら、薬を飲んで」
逆さまに顔を向かい合わせた男はそう言って何かを取出し、自分の口に含んだ。
そのまま背後から有澄に口付ける。
「アンタ、一体――っ…!」
仰け反り、空気が通らなくなった有澄の喉は、入ってきた何かを勢いのままに飲み込んだ。
「っ!ゲホ…っ」
カチリ、
どこかで微かな音がする。
「な…に…」
苦しさで地面に膝をついた有澄は、その地面が歩き慣れたコンクリートではなく湿った土であることに気付いた。
カチ、カチ、
男を見上げると楽しそうに薄笑いしている。
その背後にはもうもうと立ち込める、赤い夜の闇。
「…ようこそ、アリス。再びこの国へ。俺たちは皆、君を心待ちにしていたよ」
カチ、カチ、
規則的な音。
「君には俺のものになってほしいな」
カチ、カチ、
これは、
何の音だろう?
「…ああ、そのまえに大事な事をいい忘れていたね。俺の名前は白兎。君にありったけの快楽を教えてあげるよ」
――ようこそ、地下の国へ。
そう言って男は笑った。
身体が熱い。
まるで熱に浮かされているような。
「……ッ、…」
ガサリ、
有澄は息を切らして木々の間を通り抜ける。
獣一匹いない森には、枯れ葉を踏んで走る有澄の足音だけが響いた。
「…っ、ハァ…っ、なんなんだよ…っ!ここは…!」
暗い森に声が響く。
ああアリス、君はまったく変わっていないね。
大きな目も、漆黒の髪も、昔のままだ。
けれど成長した分、美しい。
幼い君は人見知りのくせに生意気で、本当に愛らしかった。
僕たちは皆、この十年を心待ちにしていたというのに、
「――ねぇアリス、どうして逃げるんだい?また追いかけっこがしたいの?」
大きな木の陰に身を潜めようと幹に背をついたその時、息一つ切らしていない白兎の声が頭上から降ってくる。
逃げようとすると腕を掴まれ、木の幹と白兎の腕の間に閉じ込められた。
「小さい君は、俺は兎だって何度も言っているのに追いかけっこを望んできて、そのうえ自分が俺に追いつかないと拗ねて泣いていたね。俺が君を捕まえたときのご褒美、覚えてる?」
「――ッ、知らない!お前なんか知らない!早く元の場所に帰せよ!」
ダンッ、
白兎の紫色の目が一瞬赤く光ったかと思うと、有澄の両手首は纏められ、強い力で木に押しつけられた。
「本当に君は変わらないね。可愛いわがままを言う。…でももう君は十七歳になるんだろ?準備をするには遅すぎるくらいだ。…さぁアリス、昔みたいにご褒美をちょうだい」
ぶちり、
乱暴に服を脱がされ、釦が飛んだ。
「何を…っ、」
「これも覚えてないの?薬、足りなかったかな」
白兎は有澄の抵抗を片手で制してジャケットのポケットから、手のひらに収まるほどの細長いひし形のビンを取り出した。
白兎はそれに魅入って呟く。
「これを飲んだ君は子供なのに、本当に淫乱だった……」
「…っ!、や…っ、」
白兎の手が有澄の下肢に触れると、有澄から高い声があがる。
「ああ、なんだ。効いてるんじゃないか。キレイな色だね。…ここも、閉じてる」
「…っ、なんで…!そんなとこ…!」
有澄は触れられてはじめて、自分のものが僅かに反応している事に気付いた。
意志とは無関係な身体の反応に有澄が愕然としていると、白兎は不意に刺激に立ちあがりかけた有澄のそれををゆるゆると抜き、奥の蕾の入り口を撫でた。
有澄はおぞましさに身体を震わせる。
華奢そうに見える白兎の腕は、どんなに力をこめてもびくりともしなかった。
「本当に覚えてないの?」
「何を…っ、こんなこと、誰とも…!」
「…へぇ、あれから、誰とも、何もしてないんだ?」
白兎はビンの中身を自分の手のひらに出すと有澄の片足を抱え上げ、アナルへと指を這わせる。
粘液を纏った指がゆっくりと有澄のアナルへと入っていった。
「ひ、っ、た…なに、やめ…」
指から逃れようとしても木と白兎に挟まれた体制で身動きが取れない。
「大丈夫。すぐ昔みたいに喜んでここでいろんなものを飲みこめるようになるよ」
ぐちゅり、
粘膜に液体が触れるとむずがゆいような感覚が背筋を走った。
「ふ、ン…ッ!やめ…っ、それ…ッ!」
「ん?痒くなってきた?」
白兎は骨ばった長い指で有澄の中をぐちぐちとかき回す。
下肢が溶け落ちそうなほどに熱い。
「あッ、ア、ヒ…っ、」
「ここがいいの?」
白兎は有澄の前立腺を見つけ、指先で執拗に擦る。
「ふ、っあ、ア!あ、――っ、」
慣れない刺激に有澄はびくりと身体を痙攣させ、果てた。
突然の刺激に何がおこったかわからない有澄は、白兎に支えられて大きく息をしている。
「イっちゃった?かわいいなぁ」
白兎は宥めるように、ニ本に増やした指で内壁をゆるゆると撫であげる。
そのゆるい刺激にも有澄は小さく嬌声をあげた。
「は…っなん、で…なんでこんなこと…」
「白兎だよ、アリス。ちゃんと呼んで。…なんで、って…君に、俺の子供を産んでもらうためだよ」
さも当然のように言う白兎に有澄は絶句する。
「男だ…っ」
「そんなの関係ないよ。この薬を使うとね、」
白兎は細長いひし形のビンをさかさまにして、有澄の腹部に液体を落とす。
そのまま液体と下肢全体を馴染ませるように揉みこんで刺激する。
「や、ア、ヒ…っ、」
「そのうち会陰のあたりに浅い膣ができるんだよ」
ぐちゅり、
白兎は入れていた指を抜き、有澄の落ちている片足を抱え上げて自身のベルトを外した。
両足を抱えられ、ひどい恐怖に襲われた有澄は必死に白兎の肩を押す。
白兎はそんな抵抗を笑うかのように指が抜かれて物足りなそうに痙攣するアナルに、見せつけるように亀頭を強く擦りつけた。
「や、ア、やぁ…っ」
有澄は首を振って拒絶するが、その様子に不機嫌になった白兎に強引に唇で唇をふさがれる。
「ン…ふ、ンン…っ」
距離が近づいたことでぐちゅり、と亀頭の先端がアナルへと入った。
ピンク色の粘膜はぴんと張り詰め、ペニスを押し出そうと痙攣する。
有澄は圧迫感にのけぞって悲鳴をあげるが、ふさがった口からはくぐもった声しか出てこない。
「は…っ、狭いなぁ。きっと膣ができても、このくらい狭いんだろうね。こういうふうに、ゆっくり、ゆっくり突いてさ…」
「あ、ヒ、ン…っ、ぁ…っ」
白兎は言いながらずっ、ずっ、とゆっくりとした動作でペニスを浅く出し入れする。
