空の軌跡エヴァハルヒ短編集
第七十一話 3周年記念ハルキョン短編 夏ヤスミの約束
※この作品は『涼宮ハルヒの驚愕(後)』の大きなネタバレを含みます。
高校1年の夏休みを覚えているだろうか?
そう、あの何万回という途方も無い時間が繰り返された夏休みだ。
結局長門を除く全員の記憶は最後の1回で上書きされてしまったわけだが、試行錯誤の末に導き出された答えの上にこの時間が成り立っていると思うと感慨深いものがある。
しかし高校2年の夏休みはそれ以上に印象に残るものになった。
発端は、ハルヒが部室でSOS団の夏合宿について発表した時の事だった。
「今年の夏合宿はドイツの古城でサスペンスホラーツアーよ!」
「冬にやった犯人当てのミステリークイズのようなものか?」
「微妙に違いますね、ミステリーは謎解きを主に楽しむ内容の物、サスペンスは物語の展開を楽しむ事に重点が置かれているわけです」
「吸血鬼が住むと言われる古城に迷い込んでしまった6人は、果たして無事に陽の光を見る事が出来るのか! うーん、今から考えただけでもワクワクするわね」
「こ、怖いです〜」
「大丈夫みくるちゃん、ゲームなんだから」
「それに本物の吸血鬼と言うわけではありません、多丸さん達の名演技に期待してください」
「おいハルヒ、6人とはどういう事だ?」
改めて言うまでも無く、俺達SOS団のメンバーは5人だ。
ならばこの場に居ない誰かが加わるのだろう。
去年と同じように妹を連れて行くのか?
「違うわ、妹ちゃんじゃないわよ」
それなら鶴屋さんか、谷口や国木田ってわけはないな。
意外な盲点で坂中か?
「キョンには思いも付かないメンバーよ。サプライズって事で楽しみにしていなさい」
まさか佐々木軍団の誰かが来るんじゃないだろうな。
それはそれで厄介な事になりそうだ。
「また先輩に会えるなんてとってもとっても嬉しいです!」
「お前は渡橋ヤスミ!」
ドイツ旅行に出発する日、集合場所でハルヒ達と共に待っていたのはあのヤスミだった。
「フルネームで名前を叫ぶなんて、よっぽど驚いたようね」
ハルヒは俺のビックリする様子を見て満足気な笑みを浮かべた。
そりゃそうだ、俺達にとっては死んだ人間の幽霊を見たようなものだからな。
しかし目の前にいるヤスミは実体を持った紛れもない人間だ。
「ヤスミちゃんは実は中学生で、お姉ちゃんの替えの制服を拝借して北高に潜り込んでいた事は知っているわよね」
ああ、ハルヒに対してはそういう設定になっていたな。
「何と、そのヤスミちゃんのお姉ちゃんがね、ヤスミちゃんが受験勉強の息抜きでSOS団の夏合宿に参加する許可を出してくれたのよ!」
あいつめ、また架空の人物をでっち上げやがったな。
ハルヒはヤスミの作り話を信じて、ほんの少しも疑っていないようだ。
「さあ全員揃ったところで出発進行!」
ハルヒの号令に従って、俺達は駐車場に止めてあったワンボックスカーに乗り込んだ。
運転席に座っているのは荒川さん、助手席にはガイドの服装をした森さん。
機関の相変わらずの手際の良さに俺は感心した。
3人が横に並べる一番奥の席の列には団長であるハルヒが真ん中に座り、両側には朝比奈さんとヤスミが腰を下ろす。
運転席との中間にある前の列の席には両端の席に古泉と長門が、俺は補助席を引っ張り出して座った。
そして新川さんの運転する車は空港に向けて走り出す。
俺はハルヒと朝比奈さんとヤスミが話に夢中になっているのを確かめてから抑えた声で古泉に尋ねる。
「おい、あいつは消えちまったはずだろう?」
「ええ、そのはずなのですが……」
古泉はうなずいたが歯切れの悪さを見せた。
高校2年の1学期に起こった、世界が分裂までしてしまうと言うトンデモ事件。
佐々木の側に居た藤原の陰謀で、ハルヒが命の危険にさらされる緊急事態だった。
そのピンチを救うために俺達を誘導したのが、無意識のうちに生み出されたハルヒの分身、渡橋ヤスミだ。
しかし事件の最中、分裂した俺が融合すると同時に姿を消してしまい、2度と俺達の前に姿を現さなかった。
事件解決の後、ハルヒと朝比奈さん(小)には実はヤスミが中学3年で、こっそり北高に忍び込んだ事が家族に発覚し、会えなくなってしまったと説明がなされている。
そのヤスミが再び姿を現すとは、またもや事件が起きようとしているのか……?
