それまでの映画やテレビで動く姿を観る機会だけでさえもめったになかった海外のロックバンドやアーティストたち。ところが70
年代の幕が開けるとともに、彼らは次々と、毎月のように東京を中心に日本へとやってきた。“外タレブーム”という言葉も生まれた70年代は、いま振り返るとロックにとっての文明開化の時代だった 文/保科好宏

刺激的だったフリーの初来日

 1970年代という時代が60年代と決定的に違うのは、ポップスからロックへと音楽シーンが大きく様変わりしたことだろう。もちろん70年代に入ってから突然変わったというわけではなく、ビートルズが『サージェント・ペッパーズ〜』を発表した67年6月辺りを境に、ポップ・ミュージックは徐々に表現の幅を拡げて多様化し、サイケデリック・ロック、アート・ロック、プログレッシヴ・ロック、コンセプト・アルバム、ロック・オペラ等、シングルからアルバムの時代へと移り変わっていったわけだが、あの時期こそ転換期だったのだと今になって思う。
 それは当時の来日アーティストの顔触れを見ても分かるが、65年のアニマルズ、66年のビーチ・ボーイズ、ハーマンズ・ハーミッツ、ビートルズ、68年のウォーカー・ブラザーズ、ホリーズ、モンキーズ等、来日したのは日本でも大ヒット曲を持つグループばかりで、ヒット曲=ポップ・バンドであることが来日アーティストの必須条件だった。もちろん欧米ではクリームやジミ・ヘンドリックス、ヴァニラ・ファッジ、ピンク・フロイドといったバンドもシングル・ヒットを放っていたが、従来のポップ・ミュージックとは毛色が異なり一般向けではないと思われていたせいか、すぐ来日公演に繋がらなかったのは、まだロックという概念が浸透していなかった60年代だったからだろう。
 それが大きく変わるキッカケとなったのは、当時、米アトランティック・レコードと100万ドルで契約して話題となったレッド・ツェッペリンの華々しい登場や、ウッドストック・フェスティヴァルがあった69年を経て、映画『ウッドストック』の公開やビートルズの解散、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョップリンが相次いで亡くなって一つの時代に終わりを告げた70年のこと。この年の12月、奇しくもキョードー東京が“ロック・カーニバル#1”と銘打ってジョン・メイオールを招聘し、複数の日本のバンドを前座に付けたフェスティヴァル形式のイベントを開催。その後シリーズで定期的に欧米ロック・アーティストのコンサートを組み始めたことが、音楽だけに留まらない思想やライフ・スタイル、ファッションを定着させ、日本でもロックが市民権を得る礎となったことは間違いない。
 続いて71年2月、“ロック・カーニバル”は“#2”としてブラッド・スウェット&ティアーズを、3月にはブラック・サバスのキャンセルがあったものの、4月末にはフリーが初来日。当時、ニュー・ロックと呼ばれた新時代のヴィヴィッドな空気を伝える初めてのブリティッシュ・バンドとして来日したこの伝説のフリーのライヴこそ、僕だけでなくこれを観た音楽ファンのロックに対する認識を大きく覆えすほど刺激的な本場のロック・バンド初体験だった。この時は、今では珍しいオールナイト・コンサート(サンケイホール)で、モップスや成毛滋、Mといった日本のバンドにも声援が飛び、ロックはロックとして今ほど洋楽と邦楽の分け隔ては無かったような印象がある。フリーがステージに登場したのは、午前3時半頃だったが、「ファイアー・アンド・ウォーター」で始まったライヴは、エモーショナルにしてアグレッシヴ、何とも形容し難いほど緊張感溢れる壮絶なパフォーマンスだった。何かが憑依したようにマイク・スタンドを振り回しソウルフルな歌い回しでシャウトするポール・ロジャース。マーシャル・アンプに寄りかかるように身体全体で自らのギター・サウンドを吸収しながら、咽び泣くようなチョーキング・ヴィヴラートをキメるポール・コソフ。金髪を振り乱し、赤鬼のように顔を上気させながら渾身の力でシンプルなビートをパワフルに叩き出すサイモン・カーク。踊るように身体全体を左右に大きく揺さぶりながらステップを踏み、若さに似合わぬファンキーで跳ねるような独特のフレーズを繰り出すアンディ・フレイザー。約1時間ほどのステージだったが、曲が進むほどに歓声も大きくなり会場全体が異様な興奮状態に包まれていったことを憶えている。当時はまだ日本にまともなPAシステムもなく、この時はシュアーの縦長のスピーカーが左右に4本ずつという貧弱なものだったが、それでも出ている音以上にバンドが放つオーラのようなものに圧倒されたのがフリーのライヴだった。
 今でも忘れられないのは、2度目のアンコールの前、フリーのメンバーがステージ袖に引き上げるとスタッフはもう演奏しないと思ったのか、最後の成毛滋グループのステージ・セットが回転舞台に乗って前方に出てきたのだが、それでも鳴り止まない歓声の中、フリーもその気でステージに戻ってきたため、サイモン・カークは仕方なく角田ヒロのドラム・セットを叩き始めるというハプニングがあった。スタッフは慌ただしくフリー用のセットに回転舞台を戻して準備する中、フレイザーが「クロスロード」のイントロ・リフを刻み始めたものの、結局ギターの配線トラブルからコソフの音が出ないまま演奏は中断。この為、やり場のない怒りからフレイザーはアンプのスピーカーにベースのヘッドを何度も突き刺し、カークはドラム・セットをバラバラにしてステージに叩きつけ、ロジャースもマイク・スタンドをステージ後方に放り投げるという荒れたエンディングになったことも強烈な印象を残した理由だろう。

