愛媛県生涯学習推進講師 堀内 千津子 指導分野●近代文学 住 所●松山市 |
「だまされたとさえ云えば、一切の責任から開放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度顔を洗い直さなければならぬ。」伊丹万作の言葉である。≪病臥九年更に一夏を耐えんとす≫と詠んだその年、昭和21年9月、夏を耐えたが秋を凌ぎ得ず、46歳で世を去った彼は映画界の鬼才である。映画監督伊丹十三の父、文学者大江健三郎の義父であることは周知のことであるが、優に一家をなすほどの文筆家であることを知る人はあまり多くはない。映画、シナリオ以外に多くの論評を残している。それらは、その短い生涯、しかも強いられた病苦の床にありながら、優れた知性、深い洞察力、強い信念に基づくものであり、高く評価されるものである。 | |||||
上記の文は、その一つ、「戦争責任者の問題」と題する評論の一部である。彼は更に云う。「だまされること自体がすでに一つの悪である。」騙されると云うことは不正者による被害を意味するものであるが、騙された者が必ずしも正しくないだけでなく、騙されること自体、悪である、騙されるということは、知識の不足、信念の薄弱からそうなるのである。騙された者の罪は、騙されたという事実そのものの中にあるのではなく、造作なく騙される程、批判力、思考力、信念を失った自己にこそ罪がある。「知」の欠如こそ「悪」である。「不明を謝す」という言葉がある。「知」の不足即ち「不明」は「謝す」ほどに「悪」なのである。 | |||||
あれから50年経った今、当節、騒がしい世の中に対して、又は私ども自身の、対人関係、日常生活の様々なできごとの中で、思い当たることのなんと多いことか。悔いることの少ない人生を送る為にも、もう一度、「不明を謝す」という言葉の意味を伊丹万作が、自己の反省を込めて言い放った言葉と共に、噛み締め、おおいに反省、自覚したい。そして、改めて、現代の社会を見通した如き、伊丹万作の慧眼に感動するのである。 |