「さあ、その点はご本人に聞かないと」
「お前、何でそんなに悠長にしていられるんだよ」
「ヤスミさん自身は危険な存在ではありませんし、彼女が涼宮さんに危害を加えるなんてありえませんから」
「だが、また藤原達がハルヒの命を狙っているとは考えられないか?」
「彼らに不審な動きは見られない」
俺達の話を聞いていた長門がぽつりとそうつぶやいた。
あの事件からずっと監視してくれているのか、ありがとうよ、長門。
そうなるとどうしてヤスミが居るのかますます訳が分からなくなる。
「せっかくのドイツ旅行です、そんな難しい顔をしていると涼宮さんに怒られますよ」
「そうだな」
俺は古泉の言葉にうなずき、考える事を放棄した。
どうせ俺は特別な能力を持った人間でもない、ハルヒが危険に巻き込まれた時は体を張って守るだけだと開き直った。
成田空港に到着した俺達はバスを降り、ロビーでドイツの街フランクフルト行きの便を待つ。
これから12時間近くの長い空の旅になるらしい。
できればヤスミの目的を聞き出して、不安の無いフライトを迎えたい所だった。
「先輩、飲み物買ってきますね!」
ヤスミはそう言って、ハルヒ達の飲み物の希望を聞いた。
「ほらキョン、あんた何をボーっとしているのよ、雑用係の先輩として手本を見せなさい!」
後輩ができても、俺は雑用続投かよ。
とにかくハルヒのおかげで俺はヤスミと2人だけで行動するチャンスを得た。
ハルヒ達から十分離れた所で、俺はヤスミに問い掛ける。
「お前が復活した目的は何だ?」
「あたしには、まだやり残した事があるのを思い出したんです。あっ、大丈夫ですよ、危険な事はありませんから」
「また夏休みが永遠に繰り返されるやっかいな事態になるんじゃないだろうな」
「フフ、それは先輩次第ですね」
ヤスミの言葉に俺は驚いた。
去年はSOS団で俺の夏休みの宿題を手伝うイベントが鍵だった。
だからハルヒには思い残した事はないはずだ。
「で、俺は何をすればいいんだ?」
「問題ありません、先輩なら絶対、絶対、大丈夫ですから!」
「おい、質問に答えろ!」
「嫌ですよ、それじゃあ面白くなくなっちゃう」
くっ、こいつの性格もハルヒそっくりだ。
それから俺達は飛行機の中でも、ドイツに到着してからの市内観光でも、なかなかヤスミと2人だけで話す機会は持てず、ついに目的地である古城に到着してしまった。
「これは想像以上ね!」
「お姫様が住んでいそうですね」
「すっごいすっごい素敵なお城ですっ!」
城を目の前にしたハルヒと朝比奈さんとヤスミは感激の声を上げた。
俺達が泊まることになる城は、白い壁面の綺麗な城だった。
周りを囲む人工の水掘りに反射する城の姿が美しさをさらに際立てている。
「この城はとある富豪の個人の持ち物でして、特別に貸してもらえたのです」
車から降りた俺達は一列になってつり橋を渡り、城への入口へと向かう。
古泉がこの城を選んだのは、ハルヒの要望に合致するからだそうだ。
「せっかく吸血鬼が襲ってくるシチュエーションなんだから、出口が何個もあるなんて興が削がれるじゃない?」
「じゃ、じゃあこの橋が落ちたら、どうなっちゃうんですかぁ?」
震える朝比奈さんを安心させるために、古泉が落ち着いて説明する。
「大丈夫ですよ、このつり橋の安全性は確かめましたし、ヘリコプターも呼べますから」
「ゲームのルール上、ヘリで脱出は反則だけどね」
「本気で悪趣味なゲームを実行するつもりかよ」
長時間のフライト、そして慣れない異国の街の観光で疲れていた俺はウンザリした気持ちになった。
「まあドイツ旅行はまだまだこれから続くんだし、今日のところはゆっくり休息を取らせてあげるわ、感謝しなさい!」
