日本文化の「元祖」、百済の息吹を感じる忠清南道の旅

 東京の代表的観光スポット・上野恩賜公園。日本近代化の立役者である西郷隆盛像で有名な場所だ。その片隅には二つの石碑がある。

 これは日本に漢字を伝えたことで知られる百済の王仁(ワンイン、日本での呼称=わに)博士の業績をたたえるため建てられた石碑だ。石碑には、論語と千字文(漢字を教えるための漢文詩)を持ち込み、孔子の死から763年後に日本に儒教を伝えた、と詳細に記述されている。

 この石碑のほか、大阪府枚方市には王仁の墓がある。このように百済と昔の日本は友好的な関係だった。果たして百済とはどんな国だったのだろうか。

 7日、忠清南道の内浦新都市で「第1回百済の息吹を訪ねるドライブツアー」の開幕式が行われ、クォン・ヒテ忠清南道政務副知事がその答えについてインタビューで語ってくれた。

 以下はクォン・ヒテ忠清南道政務副知事との一問一答。

Q.忠清南道と百済のつながりは?

A.忠清南道には百済の首都があったと考えられています。特に公州と扶余は百済最後の王朝の首都として知られています。忠清南道の各地には百済の遺跡や文化財が多いです。中でも庶民の生活を知ることができる「百済文化団地」は百済の全てが分かる所です。

Q.日本と百済は特に縁が深いというが、それはなぜ?

A.百済と日本は歴史的に多くの関連性があると考えられています。日本の建物の屋根が持つ線と百済の五重石塔などの線を比較すると、そっくりであることが分かります。さらに、5世紀ごろには王仁博士が日本に論語と千字文を伝えたことも知られています。こうしたことから百済は日本文化に多大な影響を及ぼしたとされています。

Q.日本人観光客に伝えたいことは?

A.韓国人は全ての始まりである「元祖」という言葉が好きです。日本の皆さんも元祖について興味があると思います。忠清南道では日本文化の元祖ともいえる百済の文化を目で確かめたり、体験したりできます。さらに、自然に優しく現代的なものも大切にする多様な文化観光スポットが楽しめます。韓国にいらっしゃったら百済の息吹が感じられる忠清南道へぜひお越しください。

Q. 「第1回百済の息吹を訪ねるドライブツアー」の趣旨や目的は?

A.最近、韓国では自然と一つになるキャンプや、どこでも情報検索が可能なスマートフォンがブームです。この二つを組み合わせて子どもたちがいにしえの百済の息吹を感じ、体験できればという思いから、今回のツアーを企画、開催することになりました。

 このツアーでは7―9日かけて忠清南道洪城、青陽、公州、扶余といった百済時代を代表する観光スポットを巡った。ドライブツアーは単なる移動ではなく、車の中から美しい山や川が多い忠清南道の風景を楽しむこともできた。

 ツアー初日には忠清南道記念物第4号に指定されている「洪州義士塚」を訪れた。そして「洪城伝統市場体験」では、農水産物を半額で購入できるせりや天然食材を使った餅作りなどで楽しいひとときを過ごした。

 2日目は百済の人々の文化や生活を知るいい機会になった。青陽を出発した参加者たちは、公州博物館や百済第25代王・武寧王(462-523年)陵を観覧し、優雅な百済の文化を感じた。扶余にある百済文化団地では庶民の生活について見学した。文化解説ガイドが同行してくれたため、退屈になりがちな歴史の説明も楽しく理解でき、興味深かった。

 最終日には論山に移動、軍事博物館で古代韓国の優れた武器の数々を見学し、国防力の重要性をあらためて感じた。ここではまとめとして百済歴史クイズ大会とツアー終了式が行われた。

 忠清南道の関係者は「今回の『百済の息吹を訪ねるドライブツアー』は新概念の観光ツアー商品。今年の成果を詳しく分析した上で、今後の応用方法や来年の推進計画について観光専門家の意見を聞き、忠清南道の観光産業発展のためのロールモデルとして生かしていきたい」と語った。


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