有澄は恐怖と薬に浮かされたまま、狂ったような言葉を吐く白兎を見る。
紫色に見えた瞳はいまは感情に呼応するように、真っ赤に染まっていた。
「それをずっと繰り返して、深くなって完璧な膣になったら…溢れるまで精液を注いであげるね…」
白兎は恍惚とした表情で笑って有澄に口付けた。
紛れもない、恐怖。
「や…っ、ああああ!」
ぐちゅり、
粘着質な音。
有澄は腹の中で熱い固まりがどくどくと波打っている感覚におかしくなりそうな気がして、必死に頭を振った。
そんな有澄に白兎は不思議そうに眉を寄せた。
「い、やっ…、いやぁっ…!」
「アリス…どうしてそんなに怯えるの?」
「ア…っ、ああっ!」
白兎は答える間も与えずに、指でいじった時に見つけた有澄の弱い部分を鬼頭でごりごりとこする。
その刺激に有澄は涙を流して頭を振る。
怯えない理由があるだろうか。
突然おかしな場所に連れてきて、子供を産ませると言った男。おかしいとしか思えない。
女のような高い声。まるで自分のものではないような。
夢だったらいいのに、と有澄は全てを拒絶するように目を閉じた。
「アリス…っ、きみの目が見えないのは、さみしい、な…」
「ひ…っ、あっ、ゃ…っ」
白兎は目を閉じた有澄を咎めるように、ひときわ強く有澄の弱い部分を抉った。
衝撃に閉じた目を思わず開いた有澄の額に、白兎は自分の額をつける。
赤い目が有澄の瞳を覗きこんだ。
そのまま白兎の動きは勢いを増していき、白兎との腹の間でこすられ続けた有澄のペニスは刺激を待ちわびるようにふるふると震え、蜜をこぼし続けている。
白兎はそんな有澄の腹部のあたりを見て笑った。
「ねぇアリス、君のこのうすいお腹のなかに僕のが入ってるの、わかるだろう?…この形、ずっと覚えててね」
白兎はそう言って、白兎の屹立を飲み込んでほんの少し張っている有澄の腹部をそっと、指で押した。
「や…っあああ!いやっ…!やめ…ッ」
外側からの圧迫で前立腺への刺激が強くなり、有澄は泣きながら白兎の手をどかそうとする。
「ああアリス…君の泣き顔は本当にかわいいよ。…俺のを何度でも注いであげるから…ね…」
「あっ、あ、ヒ…ッ!」
白兎はそのまま熱に浮かされたように激しく腰を打ち付ける。
「いや…っ!も…っ」
「なにがいやなの…?言ってくれないと…わからないよ」
「も…っ、そ、こ、ごりごりするの…っやぁ…!」
理性のなくなった瞳で有澄が問われるままに答える。有澄のペニスは薬と強すぎる快感に壊れたようにとめどなく精液を流していた。
「そう…そんなにここがいいんだ」
白兎はそのまま嫌がる有澄を無視して強い抽挿を繰り返し、中へと精液を放った。
「やっ…あぁああああああ!」
白兎は熱い感覚から逃げようとする有澄の身体を強引に抱き寄せる。
更に深く繋がった刺激に弱々しく嬌声をあげた有澄に満足したように笑って、最後の一滴まで有澄の中に注ぎ込んだ。
「逃がさないよ。これから、ずっと」
白兎は恍惚とした表情で言う。
有澄はその言葉を聞くことなく意識を手放していた。
ずるり、と自分のものを抜いた白兎は、有澄の中から溢れだしてきた精液に満足したように笑う。
「おかえり、アリス」
重いからだ。
さらり、
有澄は髪に触られた感触で目を覚ました。
頭の中が重く、鈍い痛みがある。
身体を動かそうとすると全身が痛みを訴えた。
「う…」
目をあけると部屋の中を満たしている光が飛び込んでくる。
目にしみる痛みに思わず呻きをもらした。
「おはようございます、アリス」
聞き覚えのない声が頭上から降ってきた。
アリス――、そう呼ばれたことで有澄の記憶がよみがえった。
「お前――ッツ、」
「動かないでください」
低く柔らかい声にたしなめられる。
有澄はゆっくりと声のする方に顔を向けた。
ベッドの前においてある椅子にゆったりと腰掛けているのは、きっちりと背広を着た男だった。
「……誰、」
「私をお忘れですか? やれやれ……白兎の言うことは本当だったらしい。よもや愛しいあなたからそんな言葉を聞くなんて。あれも随分がっかりしたことでしょう」
男の細い目が観察するように有澄を見る。
その鋭い目に、有澄は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「私は帽子屋。あなたの下僕、マッドハッターですよ。覚えていらっしゃいませんか」
試されるように問われる。
有澄は嫌な予感がしながらも、正直に答えるしかなかった。
「知らない……ここは、どこなんだよ。おれは宮野有澄で、アンタたちの言うアリスとは、違うと思う。元の場所にかえしてほしい」
喋る有澄の瞳をじっと見ていた帽子屋は、怪訝そうに眉をひそめた。
「女王が、あちらの世界は随分と空気の悪い場所だと仰っていました。――時が経つと、まるでこちらの世界のことなど夢であったかのように思えてしまうかもしれない、と」
こちらの世界。
まるで夢のようなことを口走る。
あの白兎という男も、この帽子屋という男も。
有澄は鈍く痛む頭をふった。
そんな有澄をなだめるように帽子屋は囁く。
「ここは地下の世界。あなたの世界で言う『夢の国』。アリス、我々は間違えていないし、あなたはもう上の世界には帰れない」
「……っざけるな!アンタもあの白兎とかいう男も、おかしいだろ!帰れないとか、子供、とか――」
帽子屋の言葉に有澄は痛みも忘れて身をおこした。
けれどその言葉は途中で消える。
帽子屋の、至極当然といった風の冷静な顔を見たからではない。
シーツを剥いだ先にあった自分の体がまとっていたもののせいだった。
「なんだよ、これ……」
有澄がまとっていたのは、真っ白な肌触りのいいシルクでできているナイトウェアだった。
けれどそれは有澄が今まで一度も身につけた覚えのない形をしている。
ランジェリー、ネグリジェ、ベビードール。
そういった単語が有澄の頭の中に浮かんでは消えた。
薄絹とフリルが何重にも重なったワンピースのような一枚、膝上まである白いストッキング、両手首と足首にはアクセサリーのつもりなのだろうか、ベルトのような、服と同じ布がついている。
「お似合いですよ」
男は微笑んで言う。
ずきり、
有澄は下腹の痛みを感じた。
あの、白兎が言っていた、気の狂ったような言葉――、
女?