嵐の前の静けさとも言うべきか、その日の夜はハルヒは何の騒ぎも起こさなかった。
俺はヤスミをさらに問い詰めるべきか迷ったが、疲労から体が休息を求めている。
これからの旅行を楽しむためにも、体力は回復しておいた方が良いだろう。
俺が案内された部屋は、それほど広くない部屋だった。
メイド姿になった森さんの話だと、使用人の部屋のようで、これもハルヒの指示らしい。
悔しい気もするが、豪華絢爛な客室よりもこれぐらい狭い部屋の方が落ち着いて眠れそうだ。
悲しい日本人庶民の性とも言うべきなんだろうか。
次の日はたっぷり睡眠がとれたおかげで、俺もドイツの市内観光をしっかりと楽しむ事が出来た。
そして夕食の場でハルヒが言い出したのは、仮装パーティだった。
俺は使用人の服装に着替えさせられた。
古泉は何だか童話に出てきた王子様のような豪華な服装だ。
違和感を感じさせないのが鼻に付くぜ。
ちなみに長門は魔女、朝比奈さんはメイド、ヤスミはピエロのような格好をさせられていた。
ハルヒは……綺麗なドレスに身を包み、貴族の令嬢を通り越してまるでこの城のお姫様のような風格を醸し出している。
落ち着いた表情で穏やかに微笑みかけながら静々と歩いて来るハルヒに、俺は言葉を失ってしまう。
「どう、決まっているでしょう?」
そう言っていつもの腰に手を当てたポーズと無邪気な笑顔になったハルヒは、一瞬にしておてんば姫へと印象を変えた。
「ああ、良いんじゃないか」
「何よそれ、気の無い返事ね。もっと、驚くかと思ったのに」
ああ、さっきは驚きすぎて声が出なかったのさ。
服を着替えて食事するだけとはハルヒのイベントにしてはおとなしい方だなと思っていると、しばらくして音楽が流れ始める。
「皆様、ダンスホールの方へお越しください」
すっかり執事が板に付いている新川さんに促され、俺達は夕食を取っていた大広間からダンスホールへと移動した。
ダンスホールのスピーカーから大音量のダンスミュージックが流され、天井につるされた大きなシャンデリアは幻想的な雰囲気を出している。
「本来ならば、楽団による生演奏を差し上げたかったのですが……」
「いいのよ、なるべく少ない人数の方が良いって言ったのはあたしの方なんだし」
頭を下げて謝る新川さんに、ハルヒは首を横に振って否定した。
「先輩、先輩、一緒に踊りましょう!」
突然開催されることになった舞踏会に戸惑う俺の腕を引っ張ったのはヤスミだった。
「だが俺はダンスなんて踊った事ないぞ」
「問題ありません、あたしも初めてですから!」
「じゃあダメダメじゃないか」
自信たっぷりに明るくそう答えるヤスミに俺はウンザリした顔でため息をついた。
「音楽に合わせて適当に手を足を動かせばいいんですよ」
「おいっ、ちょっと、服を引っ張るな!」
俺は助けを求めてハルヒ達の方を見るが、ハルヒは不機嫌そうな表情でにらみ返してくる。
「古泉君、あたし達はキョン達のハチャメチャなダンスに巻き込まれないように向こうで踊りましょう!」
「姫様の仰せのままに」
古泉はそう言うと恭しくハルヒの手を取って踊り始めてしまった。
「え、えっと……」
朝比奈さんは助けを求めている俺よりも心細い様子でオロオロしていて、長門は無表情で立っているだけだった。
「ほら先輩、もっと体を動かしてハッスルハッスル!」
「いや、元気に踊る曲じゃないと思うんだが」
ピエロに振り回される愚かな使用人のごとく、俺達のダンスはグチャグチャだった。
それに比べハルヒと古泉のダンスは古泉のリードの良さもあるのか、本物の王子と姫が踊っているかのような美しいダンスだった。
だが肝心の姫様の表情が今一つ優れないように見えるのは俺の気のせいだろうか?
