●クマ牧場の問題
日本で最初に作られたクマ牧場は登別クマ牧場で、1956年(昭和31年)に支笏洞爺国立公園の中に設けられました(昭和33年開園)。クマ牧場は、最小のコストで最大の利益を得るという戦略で作られています。春グマ狩りで得られた子グマを飼育し、入場料を取って見せ物にする。餌はホテルや病院などの残飯をただで集めてくる。日中は餌を与えず観光客に餌を買わせ、クマ与えさせる。飢えたクマが「おねだり」させる姿が人気をよぶ。過密飼育からストレスでケンカをするのが客を面白がらせたりもする。毎年繁殖させ、適宜間引いてその肉や胆汁を採取する。コンクリートの頑丈な施設を作れば、後はさほど飼育コストがかからない……このような仕組みです。<
その後、同様のスタイルのクマ牧場が、各地に作られ、現在、登別、昭和新山、定山渓、上川(北海道)、阿仁、八幡平(秋田)、奥飛騨(岐阜)、阿蘇(熊本)の8ケ所にあります。国立公園や観光地にあり、パック旅行や修学旅行コースに組み入れられており、最近は、韓国、台湾からのツアー客も多くなっています。
●狩猟と駆除の問題
本州のツキノワグマの推定生息数は約1万頭、北海道のヒグマは2000頭にすぎません。それなのに、未だにクマは狩猟されています。猟期が終わっても、雪の多い地域では「春グマ駆除」という恒例の狩猟が行われます。夏から秋までは農林業被害によって有害駆除が行われるため、クマはほぼ一年中、捕殺されていることになります。
特に春先のクマはその胆嚢が高く売れるため慣例的に捕殺されます。母グマを殺したあとに残される子グマはクマ牧場などに送られます。クマ牧場側にとっても愛らしい子グマは客寄せ効果が高く引き受けるのですが、その後どうなるのかは不明です。
●日本にはクマ牧場への法規制がない
1991年、世界動物保護協会(WSPA)が、登別クマ牧場での虐待的な飼育方法や胆嚢採取と闇売買の実態を調査し公表しました。生きた子グマは韓国のクマの養殖場(胆汁採取用)などに売られていました。CITES(ワシントン条約)締約国会議が京都で開かれていたこととあいまって世界的な抗議を招き、その結果、登別、阿蘇などのクマ牧場は胆嚢の売買から手を引きました。けれども、日本には動物園や動物飼育業に対する有効な法規制がないために、その他のクマ牧場の実態の把握は困難です。
日本のクマの問題は、狩猟と有害駆除、個体の商取引、捕獲個体の飼育などさまざまな社会的取り組みを必要とする問題でもあります。国民の共有財産として保護する仕組みが早急に必要です。
動物保護法の必要性 〜クマ保護に関わる法律〜
日本には動物の保護に関わる3つの法律があるが、クマ問題はこの3つの法律に関っている。
●鳥獣保護法
日本では毎年1500頭ものクマ狩猟と有害駆除で捕殺されている。これを許しているのは野生鳥獣の狩猟と有害駆除に関する「鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律」(鳥獣保護法)である。
クマは、狩猟獣であると同時に(ただし西日本では狩猟は禁止)、農林業被害や人身事故のおそれから有害駆除も行われている。それに加えて予察駆除(被害の実態はないが、将来被害を起こす可能性があるので予防的に駆除すること)も許されている。生息地の破壊と伴ってこのような状態が続くと、各地でクマが絶滅するおそれがある。
私たちは、この法律が改正されて、以下のことができるようになることを求めている。