熊使いの神話学


伊東 一郎


 子供の頃ボリショイ・サーカスを初めて見た時、熊のオートバイ乗りという芸に強い印象を受けて、いまだにそれを覚えているが、10数年前に南ブルガリアの村で民族学の調査を行なっていた時、夏の聖エリヤ祭の見せ物としてジプシーの夫婦が熊を連れて登場し、弦楽器の調べに合わせて熊が踊るのを見て、熊の芸能の系譜というものに関心を持つようになった。
 熊が古くからスラヴ人の間で畏怖の対象であったことは、スラヴ諸語で「熊」を意味する本来の名詞が、それを発音することによって熊が実際に現われることを恐れたために失われ、いずれも「蜜を食うもの」という意味の呼びかえ語(med-v-ed')に置き変わっていることからわかる。ロシア語でさらに熊をミハイル、ミーシャと言った人名によって呼び代えたり(雌熊の場合にはマトリョーナなどと呼ぶ)、さらに「叔父」などの親族名称で呼ぶのも、メドヴェーヂという単語の発音をさらにタブー視した結果の2次的な呼びかえと考えられる。
 熊はスラヴ人の間では恐れられると同時に、豊穰や健康をもたらす肯定的存在でもあり、その毛皮は婚礼などにおいて重要な役割を演じていた。これは冬眠を行なう熊の生態とも関係があるらしい。春の訪れと共に冬眠から覚める熊は、民衆にとって死から蘇る者であり、死と再生のシンボルであった。それゆえクリスマス・イヴの仮装行列などにも熊の仮装はしばしば登場している。しかしまたそれゆえにキリスト教導入後に熊は悪魔的動物とみなされもしたのである。私がブルガリアで見たような放浪の熊使いの芸人がかつてロシアにもいたことを、17世紀の『アヴァクーム自伝』は記しているが、アヴァクームは激しい敵意をもってこの芸人と熊とを迎え、大格闘の末に彼らをうちのめしている。
 熊に人間の真似をさせる芸は19世紀ロシアでは特に盛んであった。これは熊が訓練によって後足で歩けるようになることと、またそのことが人間を思わせることにその原因があるようだ。おそらく同じ理由から、「熊は人間から生まれた」という民話がスラヴ人のみならず多くの民族に見いだされるし、アイヌのように熊は神が毛皮をまとって人間界に現われたものだ、という観念が生まれる。
 ロシアではサーカスの登場とともに今世紀に入ると熊の見せ物芸は姿を消す。しかしバルカン地方にいまだに生き続けているジプシーの熊使いの芸の伝統は、ロシア中世のスコモローフを彷彿とさせるのに十分である。

早稲田大学ロシア文学会 1995年度春の講演会 講演要旨(《Вести》第5号 1995年11月1日発行 所収)
 

 

 
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