それから俺達は何曲か踊り続けたが、あのハルヒに匹敵する体力の持ち主に俺は追いつけるはずもなく、踊りなれていない事もあって俺は息も絶え絶えとなってしまった。
反してヤスミはやっとウォーミングアップが終わったかのようだった。
「すみません、新川を見かけませんでしたか?」
血相を変えたのメイド姿の森さんがダンスホールに駆け込んで来た事で、俺達SOS団の舞踏会は中断した。
「新川さんなら僕達をダンスホールに案内した後、多丸さん達の居るラウンジへ行くと言っていましたが」
「それが多丸様方のいらっしゃったラウンジを探しても、誰の姿も見当たらないのです。しかもラウンジには何者かが激しく争った跡も……」
森さんから話を聞いた俺達は深刻な表情でラウンジへと向かった。
するとラウンジは森さんの説明通り、調度品が壊れるほど荒れている。
「この赤い液体は……血ではないですか?」
「ええっ!?」
古泉がそう言うと、朝比奈さんが青い顔をして短い悲鳴を上げた。
だがおかしい、血が流れれば生臭い臭いがするはずだ。
「これは血糊ですよ、ほら映画の撮影でも使ったでしょう?」
「そうなんですか……」
俺が説明すると、朝比奈さんは少し安心した表情になった。
「せっかく古泉君が迫真の演技で臨場感を出したのに、あっさりとネタばらししちゃダメじゃない」
「だからって、刺激が強すぎるだろ」
「そうね、みくるちゃんには悪い事しちゃったわね」
「ともかく血が新川さん達のものかどうかはわかりませんが、ラウンジで争いがあった事は確かですね」
古泉は警戒感をあらわにした表情を作ってそう告げた。
これもハルヒの言っていたイベントの導入部分なのだろう。
「恐れていた事が、起こってしまったようです」
森さんも青い顔をして体を震わせた。
「どういう事ですか?」
古泉の質問に、森さんはこの城に伝わる吸血鬼の伝説について簡単に話し始めた。
現代の日本では西洋の妖怪と見られている吸血鬼ドラキュラだが、創作上の存在ではなく実際にこの城の主として君臨して居たのだと言う。
銀の聖鞭を持つ神官によってその吸血鬼は退治された。
しかし肉体は滅ぼせても魂だけは滅ぼす事はできず、その魂はこの城に封印されていたらしい。
「それではその封印が弱まり、吸血鬼の魂が復活してしまったかもしれないと言う事ですね」
「じゃあもしかして多丸さん達が憑りつかれて吸血鬼になってしまった可能性があるのね!」
森さんと古泉が真剣に演技しているのに、ぶち壊しにするような明るい笑顔で発言するなよ。
仕方ないか、ハルヒにとってはワクワクするようなイベント開始の合図なんだからな。
俺達がラウンジで話していると、新川さんの大きな悲鳴のような声が聞こえてきた。
驚いた俺達がラウンジの外に出ると、廊下では血まみれの新川さんが吸血鬼らしい人物と戦っていた!
「あ、新川さん?」
「み、皆様、お逃げください、私が食い止めている間に早く!」
吸血鬼を床に突き倒した新川さんは俺達の方を振り返ると、切迫した表情で俺達に告げた。
床にはいつくばってもがいている吸血鬼は多丸さん弟の方だろうが、顔色は死んだ人間のようにメイクがされており、肩には吸血鬼に噛まれた牙の跡まで残されている。
森さんの話によると、吸血鬼に噛まれて死んでしまった人間も、時間が経つと吸血鬼として復活し襲いかかってくるらしい。
吸血鬼の多丸さん弟相手に善戦する新川さんだったが、突然廊下の角から多丸さん兄が姿を現し、新川さんに襲い掛かったのだ。
「ぐはっ!」
肩を吸血鬼に噛まれた新川さんは短い悲鳴を上げて倒れてしまった。
なんてこった、俺達の目の前で3人目の吸血鬼が誕生するとは。
「私達が吸血鬼の魔の手から逃れる方法は、唯一の出入り口であるつり橋から城を脱出するか、夜が明けるのを待つしかありません」
森さんが淡々とした口調でゲームのルールを説明した。
なるほど、吸血鬼を倒す選択はできないわけか。
まあ多丸さん達を袋叩きにするわけにもいかないし、実際の吸血鬼相手だと勝てるかどうか分からないしな。
すると吸血鬼の隙を突いて脱出するのが現実的か。
「みんなで固まって居たら吸血鬼に包囲されちゃうわ、ここは分散して逃げるべきよ」
「すると2人1組で行動した方が良いですね」
ハルヒの言葉を受けて、古泉が提案した。
しかし組み合わせはどうする、吸血鬼2人が新川さんに引き付けられているうちに早く決めないとまずいだろ。
