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【社説】

政府のエネルギー方針 もっと早く原発ゼロへ

 世界三位の経済大国が原発ゼロを掲げたことは、国際的にも驚きだろう。持続可能な社会をともに目指そう。二〇三〇年代にと言わず、もっと早く。

 「ゼロ」というゴールは、曲がりなりにも示された。意見聴取会やパブリックコメントなどを通じて、国民の過半が選んだ道である。もちろん、平たんではない。消費者も、電力に依存し過ぎた暮らし方を変える必要に迫られている。だが、私たちには受け入れる用意がある。

 全国に五十基ある原発のうち、今動いているのは、関西電力大飯原発3、4号機の二基だけだ。それでも、暑かったことしの夏を乗り切った。私たちは、自信をつけた。二〇三〇年までに原発はゼロにできると。

◆政府決意のあいまい

 今までだれもが、電気を使い過ぎていた。電源立地地域の痛みを思いやることもなく、大量消費を続けてきた。しかし、東京電力福島第一原発の惨状を見て、ようやくそれに気づき始めた。

 日本は世界有数の地震国である。福島はひとごとではありえない。南海トラフだけではない。巨大地震は、いつ、どこで、だれを襲うかわからない。原発の敷地内からは、次々と地震の巣である活断層が見つかっている。

 私たちや子々孫々は、これからもそういう国土と折り合って、暮らし続けていくのである。

 それに比べて、政府の決意はあいまいだ。

 「二〇三〇年代に原発稼働ゼロが可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という。

 「二〇三〇年代に」という期限の切り方が、そのあいまいさの象徴だ。国民に選択するよう呼びかけたのは「二〇三〇年の原発比率」だったはずではないか。いつの間に、十年の余裕ができたのだろうか。

◆貯蔵プールは満杯に

 全国で最も新しい北海道電力泊原発3号機は、二〇〇九年の年末に運転を開始した。二〇四〇年を越えて運転できる原発は五基しかない。今ある原発をほとんど使い切ろうという計算なのか。

 原発の安全神話は跡形もなく消え去った。すべての原発が何事もなく寿命を終えられるという保証はない。あらゆる政策資源を投入し、可能な限り速やかに、原発をゼロにするのが、多くの国民が希望する新たなエネルギー政策の背骨であるはずだ。

 使用済み核燃料を再利用する核燃料サイクルの位置付けも、極めてあいまいだ。

 原発がゼロになるということは、使用済み核燃料の新たな排出もゼロになるということだ。リサイクルは成り立たない。しかし、使用済み核燃料から、利用可能なウランやプルトニウムを取り出す再処理事業は、当面続けていくという。近い将来「原発ゼロ」が撤回できるよう、含みを残したとも受け取れる。

 再処理燃料を使用する高速増殖原型炉「もんじゅ」は、核燃料サイクルの要である。使用済み核燃料のかさを減らしたり、その害を軽減するために、期限を切って運転を再開する方針だ。

 その後、廃炉にするしかないのだが「もんじゅ」がなければ、核燃料サイクルは成り立たない。再処理も含めて核燃料サイクル計画は、直ちに中止すべきである。

 そうなると、一刻の猶予も許されないのが、使用済み核燃料、極めて危険な電気のごみの処分である。各原発に併設された貯蔵プールが満杯になる日は遠くない。

 地中深くに埋設処分する方針のもと、電気事業者でつくる原子力発電環境整備機構(NUMO)がこの十年間、自治体からの公募による処分場候補地の選定を進めてきた。ところが、まったく進展していない。

 英国やカナダのように政府や自治体が、積極的に事業主体のNUMOと住民との間を取り持って、対話を深め、信頼関係を構築しながら、前へ進めていくべきだ。

◆対立ではなく、協力で

 新戦略の推進には「全ての国民の力を結集することが不可欠である」と政府はうたう。これまでエネルギー政策、特に原子力政策は、「原子力ムラ」と呼ばれる狭い世界の中で、人知れず決められていくきらいがあった。新戦略にあいまいさが残るのも、経済への影響を恐れる産業界や、日本の原子力技術の衰退が、安全保障に影響を及ぼすことなどを憂慮する米国への過剰な配慮があるからだ。

 だがこれからは、新戦略を具体化するにも、市民参加の仕組みが何より大切になるだろう。原発ゼロを達成するということは、社会と暮らしをさらに変えるということだ。持続可能で豊かな社会をともに築くということだ。もう対立のときではない。

 

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