70年代ロック・アーティスト来日年表

1970

ブラッド、スエット&ティアーズ 2月

B・Bキング 2月

1971

フリー 4月

シカゴ 6月

グランド・ファンク・レイルロード 7月

ピンク・フロイド 8月

レッド・ツェッペリン 9月〜10月

1972

チェイス 4月

プロコル・ハルム 5月

カーペンターズ 6月

ジェスロ・タル 7月

エマーソン・レイク&パーマー 7月

ディープ・パープル 8月

ジェームス・ギャング 9月

キャット・スティーヴンス 9月

エルトン・ジョン 10月

T・レックス 11月

ゲス・フー 11月

スリー・ドッグ・ナイト 12月

1973

ジェームス・テイラー 1月

ジェイムス・ブラウン 2月

レターメン 2月

ユーライア・ヒープ 3月

イエス 3月

デヴィッド・ボウイ 4月

サンタナ 7月

マウンテン 8月

レオン・ラッセル 11月

1974

フォートップス 1月

シルバー・ヘッド 1月

ムーディー・ブルース 1月

スタイリスティックス 1月

ロリー・ギャラガー 1月

フェアポート・コンヴェンション 1月

フェイセス 2月

スレイド 3月

ポール・サイモン 4月

フォーカス 6月

ジェスロ・タル 8月

エリック・クラプトン 10月

スージー・クワトロ 11月

ポインター・シスターズ 11月

ウォー 12月

1975

グラディス・ナイト&ピップス 1月

ウィッシュ・ボーン・アッシュ 2月

バッド・カンパニー 3月

クイーン 4月

ルー・リード 7月

ワールド・ロック・フェスティバル・イースト・ランド開催(ジェフ・ベック来日) 8月

1976

ドゥービー・ブラザース 1月

フランク・ザッパ&マザース 2月

イーグルス 2月

二ール・ヤング 3月

アメリカ 7月

ブラックモアズ・レインボー 12月

トッド・ラングレン 12月

ベイ・シティ・ローラーズ 12月

1977

レイナード・スキナード 1月

トム・ウェイツ 1月

エアロスミス 1月

ロビン・トロワー 1月

ジャクソン・ブラウン 3月

キッス 4月

デイヴ・メイソン 5月

ロイ・ブギャナン 6月

グレッグ・オールマン・バンド 6月

1978

ブロンディ 1月

ボズ・スキャッグス 2月

ボブ・ディラン 2月〜3月

E.L.0 2月

ビリー・ジョエル 4月

チープ・トリック 4月

ヴァン・ヘイレン 6月

リトル・フィート 7月

オリビア・ニュートン・ジョン 10月

ピーター・フランプトン 10月

ジェフ・ベック・グループ 11月

ジェネシス 11月

エルヴィス・コステロ 11月

1979

リンダ・ロンシュタット 2月〜3月

アース・ウインド&ファイヤー 3月〜4月

ジャパン 3月

ロッド・スチュワート 3月

ボストン 4月

ボブ・マーリィ&ウエイラーズ 4月

トーキング・ヘッズ 7月

XTC 9月


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