第57号

「北朝鮮発言」サンテレビ放送中止問題公共性とは何か?権力批判は許されないのか?

 

 人権と報道関西の会例会が6月28日(土)に大阪・ブロボノセンターで開かれ、「サンテレビ放送中止問題」について李英和さん(関大経済学部助教授)から報告を受けた.この中で李氏は「出演を依頼しておきながら、私には何の相談もなく一方的に放送中止を決めた」「放送の公平性とか言っているが、そんなものは後からつけた理由で、結局は権力批判を許さない体質が出たものと考えられる」などと述ベた.北朝鮮については飢餓問題、日本人拉致事件をどでマスメディアで報道されているが、例会では北朝鮮報道の現状について、対立する問題ての言論のあり方、また「公平性」のあり方について議論が白熱した。


サンテレヒ放送中止問題とは…

 神戸・ボートアイランドに本社のあるサンテレビで、李英和氏が97年3月6日放送予定の「小室豊允の次代を読む」に録画出演したが、局側から「発言内容が一方的で、放送基準に抵触している」とクレームがつき放送中止になった問題。

 これに対し李氏は「私が北朝鮮の民主化運動を進めている人間だと知って出演を依頼してきたのに、録画が終わってから一方的な発言だとして出演者に何ら相談、了解もなく放送中止にしたことはおかしい」と抗議文を出した。

これに対しサンテレビ側から中止に至った理由として「金正日書記の指導者としての資質を批判したのは、独立国の最高指導者に対して権威を傷つける表現、失礼に当たる表現であること、また日本人拉致疑惑問題で、李氏は工作員が日本に行ってきた証拠として日本人を連れて帰るという話を紹介ているが、出典が明らかでない」として、日本民間放送連盟が定めた「国際的な政治、経済問題については公正に出演者を決定し、一方的な主張にならないように注意しなければならない」(第8条)などに抵触しかねないという文書が届けられた。その後、サンテレビ側が「もう一度客観的な内容で収録したい」と李氏側に申し入れ、6月末に同じ番組内で小室氏、李氏、辻元清美氏の三人が出席し放送された。


李英和さんの報告は以下の通り一

◆過去2回の発言はOK 今回はダメ

 食糧危機や日本人抜致問題があり、最近になって北軒鮮問題がようやく報道されるようになってきたが、これはテレビ局から見ると視聴率があがるという面での取り上げ方で、北の人たちの人権問題、生活の問題という視点が乏しいと思う。

 そういう意妹で、関心を高める、実態を知ってもらおうと出演の機会があれば、できるだけ引き受けてきた。

 サンテレビのこの番組は司会者が「ペルーのフジモリ大統領はすばらしい」と持ち上げるなどタカ派的な内容だが、ふだんから編成部のエライ方たちは全然見ておらず、局側は北朝鮮問題に関して何の考えもなく取り上げたようだ。これまで2回この番組に出演していたが、局から何の注意も問題の指摘もなかったので、3月6日放送分の収録時も僕はいつもと同じように北の人たちの生活の様子、政治体制、また当時韓国に亡命した黄書記の話などをした。ところが今回は、局のだれかエライさんが見て「気に入らない」と判断して、放送中止にしたようだ。

 

◆相談もなく一方的に放送中止

 放送を中止にした局側の主張には全く納得がいかない。収録が終わった後、しばらくして局側から「放送を中止する」と伝えてきた。「理由は何か」と聞くと、「放送基準に触れる」というだけで、どの個所がどうなのかについては「後で会議を開く」と言うことだった。そして今回の件がマスコミに出ると、今度は「お前は今回の件を報道機関に言い触らしている」と逆ネジを食らわせる態度で言ってきた。私の場合はマスコミに知り合いがいたからまだこうやって問題を公にできたが、一般の人たちだったらまず泣き寝入りしてしまうだろう。そう考えると黙ってはいられない、売られたケンカは買おうと思い、行動した。

 

◆国家元首首は批判される対象だ

 局側の放送中止の理由だが、私にはまず放送中止が先にあって、後から理由を取ってつけたように思える。

 まず国家元首を批判しているから放送基準に引っかかるというが、国家元首は公人だから当然のように批判の対象となるものだ。まして北朝鮮民主化運勤をしている人間を呼ぷのだから、北の批判をするのは当たり前のことだ。サン・スーチーさんがピルマの軍事政権を批判しているからと言って、それが偏っているという話を聞いたことがない。

 放送中止を決めてから局側は「番組は一回、一回で公平さを保つ」として、朝鮮総連、私、それに司会の三人で術董したいと言ってきた。しかし総連の人たちには出演を断られた。彼らの言い分は自分たちの主張は対談ではなく、カメラの前で声明を読み上げるということらしかった。局側もそれではマズイと判断したようで、なかなカ進まなかった。「そんな調子では労働党を代弁する人が出てこないと永遠に放送できなくなるじゃないか」と言ったら、今度は労働党に近い文化人人の名前をあげてなんとかやらせてほしいと言ってきた。