「……ふざけるな!」
ガタン、
声を荒げて立ち上がった有澄を帽子屋は片手で制する。
なおも暴れようとする有澄に小さくため息をつき、不意につい、と右手を宙に翻らせた。
その手の中には銀色に光る、太くて長い針があった。
鋭いそれを目にした有澄は動きを止める。
帽子屋の手からふわりと離れた針は紐のように太い糸をつれてひとりでに動き出した。
踊るように動いた針の軌跡に沿って糸が形をつくっていく。
それはまたたく間に糸でできた鎖となって有澄の両手足についているベルト同士をつなげた。
「……え、」
「これで、少しはおとなしくしてくださいますか。全く……相変わらずお転婆ですね。私の作って差し上げたドレスを駄目にしたのだけは思い出されたんでしょうか」
帽子屋はため息を吐いた。
両手両足が繋がれたことに有澄は不安になる。
有澄の怯えを感じ取ったのか帽子屋は宥めるように微笑んだ。
「あの白兎はあなたに性急なことをしたようですね……全く」
そのまま帽子屋は、おとぎ話をしましょう、と言いながら有澄を寝かせて、シーツで包んだ。
「王が支配する地下の国があります。国が長く続くには後継者、つまり王と女王の子供が必要です。けれど当代の二人の子供は早くに亡くなり、困った女王はある日迷い込んだ一人の子供を後継者にすることに決めました」
手袋に包まれた指がそっと有澄の頭を撫でた。
「それが……俺」
「そう」
「じゃあ俺が次の王様?」
「いいえ」
帽子屋は笑う。
「王はこの世界の住人から選ばれなくてはいけません。あなたはまだ正式なこの国の住人ではない。そして女王の子供は、更に次の女王を産むと、決まっているのですよ」
一息に紡がれた言葉が有澄の中に入るまでに、少しの間があった。
「子供は、全部女?」
「そうです。男と女という呼び名で区切るのなら、子供を生むものは女ですから」
有澄は眉を潜める。
「俺は男……」
「ですから、産めるように、女王になっていただくのです」
帽子屋の言葉に有澄は息を飲む。
「解りますか。あなたが現在どんな身体でも、薬を飲み続ければ子供を産めるようになります。あなたに子供を産ませたものが、王と呼ばれ、この世界を意のままにできます」
さらり、
帽子屋の手袋に包まって体温の伝わらない手が、シーツの上から有澄の腹部を撫でた。
ぞわり、
こいつらは、本気だ――
有澄の中を、得体のしれない恐ろしさが襲う。
子供、
からだをつくりかえる、といった白兎の言葉。
細長いひし形のビンに入った、薬。
それらが重い現実感を伴って、有澄の中に浸透していった。
「十年前、七歳のあなたは女王と契約を交わしたはずです。代替わりの時期のしるしに、ほら――」
帽子屋が指差した先を視線で追う。
広い窓の外には、
広がる、
赤い空。
この世界の空を見たとき、有澄は美しい夕焼けだと思った。
しかしどうだろう。
短い時間であるはずの夕焼けは、いつまでも終わらない。
「赤い空――それが女王の代替わりの合図です。赤い空がある限り、世界は少しずつ腐敗していきます」
逃げ回った森の、獣一匹いない、枯れた木々。
有澄はひどく荒れたこの世界の様相を思い出していた。
「だから……」
「そう。あなたが帰りたいといっても、帰すわけにはいかないのです。この世界を終わらせないためにも」
――知らない、こんな世界。
帽子屋の言葉を否定するように有澄は小さく呟き首をふる。
「……だからアンタも、俺を逃がさないためにこんなことするの」
有澄は両手を目の高さに掲げる。
さらり、
布でできた鎖はかすかな音をたてて重力のままにゆっくりと落ちていく。
目の高さまで腕をあげると足首と繋がった鎖は小さく足を引っ張った。
有澄が強く引いたのか、手首にはうっすらと赤いあとがついている。
急におとなしくなった有澄に、帽子屋がなだめるように微笑む。
「いいえ、あなたがいい子にしてらっしゃるのなら、こういった事はいたしません」
外しましょう、と帽子屋が指を傾けると鎖は解けて一本の糸に戻った。
不思議は現象。
有澄はこれが夢ではない限り、もう本当にもとの世界には帰れないのだと、ぼんやりと理解した。
「……俺は、いつまで、ここにいればいいの」
「女王の役目があなたの子供に代替わりするまでです、アリス」
子供、という言葉に有澄はびくりと反応する。
自分が、女のようになる?
