さんまの旬が到来した。岩手県・大船渡の「福幸さんま直送便」も今月出荷がスタート。大声で自慢したい、誇れる海の幸である。
だが、一昨年までと違い、「さんま送るから、欲しいときは言ってね」と友人知人に伝えることをためらうようになった。
水質調査も放射線検査もクリアした魚である。にもかかわらず、「東北で揚がった」というだけで、忌避されるのではないかと恐れる気持ちがある。声をかければ、友人たちは「ありがとう」と言ってくれるはずだ。だが、欲しいとは言ってもらえるだろうか。
皆、小さい子供のいる世代。大丈夫とは思っても「もしかしたら…」と懸念のよぎることがあるのではないか…もし拒否されたら…。そんな不安にとらわれるようになった。
震災で変わってしまったのは、町並みや人々の生活だけではない。誇らしかったはずの産物、自然、そして、プライドまで、原発事故によっておとしめられてしまった。
ツイッターなどのSNSで一度、「放射能」という単語を検索してほしい。そこには、根拠のない流言飛語をまき散らし、誰かの訃報を聞けば「放射能が原因」(俳優・地井武男さんの病死や、松下忠洋金融担当相の自殺もそのせいらしい)と言いたがる「放射“脳”」がはびこる。
「玄米で放射能の毒出し」やら、「無線LANでも被爆する」といった“珍科学”とも、いくらでもお目にかかれる。
こうしたデマを平気で垂れ流す人々にとって、東北は「見捨てても誰も困らない、復興の必要がない場所」なのだそうだ。しかし、その意見の根拠や情報ソースを尋ねても、まっとうな答えが返ってくることはない。
鬼門(北東)に住む鬼だから、殺しても構わない−そういって朝廷に征伐された蝦夷を、こんな皮肉な形で思い浮かべるとは。かの地とそこに住む人々は“穢(けが)れ”であり、持ち込まれたら自分たちも穢れると考える人間は確かに存在するのだ。
がれき処理場の重機の中にセキレイが巣を作り、ヒナが生まれたというエピソードを取材したことがある。そこで働く建設業者と雑談していて、話ががれき受け入れ拒否に及んだ。彼らはサッと表情を変え、「じゃあ、その“危険物”を処理し続ける俺たちって、一体なんなんだべな?」と吐き捨てるように言った。
「見でみろこのヒナ。どっかおかしいとこあるが? ずっと、ここさいる親鳥が病気に見えっが? 記者さんよ、俺たちは健康だよって書いてくれや。『でも、ああやってやみくもに拒まれたら、心は折れる』ってな」。
東北のものを忌み嫌い、避けるというのも、いわば1つの権利だ。そこの物産をその人が買わないからと言って、責められる理由はどこにもない。
ただし、根拠のないデマが伴う場合は話が別である。再生へ向かう人々の足を引っ張り心をくじくのは、無知が生み出す言われなき差別だ。
■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当する。