 そしてこれもダメになり、結局は参議院議員でピースボートを主催している辻元清美さんを入れて、今回番組になった。しかし彼女は北側の立場とは言えない人で、局が言ってきた「公平性」という主張には反する番組になってしまった。

 またこの「取り直し」番組の収録中も局側の幹部らが回りを取り囲み、「おかしな発言」をしたらいつでもストッブをかけるといわんばかりの雰囲気だった。独裁政権に対する批判は一切許さないという、5−6年前までの北朝鮮報道のスタンスをそのまま維持しているシーラカンスのような会社だと思った。

 

◆北朝鮮報道について

 マスコミ全体の北朝鮮報道の問題について話します.94年4月l5日に大阪で北朝鮮の民王化を求める集会が開かれたが、総連の妨害にあってケガ人が出た。

 この事件はほとんど報道されていない。あってもほんの小さな記事だった。また関西のテレビ局で私も出演して北朝鮮問題を扱った番組が放送されたが、直前になって北側の出演者が「李が出る敷ら出ない」と言ってきて、結果的に私はビデオ出演になった。後で放送を見たら内容が北側に偏ったものになっていた。

 北の問題はこれから取り上げられる機会が多くなるだろう。その際の取り上げ方だが、独裁者に脅されたからと言って筆を曲げてはいけない。カメラを止めてはいけない。公平さを金科玉条にして、独裁者の声が聞けないからと言って民主化を求める声も取り上げないということをすベきではない。

 また間違っても視聴率だけで判断すぺきではない。北には報道の自由がない。マスコミの中には北朝鮮に支局を開きたいと考え、そのために北を刺激しないようにしている社もあるが、言論機関が私的な理由で筆を曲げ、政権擁護に走るのはマスコミの自殺行為だ。

 

この後、会場の人たちとの議論に移った。主な意見は次の通り−◇

 

○マスメディアが対立している問題を扱う時に公乎性を維持するのは当然のことだが、相手側のコメントが取れないから公平性を保てないというのはおかしい。それでは対立する一方の側が「話さない、コメントしない」と言い続ける限り、この問題は扱えないということになってしまう.意見を表明したいという意思が前提だ。一方が意見を表明したくないと言ったために公平さが保てないということになれば、言いたい人まで抹殺することになる。

 

○テレビ局が「ややこしい問題」に関して防御的になる性格が出た問題だと思う.私もフリーてやっていて、メディアの側からよく両論併記で話してくれと言われるが、両論併記ということ自体が自分たちの保身のためにやっている気がする。

 

○法律論から言えば、建前として法律は表現の自由を守るために真実を絶対報道しなければならない立場ではない。相当な根拠があり真実と思うところがあって報道すれば、たとえ真実でなくても違法性を阻却される。それは表現の自由を尊重した上で、メディアが萎縮せず、様々な情報が出てきてそれが反駁しあっていい社会になるという考え方を取るからだ。最初から正しい情報を出せという不遜な考え方はしていない。メディアはこれが正義だと思う、よりたくさんの情報を出してくれないといけない。

 

○メディアに勤めているが、両論併記という問題で、対立する側がニュースにして欲しくない場合が多い。紙面に「コメントできない」という主張を載せると、すごい量の電話がかかってくる。あんな面倒なことになるなら取り上げるのは止めようという社内雰囲気になってしまう側面がある。

 

○北朝鮮報道の問題だが、以前、サピオなど北特集をやっていて抗議・暴動の一覧表が出ていた。この中には噂程度のものや韓国の新聞から抜粋してきたもので、確認されていない事柄が掲載されていた。こういうデタラメな情報が流されているのは問題だ。推測なのか、未確認なのか、引用して書く必要がある。(H)


神戸の児童殺害事件

民放連「抑制効いた報道」と評価!?

 

 民間放送各社が加盟する民放連は神戸須磨区で起きた児童殺害事件の報道について、「抑制効いた報道を評価」していると言う。これは民放連が発行している新聞「民間放送」最近号の記事にあるもので、民放連放送番祖調査会で「青少年犯罪と報道」をテーマにした会合がもたれ、「警察情報がほとんどない中で、地元住民の不安を解消する意味でも取材で明らかになったことを可能な限り伝えた」「地元の在阪局と共同でガイドラインを策定し、人権やブライバシ—には十分注意を払った」とし、「全体として抑制が効いていた」と各委員とも「認識・評価で(略)一致」したという。

しかし現実のテレビ報道はどうだったか。地元局だけでなく東京からも取材陣が大量に動員され、地元の自治会からはあまりの取材攻勢にクレームがつくほどだった。また報道内容も「黒いゴミ袋を持った男」「不審なワゴン車」「南京錠を買った男」など事件をミスリ−ドしたり、容疑者の少年が逮捕されてからは生徒、近所の人たちにインタビューして回り、取材そのものが少年の実名を広める結果になった。とりわけワイドショーの取材の人権侵害も目にあまるほどだった。これで「抑制の効いた」報道だったとは言い難い。自分たちの行った報道、取材をまともに反省し、点検する課題はここからは伺えない。こんな認識ではテレビ局が国民の人権を守るメディアには、到底なりえないだろう.(Y)