有澄にはそれだけが受け入れられない。
男ということだけではない、自分自身を否定される異質な感覚。
「誰が次の王様なの」
「あなたが選んだ男ですよ。あなたを孕ませた男、と言い換えてもいいかもしれませんが、腹のなかのものを育てるかどうかはあなた次第ですからね。結局あなた次第ということになります」
有澄は帽子屋の言葉に息をのんだ。
もしできてしまっても、気に入らない男の子供なら堕胎してしまえばいい。
そんな狂気じみた言葉をこの男はなんでもないことのように言ったのだ。
「古い中国の王室では王女の寝室に週ごとに違う婿候補を通わせ、王女を孕ませた男が正式に婿と認められるという話があるそうですね。それに比べたら、あなたには自由があると思いますよ」
時間もありますしね、と帽子屋はにっこりと笑う。
「そん、な……」
「私たち候補者は皆、次の女王――つまりあなたのためにあります」
言いながら、帽子屋は懐から小さなビンを取り出す。
手に収まるほどの、細長いひし形のビン――白兎も持っていたそれ。
「これは――」
「しってる」
有澄は強い声でビンについて説明しようとした帽子屋の声を遮った。それを飲まされたあとのひどい記憶。
有澄はそれ以上は聞きたくないというふうに下を向く。
「……白兎が教えましたか?資格のある者皆に、この薬が渡されています。私たちの役目は、あなたの身体ができあがるまであなたにこの薬を服用させること。そして出来上がってからは、あなたに選ばれ、王になること」
帽子屋はそっと身を固くした有澄の手をとり、指二本ぶんほどの小さなビンを握らせた。
「…あかい……」
有澄は陰鬱な目で、とろりとしたビンの中の液体を見て、呟く。
それから窓の外を見た。
ゆっくりと流れる灰色の雲を見つめて、有澄は何かを決めたように強く言う。
「外、出てもいい?」
「どうぞ、アリス」
帽子屋はどこからか柔らかい毛皮のガウンと布でできた靴を取り出し、アリスに渡した。
帽子屋に手を引かれ、部屋を出ると、長い廊下が広がる。
ここは帽子屋の屋敷のようだった。
階段を降りると重そうな木の扉がひとりでに開く。
屋敷を出ると目の前には草原と森が広がっていた。
しかしそのどれもが赤い光の中、暗く淀み、荒れている。
有澄はどんどん森の中を進んだ。
「アリス、森に入って迷いませんように」
帽子屋の声が後ろに流れる。
有澄は帽子屋の姿が見えなくなると無意識に走り出した。
複数の男に、犯される?
有澄の頭の中に白兎にされたことが何度もフラッシュバックして身体の痛みと共に恐怖として溜まっていった。
あんなことを、これから何度も?
身体を薬で変えられる?
女だって?
――そんなことが耐えられるはずがない。
帰らなきゃ。
「……っ、はぁっ、はぁっ」
弾む息ととともに必死に身体を動かし、走る。
森はみるみるうちに暗さを増していった。
やがて身体が崩れて転ぶ。それ以上足が動かなくなって、有澄は真っ暗な森の中蹲った。
「――っ……」
有澄は滲む涙を、必死になってこらえた。
「ああアリス、本当にあなたはお転婆なままですね。困ったことだ」
不意に頭上から柔らかな声が降り注ぐ。
有澄は貧血に揺れる視界の中、驚いて顔をあげた。
「……なん、で」
帽子屋が手を伸ばし有澄を抱え上げようとすると、その身は震え後ずさる。
帽子屋は有澄の行動に少し不思議そうな表情をして、それから、笑った。
「ああ、アリス――もしかしてあなたは、逃げようとなさったんですか?」
冷たい目に有澄は固まる。
そのまま帽子屋は腕を伸ばして有澄を抱き上げた。
「膝から血が出ていますよ。土も……土はあなたに似合いませんね」
姫抱きにした有澄の膝に顔を近づけて傷口を舐める。
「……ッツ、」
ぴり、とした痛みに有澄は顔を歪めた。
そのまま、有澄の反応を無視したように歩を進める帽子屋に恐怖を覚え、その腕から抜け出そうとする。
けれど抱えているだけのように見える腕はびくともしなかった。
有澄はそのままあっという間に屋敷の中へと戻されてしまった。
目覚めたベッドの上まで来ると、ようやく拘束が緩む。有澄は帽子屋の胸に腕をついて距離を取った。
「はな、せよ……もう、嫌だッ」
ころり、
開いた有澄の手の中から帽子屋に握らされたビンがこぼれおちた。
部屋で持たされてから走っている間も無意識にこれを握ったままだったのか、と有澄は呆然とする。
「アリス、」
声がして、ゆっくりとした動作でベッドの上に仰向けに倒される。
肩の横には、帽子屋の両手。
有澄は白兎にも同じようにして腕の中に閉じ込められたのを思い出し、身を縮めた。
「屋敷の前の森は、ここから逃げたいと思うものに道を開きません。アリス、一体何がお気に召しませんか」
帽子屋の手袋に包まれた手が、シーツの上に落ちたビンをすくい取る。
蓋が開けられ、ビンが傾けられた。
ぽたり、
赤い液体が一滴、有澄の唇の上にのった。
冷たい視線に有澄はビンから目が離せないまま呟く。
「かえり、たい」
「あちらの世界に、ですか? あなたにとって苦痛しかないのに?」
途端、有澄の目が見開かれた。
「何を、知って――」
ぽたり、
再び液体を落とされ、甘い液体が口内へと広がった。
「知っていますよ。あなたのことなら、全て。ここはあなたのためのものしかありません。全てがあなたに――」
「どこがだよ…っ!アンタもあの白兎って男も――からだをかえるとか、頭がおかしい…!それに、あんなこと…っ、」
紛れもない、恐怖。
自分のものではないような、声。
気が狂いそうな、信じられない快楽。
