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『ネット小説の読者として』の感想
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投稿者: せきぞう [2012年 08月 29日 (水) 13時 44分] ---- ----
▼一言
アズマダ。さんのようにに批判を血肉に変えられるようなネット世界に順応した人が小説を書いた方がいいんじゃないのかな。
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 19時 09分 37秒]
私のエッセイとは全く無関係な書き込みですね。
★現在このコメント(を返した書き込み)に対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者: ポン太 [2012年 08月 29日 (水) 13時 21分] ---- ----
▼一言
批判には批判で返しているから荒れてるんじゃないのかな。
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 19時 08分 45秒]
★現在このコメント(を返した書き込み)に対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者: 天空 [2012年 08月 29日 (水) 11時 00分] ---- ----
▼一言
シレンさん貴方のエッセイを見ると途中から事故満足にも見えてくるんだが?
作者を庇うオレって
KAKKOEEEEEEEEEとか思っているのでしょうか?
自分に酔い過ぎですよ?
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 12時 25分 08秒]
自己満足無くしてシーズはありません。
自己陶酔なくして趣味は続けらません。
人はそのように出来ています。
★現在このコメントに対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者: 禅 [2012年 08月 29日 (水) 10時 28分] ---- ----
▼一言
いちいち荒らしに対して愚痴を言ってもしょうがないでしょ?
俺達は読者でしかないのだから。
そんなに感情的になったって何にもならないよ。
何事も割りきらないと。
現実もネットも世の中がすべて綺麗なままじゃないんだから。
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 12時 22分 46秒]
そろそろ其方にも割り切っていただきたいものです。
★現在このコメントに対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者: 名無し [2012年 08月 29日 (水) 10時 12分] ---- ----
▼一言
具体的にこんなエッセイを書いて何がしたいの?
作者を称えるカルト教団でも作るの?
こんなことをしてもどうにもならないよ私は荒らし行為する輩に対してはどうしようもないと思い諦めています。
そう割りきらないとネット世界ではやっていけないので。
あんまり荒らし行為に過敏に反応しても心がもたんからな。
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 12時 22分 03秒]
それは其方の考え方です。ご自身の管理領域においてその考え方を貫徹され、相応の評価を獲得されたとき始めて顧られるされることでしょう。
現状で正しいと思っているのはおそらくご本人(と同程度のお仲間)だけだと思います。
★現在このコメントに対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者: いいとも! [2012年 08月 29日 (水) 09時 58分] ---- ----
▼一言
批判がされるのが嫌ならネット小説を書かなければいいのでは?
あるいは批判を黙らすくらいの小説を書くか。
批判をなくすのは結局は無理です。
結局は批判されて小説を書くか止めるかはもはや作者次第です。
こんなエッセイを見て荒らしに対しての不平不満を言ってもしょうがない。
荒らす相手を指摘するのが嫌ならばまあ、せめて作者に応援することぐらいですかね。
それに俺は批判に全肯定をしているわけ出はない多少厳しい批判はするがただ俺がする批判はどこが駄目かそういったことを指摘するような批判ですかね。
俺だって相手に自殺してほしい分けではないのでそれなりに言葉は選んでいます。
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 12時 16分 19秒]
>批判がされるのが嫌ならネット小説を書かなければいいのでは?
自分の言動の論理破綻も解らない人に有効な批判が出来るとは思いません。
嫌がらせ、或いはせいぜいが自己満足だけの自己主張でしょう。
重要なことは虐めと同程度の行為であると云うことです。
他人に迷惑が掛からないようにご自身の管理領域で為さることが適当です。
>批判がされるのが嫌ならネット小説を書かなければいいのでは?
「虐められるのが嫌なら学校に来なければいいのに……」と云う言い草と
全く同じ理屈です。いまの日本社会ではそのような勝手を認めていません。
>俺は批判に全肯定をしているわけ出はない多少厳しい批判はするがただ俺がする批判はどこが駄目かそういったことを指摘するような批判ですかね。
大丈夫です。其方の批判が作者の役に立つことはありえません。
さもなくば、実際に其方の価値を肯定して呉れる作者をご紹介下さい。
その方の作品が面白けれ(或いは何らかの客観的指標があれ)ば私も考えて見ます。
★現在このコメントに対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者:
里桜
[2012年 08月 29日 (水) 06時 43分] ---- 女性
▼一言
自分の考えを文字にする限界を、今、痛感しております。
>顔が見えないからいじめを受ける心配もないので。
本当にそうでしょうか?
私は、作者を批判するなと言っているわけではありません。
この場には、小説家になりたくて精進している方もいます。
そういう方々には批評・批判は好ましいものなのでしょう。ケースバイケースであると思っています。
それに、作者だけを心配しているわけではありません。たまたま作者の方が目についてしまうだけで、私にとって、作者、読者の壁はありません。
ですが、委縮している相手に対して、集団で次々と言葉を投げかけ、屈服させてゆくのはやり過ぎであると感じているのです。
自分の考えを、相手に押し付けようとするためだけに、相手を論破してゆくやり方が、私は見ていて怖いと感じているのです。
いいですとも!さんは、つまり、自分の言葉で相手が自殺したとしても、顔が見えないのだからそんなことは関係ないと仰っているのですか?