「じゃあキョン、あんたはあたしが――」
「先輩、あたしと一緒に行きましょう!」
ハルヒが俺の方へ手を伸ばそうとした時、ヤスミの方が先に俺の手をつかんで駆け出していた。
「ちょ、ちょっと!」
驚いた顔のハルヒが俺の前から遠ざかって行った。
そう言えば北高に入学してそれほど経たない頃、俺はハルヒに引っ張られて屋上まで連れて行かれた事があったな。
俺はヤスミと廊下を走りながらそう思い返していた。
「とりあえず、この辺で様子を見ましょうか?」
俺達が到着したのは、ソファやテーブルのセットが数組かある応接間のような場所だった。
出入り口も1つに絞られていない分警戒する必要はあるが、追い込まれにくい。
しかしヤスミはあれだけの距離を走って来たというのに、全く息が上がっていない。
俺は完全に足手まといだ。
「なあ、どうして俺にばかり構うんだ?」
「先輩はあたしの正体については知ってますよね?」
「ああ、お前はハルヒの分身だろう」
「はい、でもあたしは中学生の姿で生み出されました。ですから、あたしのやりたい事は今の涼宮ハルヒが中学生の頃したかったと望んでいることなんです」
ハルヒの中学3年間については古泉や谷口から聞いている。
周囲から理解されずに孤立していたハルヒ。
古泉によれば笑顔を決して見せる事の無かった中学生時代を、ハルヒはどう思い返しているのだろうか。
きっと後悔している、だから再びヤスミが出現したのだ。
だがハルヒの中学時代の思い残しとは何だ、今のハルヒではできない事か?
「高校生のあたしが髪を短く切ってしまった理由、先輩には解りますか?」
「ああ、そんな事もあったな」
入学した当初のハルヒは、あの長門が発生させた平行世界のように髪を長く伸ばしていた。
「あたしが髪を切った前の日、先輩はあたしと何を話したか覚えてますか?」
「すまん、全く思い出せん」
ヤスミによれば、ハルヒは俺に前にどこかで会った事があるか尋ね、俺は知らないと答えたようだ。
そりゃそうだ、その時の俺は過去の七夕にタイムワープなどした事が無い平凡な高校生だったからな。
「その時、あたしが3年近く思い続けた恋が破れてしまったんです」
「何だと!?」
失恋したら髪を切るというのは聞いた事があるが、意外に古風なところがあるな。
しかしハルヒの恋の相手がどうして俺なんだ?
「あたしはあなたに会うために北高に入学したんです、ジョン・スミス先輩」
ヤスミの言葉を聞いて、俺は驚愕のあまり声が出せずに固まってしまった。
俺がジョン・スミスである事はハルヒには知られてはならない禁則事項である。
なぜなら、ハルヒがタイムワープが実在するものだと知ってしまうと、世の中の時間の流れや物理法則がおかしくなってしまう可能性があるからだ。
それを阻止するため古泉や朝比奈さん、そして長門も頑張っていたのに、すでにハルヒにばれてしまっているのか?
「ですから、あたしは涼宮ハルヒの中学生の頃の心残りを具現化した存在なんです」
そう言うとヤスミは中学時代に孤独を抱えたハルヒが、いかに宇宙人や未来人、異世界人と遊びたかったのか語った。
いや実際は俺がハルヒに告げた通り、地球人でもそれに準ずる人間であれば構わなかったのだ。
それなら俺達とこうして楽しく過ごす事がヤスミの本懐なのか?
「好きです、先輩」
ヤスミはそう言うと顔を近づけて来た。
戸惑う俺の顔にヤスミの唇が接しようとしたその時。
「あんた達、何してるのよ!」
俺達に人差し指を突き付け怒鳴ったのは、別行動をしているはずのハルヒだった。
ハルヒの側には苦笑を浮かべている古泉も立っていた。
「団長さんがこっちに向かってくるのが分かったんで、ドッキリを仕掛けたんですよね、先輩?」
「そ、そうだな」
ヤスミに言われた俺は慌ててうなずいた。
「キョン、あんたねえ!」
「涼宮さん、大きな音を出すと吸血鬼に見つかってしまいますよ」
俺に殴りかかろうとしたハルヒを古泉がなだめた。
ふう、ゲーム中で助かったぜ。
古泉の話によると、俺とヤスミを追いかけようとした吸血鬼を上手く城内の反対側に誘導し、巻いて来たのだと言う。
「だから俺達の所に吸血鬼が来なかったのか……」
「あんた達があっさり捕まりすぎても面白くないからよ、感謝しなさい!」
「そうか、ありがとうよ」
「休息は十分取れたでしょう、さあ行くわよ!」
そう言うとハルヒは、俺の腕をつかんで引っ張った。
何故だ、ハルヒは俺に罰ゲームをさせたいはずだろう?