「……っ……」
「ああアリス、泣かないでください」
「……いて、ない…」
身を横に向けてシーツに顔を埋めた有澄に帽子屋ははじめて困ったようだった。
「何の記憶もないあなたに全てが急すぎたのですね。快楽は苦痛ではありませんし、なにも恐れることはないのですよ」
するり、
背中から延びた手が有澄の着ている薄絹を脱がす。
ぽたり、
振り向いた有澄の頬に赤い液体が一滴、落ちた。
「嫌だ……」
「私はあの野蛮な兎とは違います。あなたの嫌がることは致しません」
困ったように言う帽子屋を有澄は睨んだ。
「アンタ達は俺の嫌がることしかしない。……女にするみたいに、触るな」
「……申し訳ありません、アリス。ではこれからはあなたのお許しがない限り、あなたには触れません」
帽子屋が身体を離し、ベッドの縁へと座りなおす。
あっさりと身を引いた帽子屋に有澄は拍子抜けした。
「え……」
「他には?」
「え、と……服、も…」
有澄は肩口まで肌蹴られた薄絹を見て言う。
「女のような服はお嫌いですか。……ああ、そうですね。あなたはまだ、女性ではない」
帽子屋は着替えを用意しましょう、と言って指を翻らせる。
白いトルソーが姿を現し、踊る針と鋏、白い布がひとりでにシャツを縫いはじめた。
帽子屋は有澄にシーツをかけながら言う。
「少しすれば、できあがるでしょう。他にもあったら仰ってください」
帽子屋の急な従順さに有澄は茫然としている。
「ええと……、ありが…とう」
「私はあなたの願いを叶えるためにいるのですよ、アリス。だからどうか、私の事を嫌わないでください」
有澄は辛そうな顔で懇願する帽子屋をじっと見つめる。
そのうち、帽子屋の変わらない微笑みに気をぬいたのか、有澄の体から力が抜けた。
「別に……嫌いじゃ…」
「では、私があなたを愛おしいと思っていることは、許してくださいますか」
帽子屋は身を屈めて、うつ伏せになっている有澄に視線を合わせた。
帽子屋の、暗い赤色の目が有澄を映しだす。
途端、有澄は理由もなく体温が上昇するのを感じた。
この赤い目を見ながら、とても幸せだと思ったことがある。
不安定なデジャヴ。
有澄は泣きたいような、安心するようなおかしな感覚が一気に身体からせりあがってくるのを感じた。
「……っ、」
「ああアリス、そんなにかわいらしい顔をしないでください。触れてしまいたくなる」
帽子屋は困ったようにベッドの端に座ったまま、シーツに手をつく。
有澄と帽子屋の距離が僅かに縮まった。
「……」
「アリス、はっきり仰ってくださらないと、いつもあなたに触れることを望んでいる私は、自分のいいように解釈してしまいますよ」
優しくほほ笑んだ帽子屋は、嫌だと思ったら仰ってください、と言うと有澄の頭をそっと撫でる。
本当に、この男は有澄を無理矢理従わせようとはしていないようだった。
そう思うと、不思議なほどに警戒が解ける。
「アリス、仰ってくださらないと図に乗ってしまいますよ」
「嫌だったら、言う……」
有澄の言葉に、帽子屋はくすりと笑った。
その微笑みに有澄も小さく安堵した。
それまでの緊張と疲れが一気に出たのか、身体が泥のように重い。
有澄は転んだ時に傷つけた膝が微かに熱を持っているのを感じた。
数分、静かな時間が流れ、不意に帽子屋が動く気配がした。
かぶっていたシルクハットと上着を脱ぎ、いつの間にか出現したポールにかける。
近づいた気配に有澄はびくりと身体を揺らした。
帽子屋はそんな有澄の横にぽす、と横になると有澄の頭を撫でるのを再開する。
「子供のあなたを、こうして寝かしつけたことがあります。懐かしい……アリス、抱きしめても?」
間近に顔をよせられて、どう返せばいいのかわからなくなって、有澄はシーツを引き上げ帽子屋の視線を遮断する。
なつかしい安堵、おかしな感覚。
帽子屋は笑ってシーツの上から有澄を抱きしめた。
子供を寝かしつけるような触れかたに、有澄はおとなしくなる。
「もう、お休みにになりますか?」
「……ん、」
有澄の意識はまどろみの中に落ちて行く。
 * * *
やがてどれくらい時間がたったのだろう。
有澄は意識が浮上すると同時に、温かい腕が自分を包み、変わらず優しく触れているのを感じた。
何度も何度も頭を撫でられる感覚。
意識が曖昧なまま身じろぎをすると、帽子屋はそれに気付いたのか手を止めた。
手袋に包まれた手は、有澄の目蓋から頬に下がり、額に移動するころには吐息と温かいものにかわった。
なだめるような、愛しむような口づけ。
それは、額、目蓋、頬、とゆっくりと下におりていく。
唇の端をそっと含まれて、有澄は無意識に口を開く。
開いた唇の隙間からぬるりと舌が入ってきた。
「ン、…っ」
口腔内を舌で刺激され、逃げようとした舌を吸われる。
甘い感触に有澄はされるがままに唾液を呑み込んだ。
不意に、唾液と一緒に甘い、むせ返るような液体が口内に流し込まれる。
息苦しさに空気を求め開いた喉は、口内にたまった液体をそのまま受け入れてしまう。
「――ッ、ごほ…っ、」
「アリス、大丈夫ですか」
有澄はそこで動きを止める。
目に入った帽子屋の唇が、微かに赤かったからだ。
まるで透明な、赤い液体を唇に塗ったような――…
「なに……飲ませた」
「これを、」
帽子屋が有澄にひし形のビンを掲げて見せる。
有澄はじりじりとあがる体温を抑え込むように、押し殺した声で言う。
「それ…を、使われるのも、嫌いだ。もう絶対に使うな…っ」
白兎にされたことを思い出し、恐怖とも怒りともつかないものが有澄の身体を蝕んだ。