だとしたら、私は、その考えだけには賛同できません。
投稿者:
里桜
[2012年 08月 29日 (水) 04時 53分] ---- 女性
▼一言
いいですとも!さんのご意見は、私に対して向けられているのですよね。
その通りですね。私も、見過ごすことには胸が痛んでおります。
ですので、見かねた作者様には、感想欄で抗弁しても良いかどうか尋ねることにしております。
ですが作者様方は、これ以上荒れることを望みません。
おかげで私は、当たり障りのない事を書くか、見過ごすことしかできないでいます。
それに私だって好き嫌いはあります。
助けてあげたいと思えない人間の、味方はいたしません。
博愛精神で言っているわけではないのです。
投稿者: いいですとも! [2012年 08月 28日 (火) 21時 16分] ---- ----
▼一言
ネット世界にいるからには批判は付き物ですよ。
そんなに作者が心配なら批判する人間に注意をすればいいでしょうに。
一人一人がちゃんとその人の発言に注意するなどすればいいのではないでしょうか?
ただ傍観しているのは結局はその批判している人と何ら代わりはないです。
現実世界でいえばいじめを見てみぬふりをしているのと同じですよ。
それにネット世界ならちゃんと注意とか出来るはずだが?
顔が見えないからいじめを受ける心配もないので。
シレン
[2012年 08月 29日 (水) 00時 03分 50秒]
卑劣な考えだと思います。
現実世界で怖くて出来ないので、ネットの匿名性に胡坐を掻いて他人を攻撃したいだけなのではありませんか?
★現在このコメントに対しては(一定の保全を施した後)削除の是非を思案中です。
投稿者:
里桜
[2012年 08月 28日 (火) 20時 35分] ---- 女性
▼一言
昨今のいじめ問題をニュースで見ていて思うのです。
肉体的に負う傷ももちろん痛いのですが、しかしそれよりも、言葉による暴力で負う傷の方が深くて根深いのではないかと。
ネットで文章をさらせば、批判を受けることは仕方がない。
それは、確かに事実なのでしょうね。
ですが、果たして、今現在、ネットに文章やコメントを公開している人間全員が、批判、非難を覚悟して文章を載せているのでしょうか?
「小説家になろう」さんの「作者の方へ」を読んでみても、そんな悲壮な覚悟をしなければ、文章を載せてはいけないなどとは書かれていません。
むしろ、気軽に投稿することを、推奨するかのようにも感じられます。
逆に、批判をする方々に、私は聞いてみたいことがあるのです。
ご自分が誰かを批判する時に、その言葉によって、相手が自殺してしまうかもしれないという可能性を理解したうえで批判を行なっているのですかと。
覚悟を決めて文章を載せるのは、作者の側だけではないはずです。
読者の方も、相手の痛みを想像して発言するべきではないですか?
作者の側に問題がある人間がいるように、読者の側に問題のある人間も存在するのです。
時折、まるで狩りでもするかのごとく、集団でよってたかって相手を屈服させようとする場面を見かけます。
私は、そういう場面を見るたびに、怖くて仕方がありません。
どうして、そうやって追い詰めることができるのだろう。
たとえば、相手を追い詰め、自分の考えに帰順させることができたとして、得られるものは、とどのつまり自己満足でしかないのに。
その自己満足のために、相手が屈服するまで追い詰め続けて、あなたは怖くないのですか? いつも聞いてみたいと思っているのです。
小説というものの感想は、読み手の感性によって随分と変わりますよね。感想が、一種類しかないなんてことはありえないでしょう。
ただ、人間は、誰しも自分こそが正しいと信じています。人の思いは千差万別であるにもかかわらずです。
相手の考えを、自分の考えに帰順させようとすることは、人間特有の思い上がりであるとは思いませんか?
ダーウィンが唱える進化論が正しいのであれば、我々の祖先は獣です。獣は吠え声ひとつで意思疎通が可能でした。そこには利害や思惑と言った、さかしらなものは含まれていなかったことでしょう。
しかし人間は、個の思念が発達し、考え方、価値観が多様化したがゆえに、共通の言葉をもっているにも関わらず、意思の疎通が難しくなっているのが現状です。
考え方が平行線であるのならば、相手の価値観を許容することもまた、時には必要であるとは思いませんか?
こんなこと書きたくはありませんでしたが、現状では書かざるをえません。
私は、身近な人間を自殺で亡くしたことがあります。
表面的には笑顔でいても、その内側に、苦しみ悲しみを抱え込んでいて、外側から見るだけではわからないことを知っています。
人間は、誰しもが強いわけではありません。弱い人間だっているのです。
弱い人間が、覚悟も決めずに、文章を載せていることだってあるかもしれないのです。
私は、人の痛みに鈍感な人間にはなりたくありません。
たとえ私の考え方が、浅い部分で、子宮で考えていると指摘されたところで、私はこの考え方をあらためるつもりはないのです。
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