「涼宮さんは仮にゲームの中であっても被害者を出したくないのですよ」
全員脱出してハッピーエンドか、ハルヒの考えそうなシナリオだな。
そうと決まったら、俺が足を引っ張るわけにはいかない。
ハルヒ達に巻かれた吸血鬼達は俺達を探し回っているはずだ。
俺達は周囲を警戒しながらつり橋に向かう。
本物の古城だけあって隠し通路なども存在し、それを使って俺達は有利に逃走をする事ができた。
その間俺はハルヒに手を引かれたままだって言うのは恥ずかしかったが。
とにかく俺達は吸血鬼の目をすり抜けて、朝比奈さん、長門、森さんと合流し、7人全員でつり橋を渡って城を脱出する事に成功する。
「このゲームはあたし達の大勝利ね!」
森さんがレシーバーで連絡すると、吸血鬼のメイクをした新川さんと多丸さん兄弟がつり橋を渡ってやって来た。
「僕達も頑張ったけど、誰も捕まえられないとは思ってもみなかったよ」
「私達は良いようにあしらわれてしまったね」
「捜査方法が視覚・聴覚のみに限定されて居たとは言え、上手く追跡の手を誘導するとはお見事でしたな」
吸血鬼役の3人の賛辞の言葉を聞いたハルヒは上機嫌だった。
しばらくゲームの勝利の余韻に浸っていた俺達だが、朝比奈さんがくしゃみをして体を震わせると、古泉は城の中に戻るように促す。
ドイツの夏は日本に比べて10度くらい温度が低い。
日が沈んでからは涼しいを通り越して寒いくらいだった。
大広間に戻った俺達は、吸血鬼のメイクを解いた新川さん達とゲームのお疲れ会を開いていた。
ドイツの法律では16歳から飲酒が許されており、日本では外国での飲酒を取り締まる報告は無い。
だから俺達も特別にビールで乾杯した。
「たっぷりと運動した後のビールはおいしいわね、ドイツに来て良かったわ!」
「おい、飲みすぎるなよ」
あっという間にビールを飲み干してお代わりをもらうハルヒに、俺は声を掛けた。
俺達が飲んでいると、森さんが運んでいたビールジョッキを落とす音が大広間に響いた。
驚いた俺達が視線を集中させると、吸血鬼らしい人物が大広間に入って来たのが見えた。
しかしここには多丸兄弟も新川さんも森さんも全員揃ってる。
「ハルヒ、誰が吸血鬼の格好をしているんだ?」
「あたしも知らないわよ!」
「お前の企画したサプライズイベントじゃないのか?」
まさかハルヒの能力で吸血鬼が具現化してしまったんじゃないだろうな。
そして吸血鬼は驚く俺達の目の前で、ハルヒに狙いを定めて襲い掛かって来た!
俺はハルヒの手を取って逃げようとしたが、酔いが回ってしまったのか、ハルヒは歩く事すらままならない。
すぐに俺達は吸血鬼に追いつかれてしまった。
こうなったら、俺が体を張ってハルヒを守るしかない!
俺はかばうようにハルヒの体を抱き締めた。
「がおーっ、噛んじゃうにょろー!」
吸血鬼から発せられた声を聞いて、俺は体中から力が抜けた。
そして息を吐き出しながら吸血鬼に向かって問い掛ける。
「なんだ、鶴屋さんでしたか……」
「SOS団の合宿に途中参加できるようになったから、古泉君に聞いて合流しようと思ったんにょろ」
「涼宮さんも知らないサプライズです」
「び、ビックリしました……」
朝比奈さんはそう言ってへたりこんだ。
鶴屋さんが謝りながら朝比奈さんに近づいて行くが、吸血鬼のメイクをしたままでは怖いようだ。
「長門は鶴屋さんだと分かっていたのか?」
俺の問い掛けに長門は無言でうなずいた。
「とっても、あたしも驚きましたよ!」
ヤスミも飛び上がって嬉しそうにそう言った。
そして肝心のハルヒだが、酔いが回ったのか眠ってしまっていた。
まあヤスミの感想がそのままハルヒと同じと考えて間違いないだろう。
「どうやら大成功のようですね」
「ハルヒは寝てしまったみたいだし、俺達も解散するか」
俺はハルヒを『お姫様抱っこ』し、部屋まで連れて行った。
こいつ、眠っている間は可愛いんだよな。
「ハルヒ、部屋に着いたぞ」
「ありがと……助けてくれて」
もう吸血鬼は鶴屋さんだってわかっているはずなのに、まだ寝ぼけているのか?