「申し訳ありません、アリス。その命令だけは、お聞きすることができないのです」
有澄は帽子屋を睨む。
「何故なら、これは現女王の命令だからですよ。一日に、最低一回、経口摂取、及び粘膜――」
帽子屋の言葉に有澄は身を起こしてベッドから飛び降りようとする。
しかしその動きは帽子屋が有澄の身体にひっかかるシーツを縫いとめたことで止められた。
「嫌だ…ッ!他のことはなんにもしなくていいから、それだけは…!」
「申し訳ありません、アリス」
暴れる右手と右足を、また糸の鎖で短めに繋がれる。
「や…ッ、」
「アリス、一時だけ我慢してください。お願いです」
下肢に纏っていたものを脱がされ、膝を胸につくまで折り曲げさせられる。
「嫌だ、やめ…ッひ、ア」
帽子屋の手袋に包まれた手が有澄の立ち上がりかけのペニスをそっと包む。そのまま抜かれ、布に水分を吸収されて引き攣れる感覚に有澄は声をあげた。
右手は糸の鎖で足首から離すことができない。
「ああ…勃ってきましたね。アリス、きれいですよ」
帽子屋が有澄のペニスに顔を近づけてふっ、と息をかける。薬の効きはじめた身体はその刺激にすら反応している。
「いやだ…っ!」
有澄は唯一自由になる左手で顔を覆い、声を殺し暴れた。
帽子屋は有澄の腰の下にクッションを入れると、露わになった秘部を確かめるように触れる。
「ああ…少し赤くなっていますね」
「や、ア、!」
ぴちゃり、
秘部に生温かい感触が触れて有澄は悲鳴をあげた。
下肢に顔を埋める帽子屋を離そうと身体を起こそうとするが、いつのまにか左手首のベルトとべッドのポールをつなぐ鎖が有澄の身体を起こすのを邪魔している。
「や、やめ…っ、きたな、なん、で…」
「汚くなどありませんよ。あの兎の残滓はすべて清めましたし、あなたに汚い部分などあるわけがない」
帽子屋は舌をとがらせてアナルの中へ差し込む。ぬちゃ、という音と柔らかい異物の感触に有澄の内壁は収縮した。
「っひ…!や、嫌だ…ッ」
「ああ、だいぶ柔らかくなっています…あなたのここはお利口ですね」
帽子屋はこれなら大丈夫でしょう、と呟くと有澄の脚を高く掲げて自分の両肩に載せてしまう。ペニスはもとより、触れられているアナルまでもが相手に見えてしまう格好だった。
「ア、や、離、せ…!やだ、っ……」
「そんなに見られるのがお嫌でしたら、あなたが一人でこれを服用できるようお教えしましょう。簡単ですよ。ただこれを、ここに入れればいいだけなのですから」
言いながら、帽子屋は有澄のアナルの中に細長いビンをつい、と入れた。
収斂したアナルは、つるりとした細長いビンを痛みもなく受け入れる。
「っ、めた…っ、や、ア、ア!」
帽子屋は有澄の抵抗を全て封じて、有澄の両膝をぐい、と深く折り曲げる。
腰が高く上がり、蓋の外されたビンの中身が、ゆっくりと落ちていった。
こぽ、と小さい音がする。
「つめた…っや!だ…!いやだ、や…っ!」
帽子屋は赤い液体がすべてビンから出て行ったのを確認すると、涙をこぼして首をふる有澄を抑えていた手を退かし、そっと涙を掬う。
「終わりましたよ、アリス」
ショックで未だにしゃくりあげる有澄をなだめ、トルソーの上で出来上がっていた白いシャツを着せ、きっちりとボタンを留めた。
未だにビンが入ったままの有澄のアナルを見て、帽子屋が思い出したように呟く。
「ああ――……これで、女王様の命令は終わりです。私はもう、あなたのお許しなしには触れてはいけませんね」
「……っ、え――」
有澄が何か言うよりも早く、帽子屋は有澄の身体にシーツをかけてしまう。そのまま、脱いでいたジャケットと帽子を纏い、床へと膝をついた。
有澄は一連の出来事に茫然としたまま、ほほ笑んでいる帽子屋を見た。
「なん――、で、」
「どうなさいました?あなたが強要されていることはこれで終わりです。申し訳ありませんでした、アリス。お疲れでしょう。お休みになりますか?」
「――ッ、」
帽子屋の言葉に有澄はショックを受けたように息を飲む。
「な、か……」
「はい?」
「…中の、ビン」
「ああ、そちらは抜いてしまってかまいません。命じていただければ、私が致します」
帽子屋の言葉に有澄は頬に朱を走らせる。
自分から脚を開いて、男にアナルを弄られるなど、耐えられるわけがない。
「出てけ…っ!もう、出てけよ!」
有澄は徐々に上昇していく体温と粘膜の疼きを自覚しながら叫んだ。
手元にあったクッションを帽子屋に向かって投げる。
「それでは……御用の際はお呼びください、アリス」
帽子屋は優雅な動作でクッションを受け取り、一礼した。
カチャリ、
ひとりでに開いた扉は、帽子屋を吸い込み、ゆっくりと閉じる。
有澄は混乱と絶望の混じった瞳でそれを見送った。
「……あ、…っ、」
ほんの少し暗さを増した赤い日差しが、シーツを真っ赤に染めている。
ぬるい空気と赤い光、そのただでさえ淫靡な空間に押し殺した声がこもる。
しゅ、と伸ばされた足先がシーツを蹴るように流れた。
「は、ふ…っ」
くちゃり、
身を丸めるようにしてシーツに包まる有澄は、顔を真っ赤にして身を震わせている。
「なん、で……」
――はじめは、恐る恐るだった。
帽子屋に放置され、じりじりと痛む下腹を意識しないためにも入れられたビンだけは取り出そうと、有澄は怯えながら自分のそこに触れた。
ぬるり、とたやすく自分の指を呑み込んだアナルに有澄は驚く。
「あ、つ……」
初めて触れた自分の粘膜の思いのほかの熱さに、有澄は思わず声をあげた。