「放送と人権等権利に関する委員会機構」

の発足にあたって

・・・設立の経緯、機構の組織・機能と問題点

 

l.郵政省は、l996年l2月9日、放送行政局長の私的諮問機関である「多チャンネル時代における視聴者と放送に関する懇談会」の今後の放送の在り方と問題点につしついて最終報告書を発表し、放送による権利侵害にかかわる苦情対応機関として放送事業者の外部に共同の機関としての第三者機関を設置する方向性を打ち出し、この第三者機関については第一に公共的な機関、第二に放送事業者が自主的に設置する機関、第三に両者の中間に位置するものとして、法律の規定を基に放送事業者が設置する機関等を摘示した。これに対し、放送界やマスメディア関係委員は、このような機関の設置は、放送の自主、自立性を損なわせる可能性があり、言論・表現の自由の規制につながるとして強く反対し、報告書には反対論も併記された。

2.第三者機関の設置は、報道の萎縮を招き、行政の介入を導く虞れがあるとともに、国家の情報統制の危険性を指摘するマスメディア側の主張には、もっともな点もあるが、一方テレビ放送の視聴率競争の激化や番組の低廉化のための下請のプロダクションによる制作方法の増加に伴い、放送による名誉プライバシ—の人権侵害事例の増加は避けられず、多チャンネル時代を迎えて、放送による権利侵害事例の一層の増加が予想される現在、その防止と迅速な権利救済のための機関の設置も極めて重要な課題である。

3.これに対し、日本弁護士連合会はこの年12月9日に会長声明を発表し、苦情対応機関が、前記報告書の第二の放送事業者が、自主的に、共同して設置するものであるならば、放送の自由と被報道者の人権擁護との調和を計るものとして評価できるとして、放送事業に携わる人々に対し、自主的に共同の苦情対応機関の検討・設置を行う努力を求めるとともに、郵政当局に対し、放送事業者等の自主性と自覚が涵養される第二の方法に委ねるよう要請した。(次号に続く)

(野村)


 長年マスメディアによる人権侵害の問題と取り組んできた。この間、被疑者の呼び捨てを廃止し、手錠、腰縄をつけた被疑者の連行場面の映像、写真を極力出さないようにするなどの配慮がなされるようになった。また、松本サリン事件における誤報問題をきっかけにして、マスメディアが報道される側の人権に配慮する姿勢を強くするのではと期待していた。しかし、ひとたぴ世間の耳目を集める大事件が起これば、報道現場が舞い上がり、被疑者、被害者はもちろん、事件の周辺の人々を巻き込み、虚実入り乱れた情報を氾濫させ、重大な人権侵害を引き起こすという図式の繰り返しである。

 特に、今回の須磨の小学生殺人事件では、写真週刊誌フォーカスが容疑者の少年の顔写真を掲載するというとんてもない行動に出た。実は少年逮捕の時点で、そのようなことが起こるかもしれないという危惧があった。やはリという落胆した気持ちになった。確かに容疑者の顔を見たいという欲求が一部の市民のなかにあることは事実だ。しかし、それは、本来、社会の正当な関心事として知る権利の対象となるベきものではない。顔写真を見るということによって、社会の構成員が理性的合理的で正当な利益を受けるということは何もなく、ただただ興昧本位の域をでない。少年法は、少年の可塑性を考慮し、社会復帰のために被疑者たる少年を特定する情報を公表してはならないとしているのであり、たまたま凶悪を犯罪を犯したからといって、少年法の精神を無視するのはご都合主義的な解釈てある。従来の少年法が遵守された事件は、実は社会にとってそれほどの重大な被害が生じていないからというだけのことなのか。まさに、本件のような事件においてこそ、理性的に活かされるベきが少年法の精神であると思う。

 店頭でフォ−カスを売らない書店が多かった。評論家のなかには、流通がこのような形で干渉することについては言論の自由に対する脅威であり問題であると主張している人もいた。しかし、国家が権力的に規制を加えたのではないというのも事実だ。非権力的作用が是非を判断したのであり、それなりの理性的行動だっと言えなくもない。もしこのような自浄作用も働かない社会だったとしたら、国家が規制をする口実を与えたかもしれない・(木村哲也)


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次回例会の案内

 次回例会(9月12日・土)は

「犯罪被害者の目から見た報道」

 人権と報道関西の会の次回例会は9月12日(土)午後1時半から「犯罪被害者の目から見た報道」をテーマに、プロボセンター(第5大阪弁護士ビル3階・大阪市北区西天満4の6の2・電話06−366−5011)で開催します。

 講師は「犯罪被害者の人権を確立する当事者の会」を大阪市内で7月に発足させた林良平さんです。

 林さんのお連れ合いは、見知らぬ犯人に包丁で刺され、今も車いす生活を強いられていて、それらの経験から、報道、捜査機関、周囲の人たちに対する思いなどを語っていただきます。

 日頃の事件報道では犯罪の模様や容疑者の側に目がいきがちで、被害者の方たちや家族の方たちの問題を語ったり、考える機会があまりありません。大勢の方の参加を呼びかけます。


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