記者の窓
「お尻につい目が…」
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村松 権主麿
[東京新聞・中日新聞社] |
●自動車と言えば、まず思い出されるのが子供のころ、わが家にやってきた黄色い軽自動車「ミニカ」だ。自分が何歳だったか忘れたが、たぶん、幼稚園に入ったころだと思う。車の購入をきっかけに休日ごとの遠出が増え、家族の活動範囲が格段に広がった。夏休みには名古屋から伊豆、長野まで足を延ばしたこともある。3人の子供が小さかったとはいえ、一家5人を満載した容赦ない使用だったが、故障もしないで我慢強く耐えてくれた。5、6年ほど乗っただろうか、最後は真っ黒い排出ガスをまき散らすようになり、廃車となってわが家を去った。子供心に忍びなさと寂しさを感じた。
●それ以来、マイカーを所有したことはない。大学時代は東京に出て、貧乏な下宿暮らしだった。友人の車に乗せてもらい、あちこち遊びに出かけたが、運転するよりも助手席でぼんやり窓の外を眺めたり、カーステレオの歌謡曲を聴いているほうが心地よく、そんな時、「車っていいな」と思った。
新聞記者という仕事に就き、車との距離はぐっと縮んだ。まず立川支局管内の武蔵野通信局に配属され、2年半ほどして千葉支局に移った。支局に赴任すると、車を買って取材するのが普通だが、私の場合、支局のリース車を借りることができた。最初が白のカローラで、リース車ゆえにグレード、装備とも最低限。窓ガラスの開閉はレバーをくるくる回し、ラジオはAMのみ、アンテナは自分の手で引っぱり出した。千葉では色が緑になり、FMが聞けるようになって、とてもうれしかった。
●支局から東京本社勤務になって5年、車がなくても不便は感じなかったが、今年1月下旬、自動車業界を担当してからが、たいへんだった。なにしろ、某社の広報部に挨拶回りをした時、「ミニバンって何ですか?」と質問し、先方を困惑させたほどの知識しか持ち合わせていなかった。以来、街行く車の「お尻」を見ては、車の名前を確認する日々が続き、最近ようやく「お尻」を見なくても、「顔」と名前が一致するようになってきた。
●先日、妹が子供を産んだので、お祝いに行くと、彼女が独身時代に買った軽自動車がまだ健在だった。以前はまったく気づかなかったが、車の「お尻」を見てハッとした。そこには、家族5人がお世話になった「ミニカ」の名前があったのだ。色こそ紺に変わったが、妹がこの車を選んだのは、なつかしさもあったに違いない。勝手に膨らました自分の想像に、感動すら覚えた。
事実確認は重要だ。「どうしてこの車を買ったの?」と尋ねてみると、「装備が一番多くて、値段も安かったから」とドライな答が返ってきた。黄色いミニカの話をすると、「そんなこと全然考えなかった」とつれない答え。ちょっとしたいい話は、あっさりと水泡に帰した。
(むらまつ かりすま)