羞恥に耐えて指を進めると、肉の隙間を進んでいるのだというリアルさを感じてしまう。
指が第二関節あたりまで埋まる頃、ようやくガラスの硬い感触が指に触れた。
かちり、と爪とガラスがあたる微かな音に有澄は息を詰める。
「…っ、は……」
そのままビンを掴もうと指を進めるが、一本の指ではビンを取り出すことができず、どんどん奥へ進んでいってしまう。
「う、…ぁ、っ、なんで……っ」
泣きそうになりながら指を進めるが、中指はもうそれ以上奥には進まなくなってしまった。
大きく息をする有澄は、意を決してニ本目の指を挿入する。
有澄の内部は、中に含むものが大きくなったのを喜ぶように、ゆっくりと指を締めつけた。
横たわり、前から腕をまわして限界まで身を丸くし、指を入れているのに、奥に入ってしまったビンは追いかけているうちに触れることもできなくなってしまった。
「――っ、は……」
そのくせ中が動くと、思い出したように有澄の感じる部分を刺激する。
「なん、で――ッあ、ア!」
不意に、動かした指がある位置に触れた瞬間、電気のような刺激が走り、下肢が痺れるように熱くなった。
そこは白兎に散々突かれた、有澄がどうしようもなく感じてしまう場所だった。
「ア、っ、ふ、……っぁ、や、」
紛れもない、快楽。
――こんなことはおかしい。
おかしいのに。
有澄は羞恥に背を震わせながらも、指を抜くことができない。
くちゅくちゅと小さな音を立ててぎこちない指の動きで中をこする。
前から手をまわしているせいで、手首と腹に挟まれた有澄のペニスは透明な先走りを流しながら腹につくほど勃ちあがっていた。
「――ン、っ、は……」
ペニスに無意識に手が添えられたが、右手はアナルに入ったままで、空いた左手での自慰はぎこちなくなってしまう。
快感ともどかしさは有澄を溶かしていく。
有澄は理性が熱と共に溶けるのを感じながら、自分の下肢から聞こえてくるくちゃり、という粘着質な音を聞いた。
 * * *
「ン、っ、ふ、は、あ……っ!」
びゅる、と腹の上に何度目かの精液がふりかかる。
あれから一体どれくらいの時間が経ったのだろう。
身体は泥のように疲れているのに、下肢だけが別の生き物になってしまったかのように刺激を求めている。
赤い液体の熱は粘膜に吸収され、掻痒感に変わっていた。
腸内はおかしくなってしまったかのように、いくら擦っても痒みが止まらない。
「ぁ、ン、ふぁ…っ、も、やぁ……」
有澄は身体を小刻みに動かしながら、指を出し入れする。
焦点の合わない目は強すぎる快楽に止まらない涙を流していた。
「あああ……っ、も、やだ……っ、も、」
いやだ、たすけて、とうわ言のように何度も呟いても、屋敷の主の姿は現れない。
有澄の身体は解放だけを求める。
「たすけ、て…っ」
かすれた声で熱くなった身体を抑えるように、強くシーツを掴んだ。
「……ッ、は…っ、帽子屋…っ、なんで…」
「お呼びですか?」
「――ッ、」
不意に、熱い息と熱だけがこもっていた部屋に冷たい声が落ちた。
有澄の思考は一瞬停止する。
声のする方にぎこちなく目を向け、帽子屋の姿を視界に入れると我に返って身を起こし、肌蹴ていたシーツを引き寄せる。
「ッあ、――ッ」
けれどその拍子に長い自慰の時間の中で存在を忘れていた腹中のビンが腸壁を掠めた。
「どうなさいました、アリス」
終わらない熱、疲労、羞恥、他人の存在から来る安心――その全てがないまぜになって有澄を襲う。知らずに大粒の涙が眼から溢れてきた。
「……ッ、」
「ああアリス、どうか泣かないでください」
「…ぃて、な…」
有澄は顔を覆ってベッドに身を伏せる。身体を擦ったシーツに、あがりそうになる声を抑えながら。
「も…っ、嫌だ…っ、」
「アリス……」
ベッドの横に身を屈めた帽子屋は困ったように笑いながら有澄に向って手を差し伸べる。有澄はようやく解放されるのかと安堵した。が、その手は途中で止まってしまう。それを見た有澄の眉があがった。
「なんで、っ…」
次の瞬間、有澄の腕が伸び、ベッドの横に膝をついていた帽子屋のジャケットの裾を強い力で引く。
ぎりぎりのところでベッドに手をつき、頭がぶつかるのを避けた帽子屋は、強い力でしがみ付く有澄を見てはじめて戸惑ったような声をあげた。
「アリス――」
「やだ…っ、もう、なかの…っ、とれないし、お前は、行っちゃうし……なんでこんな、っ、」
帽子屋、たすけて、もうやだ、と子供のように泣き出した有澄の身体の熱さに帽子屋はほんの少し目を開いた。
「アリス……触れても?」
「いい、から…っ、はやく、たすけて…っ」
帽子屋はベッドに腰掛けると薬に溶けた顔で泣きじゃくる有澄をなだめながら抱き上げ、自身の膝の上に向かい合って座らせる。
子供のように肩に顔を埋めてくる有澄を見て、帽子屋は満足げに笑った。
「ではアリス、良い子ですから、力を抜いてください」
くちゅり、
手袋を取った帽子屋の指が有澄の中へと入る。
有澄自身によってどろどろに溶かされたそこは、帽子屋の長い指を喜んで受け入れた。
「――ふ、っぁ……」
「申し訳ありません、アリス。私の指は冷たいでしょう」
媚肉から伝わる刺激に、有澄は身体を震わせる。冷たい指の形がわかるほど熱い、中。
けれど貪欲な熱を持つ内壁は、内壁を撫でられると喜ぶように冷たい指をしゃぶり、すぐにあたためてしまった。
「もう少し、広げますね」
「なん…っ、」
「このままでは、指を二本入れることができても動かせませんから」
帽子屋はちゅく、と音を立てて二本目の指を入れると、そのまま内壁を広げるようにして二本の指を出し入れした。