俺はハルヒが風邪を引かないように、寝かせて掛布団を掛けてから部屋を出た。
「団長さんはお眠りになりましたか?」
「ああ、満足した様子だったな」
ハルヒを部屋に送り届けた後、俺の部屋の前で帰りを待っていたのはヤスミだった。
「さっきはあたしに邪魔されちゃいましたけど、今度は大丈夫そうですね」
「あの続きならゴメンだ」
「女の子のキスを拒絶するなんて、先輩はあたしが好きなんですね、フフ」
「違う」
「それじゃあ、古泉先輩が好きなんですか?」
「それは断じてありえん!」
俺は力いっぱい否定した。
ヤスミはお腹を抱えて笑い目じりにたまった涙を指で拭いた後、真剣な表情になって俺を見つめる。
「先輩にお願いがあるんです、自分がジョン・スミスだとあたしに告白して下さい」
「だからそれは無理だと言っているだろう」
「禁則事項だからですか?」
「ああ、俺はこの世界をメチャクチャな物にしたくないからな」
そう言って俺は自分の部屋へと入ろうとしたが、ヤスミは俺の腕をつかんで引き留める。
「あたしが再び出て来られたのも、それだけ今のあたしがピンチって事なんだと思うんです!」
「俺にはハルヒが危ないとは思えない、むしろ笑顔で元気一杯に見えるけどな」
「それは……あたしの中で先輩に対する気持ちが変わって来たからだと思います」
「ハルヒが俺を好きになってしまったって事か?」
ヤスミは俺の質問にしっかりとうなずいた後、困った表情で話を続ける。
「でも今のあたしはジョン・スミスに対する気持ちが捨て切れないんです。だから先輩がジョン・スミスなら、先輩を好きになっても悩む必要は無くなります!」
「まあそれはそうかもしれないが、俺は古泉や朝比奈さん達の努力を裏切るような真似は出来ん」
「それは先輩の言い訳じゃないんですか? あたしに告白する勇気がないから逃げるんですね」
くっ、まるでハルヒ本人に詰め寄られているみたいだ。
中学生のハルヒも心を閉ざしていなかったら、こんなにおせっかいなやつだったんだな。
「あなたが涼宮さんに告白せずとも、涼宮さんに心の整理をつけさせる方法がありますよ」
物陰から姿を現したのは、古泉だった。
「どうして古泉先輩がここに?」
「彼に余計な事を吹き込まないかと心配で、見張っていたのですよ」
「あたしは今のあたしのピンチを助ける方法を先輩に提示しただけです!」
古泉がそう言うと、ヤスミは頬を膨らませて反論した。
俺はヤスミをなだめながら告げる。
「まあ古泉の言い分も聞いてやろうじゃないか」
「僕の考える方法はこうです。またジョン・スミスを登場させ、あなたとの関連性を完全に否定。そして涼宮さんにジョン・スミスが決別を言い渡せば、涼宮さんの心の迷いは無くなります」
「それはハルヒにジョン・スミスとの失恋を受け入れさせるって事だよな?」
「はい、ですがこれで涼宮さんがタイムワープの可能性について考える事は無くなり、世界は安定に向かいます」
「なるほど」
俺が古泉の言葉に納得してうなずくと、ヤスミは俺の腕を引っ張って訴えかける。
「それじゃダメです! ジョン・スミスのとの事が、あたしの中でとっても悲しい思い出になっちゃいます!」
「しかしタイムワープの事を涼宮さんに話してしまうのは、リスクが高すぎます」
ヤスミと古泉の話は平行線をたどっていた。
俺はハルヒの願いをかなえるか世界の安定を図るか、決断しなければならない。
そして俺が出した答えは……。
俺達がドイツから帰る日の早朝、俺達はブロッケン現象を見るために夜明け前からブロッケン山を登っていた。
ブロッケン現象の詳しい説明についてはwikipediaなどをご覧いただくとして、簡単に言えば虹のような光の輪が空中に浮かんで見える現象だ。
気候によって見れたり見れなかったりするらしい。
まるで日本の真冬のように寒い山道を登った俺達は、鶴屋さんの元気な声に励まされながらブロッケン現象を見る事の出来るスポットに到着した。