「や、アッ、ふ、ンッ…あああ…」
その動きがいちばん感じることを帽子屋がわかっていないはずはない、とは思い至らないのか、有澄は必死に声を殺そうとする。
指はアナルの皺を伸ばすようにぐるりと縁を撫で、腸壁を押しつぶすように刺激していく。
「あっ、や、ふ……」
「アリス、声を抑えないでいいんですよ」
リズミカルに出し入れされる指の動きに合わせて有澄の腰が揺れる。
下肢からは、じゅぷり、というこのうえない淫媚な音がひっきりなしに流れた。
そのうち、理性が完全に溶けた有澄はセックスそのものの指の動きに気持ちよさそうな声をあげ、一度も触れられていないペニスからとろりとした精液を出した。
びくびくと身体を揺らす有澄に帽子屋は優しく囁きかける。
「ほら、アリス、ありましたよ」
かつり、
帽子屋の指が奥まで入ったビンに触れている。
指に刺激され場所を変えたビンの動きにも、有澄は小さく声をあげた。
「身体を起こしたのでビンも降りてきたのだと思いますが……もう少し降りてこないと、つかめませんね」
「っ、…や…っ」
帽子屋は射精してくたりと自分に寄りかかっている有澄の背中をなだめるようにさする。
「では少し腹部に力を入れてみてください」
排泄するときのように、と帽子屋は空いている手を有澄の腹部にやる。
「ひ、やだ…っ」
「ではずっとこのままですね」
それも嫌だ、と首を振る有澄に帽子屋は困ったように微笑んだ。
 * * *
「……ッツ、は、」
「ああ、だんだんとおりてきましたよ」
帽子屋の肩に顔を伏せ、腹部に力を入れる有澄を帽子屋は楽しそうに見ている。
「ぁ、ひ、ん…!」
不意に、動いたビンを指でついと押しやられる。
「ああ、申し訳ありません。もう少しで掴めそうなのですが」
「も、無理…ッ」
「もう少しですよ、アリス」
帽子屋はそのまま何度も何度も、出てきそうになったビンを押し戻し、有澄の中を苛んだ。
ビンが中から取り出される頃には、有澄は指一本動かせない状態になっていた。
「――アリス、取れましたよ」
帽子屋が有澄の体温で暖まったビンを愛おしそうに掲げる。
「も、やだ……」
有澄は耐えかねて、帽子屋の胸へと寄りかかる。
ふと視線を下にやると、帽子屋の服が自分の放った体液によってぐちゃぐちゃになっているのが目に飛び込んできた。
ぼうっとしたまま自分の腹を見るとそれ以上にひどい。
ひどく汚れている、と感じた。
「きたない……」
「ああ、そうですね」
お連れしましょう。
帽子屋の言葉は途切れる意識の中に消えていった。
ぴちゃん、
水滴の音に目を覚ます。
「アリス、大丈夫ですか」
帽子屋の声。
ぴちゃん、
有澄は二度目の水滴の音で、自分が湯船に浸かっていることに気付いた。
有澄はだるい身体を小さく動かして周囲を見る。
訪露のつるりとした浴槽に、乳白色のお湯。白いタイル。
部屋に充満する湯気のように、有澄の頭はぼうっとしたままだった。
「ん……」
気を抜くと湯船に沈みそうになる身体を帽子屋に支えられる。
湯船の縁に頭を預けた有澄は、湯船の外で膝をついて自分を支える帽子屋を見た。
「アリス、溺れますよ」
ジャケットとベストを脱いだ帽子屋の白いシャツは、腕をまくっているのにも関わらず湯の中の有澄を支えているせいで濡れている。
「も……眠い」
どんどん身体の力を抜いていく有澄に帽子屋は困ったように笑う。
「身体を洗いますから、もう少し我慢していてください」
そう言うと帽子屋は泡を纏ったスポンジを用意し、有澄の肌を擦っていった。
生温い湯の中でゆっくりとスポンジが泳いで肌を撫でる。
「……ッ、あ! ……え?」
不意に、スポンジが通った場所が熱を持って、有澄が驚いて身体を震わせる。
じわり、
不意に意識すると下肢を苛む熱は少しも収まっておらず、じわじわと有澄の中をせり上がってくる。
「う、そ……」
「どうしました、アリス」
浴槽の壁を挟んで有澄を後ろから抱きかかえるようにしていた帽子屋が、手を止めて有澄の顔を覗き込む。
有澄は覗きこんでくる目の色に、下肢の熱さと快楽をありありと思い出してしまう。
未だ何かを含んでいるような感覚がするアナルがきゅ、と閉まるのを感じた。
「なか……」
「ああ、中が気持ち悪いですか?洗いましょう」
帽子屋が背後から手を伸ばして有澄の下肢に触れる。
「……っ、」
シャワージェルの入った湯のぬめりを借りて、帽子屋の長い指は易々と有澄の中へと侵入した。
「や、っひ、ン…っ」
「薬は、一定時間で腸内に吸収されるはずですが……」
帽子屋は言いながら両手の指をアナルの縁にかけ、左右へ広げる。
「や、ぁ、あ……っ!」
強引に広げられたアナルが閉じようとして、ぱくぱくと痙攣したように動く。
その動きでこぽり、と空気が流れ、腸内へと湯が入っていった。
「やぁああッ……!お湯、はいっ……、あつ、んん…ッ」
「洗うためですから。もう少し我慢してください」
帽子屋は長い指を奥へと入れ、両脇へ広げながらわざと湯をいれるように何度が出し入れする。
腸壁を広げるように強く刺激され、有澄は高い嬌声をあげた。
「や、ふ、ひ、ン…ッ、そ…っれ、やぁ…っ」
やがて指が三本に増やされ、ぐちゅぐちゅと出し入れされる。
指が中に深く入ると腸内から湯が押し出され、指が引き出されると、空いた空間に勢いよく湯が入ってくる。
「あ、ア、あああ……っ!」
何度も繰り返される責めに、有澄はただただ、喘いだ。
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