ブロッケン現象が見れるようになるまでには少し時間が掛かると聞かされた俺達は、周囲を散策する事になった。
俺はハルヒの腕を引っ張り、SOS団のメンバーと離れた場所に移動する。
「ハルヒ、こんな時にすまないが大事な話があるんだ」
「どうせくだらない話だろうけど、聞いてあげるわ。だからさっさと済ませなさい」
「実は俺がジョン・スミスだったんだ」
「はぁ!?」
驚いて声を上げるハルヒに、俺は4年前、ハルヒが中学1年の七夕の夜に体験した事を話した。
「どうして、あんたがそのことを知っているのよ、誰にも言っていないはずなのに……」
やはりハルヒは長門が創ってしまった平行世界のハルヒと同じ反応を見せた。
どうやら以前と違って俺の話を頭から否定しなくなったみたいだ。
だが俺はタイムワープに関与している朝比奈さんや長門については説明せずに伏せて置いた。
そんな穴のある説明でハルヒは信じてくれるだろうかと冷や冷やしてた俺だが、ハルヒは空を指差して、俺に見るように告げた。
「ブロッケン現象、もう起きていたのか」
「あんたはどうしてブロッケン現象が起きるか、科学的に説明できる?」
「そりゃ古泉や長門ほどの知識を持っていないと無理な話だ」
「でも目の前で起きている奇跡の素晴らしさはあんたにも分かるでしょう?」
「……そうだな」
俺とハルヒはしばらく黙って霧の中に浮かぶ虹の輪を見つめていた。
「だから、あたしはあんたがジョンだったって事で満足。細かい謎はどうでもいいわ」
ハルヒはそう言うと俺の手を握り、SOS団のメンバーが集まっている場所に向かって歩き始めた。
「涼宮さん、もうブロッケン現象が始まってしまいましたよ」
「ごめん、キョンがグズグズしてたから」
「スッキリしたような顔をなされていますが、悩み事の相談でもしておられたのでしょうか?」
「あたしがキョンにそんな事相談するわけないじゃない!」
そう言ってハルヒは古泉の言葉を笑い飛ばした。
ブロッケン現象を眺め終わった俺達はブロッケン山を下り、ドイツの市街で土産を買って帰りの飛行機に乗った。
「古泉、閉鎖空間の発生具合はどうだ?」
「どうやら、あの佐々木さん登場以来2度目のビックウェーブは収まったようです」
古泉は大きくため息をつきながらそう答えた。
悪かったな、心配させて。
だがお前達もハルヒの事をもうちょっと信じてやるべきだ、あいつはそう簡単に世界を壊したりはしない。
「ならば涼宮さんと婚約でもして、もっと僕達を安心させて欲しいものですね」
「馬鹿言え」
ヤスミは別れを惜しんでいる朝比奈さんやハルヒ達に囲まれ、俺達と話す時間は無いまま、ヤスミは自宅へと新川さんの運転する車で送り届けられた。
「じゃあヤスミちゃん、また今度ね!」
「……はいっ!」
ハルヒの言葉を聞いたヤスミは驚いた顔をした後、元気いっぱいの笑顔でそう答えた。
まさか、また出て来るつもりか?
俺と目が合ったヤスミは舌をペロッと出したのだった。
「キョンくん、渡橋さんって女の人から電話ー」
俺が風呂に入って旅の疲れを癒していると、ヤスミから電話が掛かって来た。
そういや、俺とあいつのファースト・コンタクトも電話だったな。
「先輩、あたしの願いをかなえてくれて、とってもとっても嬉しいです!」
「もうお前の心残りは無くなっただろう」
「はい、でもあたしは呼ばれたらまた参上しますから!」
「お前は正義のヒーローか」
俺はウンザリとした口調でヤスミにツッコミを入れた。
「フフ、ヒーローは約束を破った相手には厳しいんですよ?」
「ああ、覚悟しておくよ」
――夏休みにヤスミと交わした約束。
それは同時にハルヒと交わした約束でもあった。
俺達は高校生だからこれからどうなるかわからない。
だけど隠し事も無くなったし、これからはお互い正直に行こうじゃないか、好きだって気持ちをごまかさずにな。
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