|
筆者は 政治家 安倍晋三の政治家としての人間性に惚れ込み、この度の本を出版したものと思われる。
それに従い、表現難しき折に、勝手ながら、本書の冒頭部分のほんの少しのみ、お許し頂いて、ここに記載させて頂きました。
|
|
|
は じ め に 「安倍の葬式はうちで出す」
安倍内閣当時の、ある朝日新聞幹部の発言だ。勿論、表に出る発言ではない。
大新聞の大物記者なら、もう少し気の利いた言い回しはなかったものかと惜しまれる。
|
|
|
しかし、この「大新聞」の安倍への憎悪は、本物だった。
それを裏付ける例として、私は先頃引退した政治評論家の三宅久之から、次のような話を聞いたことがある。
朝日新聞の論説主幹の若宮啓文と会った時にね、「朝日は安倍というといたずらに叩くけど、
いいところはきちんと認めるような報道はできないものなのか?」と聞いたら、
若宮は言下に「できません」と言うんですよ。で、「何故だ?」と聞いたら「社是だからです」と。
安倍叩きはうちの社是だと言うんだからねえ。社是って言われちゃあ……。
私は、新聞に不偏不党など期待していない。それぞれの信念に従って、堂々と社論を主張すればいい。
だが、新聞は、主張する言論機関である前に、当然ながら、メディア"MEDIAである。mediaこの原義は、
「中間にある媒介物」だ。つまり、新聞は、まず、情報と国民との「中間にある媒介物」として、
情報を、できる限り透明に、公正に、国民に媒介しようと努めるのが、仕事の原点であるはずだ。
朝日幹部らの発言は、安倍政治の内容を批判するという域を完全に逸脱している。野党が内閣を潰すと言うのなら、
当然だろう。しかし本来透明な「中間にある媒介物」であるべきメディアが、一政治家に対してここまで激しい倒閣
への意志をもって「報道」に当たったとすれば、その政治家と国民との回路そのものが極端に歪んでしまう。
そんなことが放置され続ければ、ターゲットにされた政治家は必ず失脚し、国民は新聞社の下心をなぞった
政治判断以外に、選択しようがなくなるだろう。ちなみに右記の発言を私は当人達に確認していない。確認するまでも
ないのだ。安倍内閣当時の朝日の記事全てが、本当に、「社是」に則って「安倍の葬式」を出そうと全力を注ぎ、
見事それに成功したことを、呆れるほどはっきり示しているからだ。繰り返すが、彼らの憎悪は本物だったのだ
|
|
|
ところで、この話を私に紹介してくれた三宅はテレビでおなじみだが、毎日新聞記者として吉田茂首相の番記者から
キャリァをスタートさせ、現首相野田佳彦まで、戦後の全総理大臣の素顔を付き合いの親疎はあるにせよ--知る男である。
何しろ、吉田茂からである。既に日本史の一ぺージに属しているこの伝説的な宰相の人間的息吹をじかに知る人物が、
その後、政治の中枢で六十年にわたって、政治家達の生き様、死に様を見てきた。限りなく魅力的で、限りなく恐ろしい世界。
栄光と地獄とが踵を接している世界。野望と理想とが、利権と人間力とが、交差し渦巻いている政治の中枢を……。
その三宅が、最近、雑誌で次のように書いている。今、日本をなんとかしたいという高い志を感じる政治家は、
安倍元総理のほかに見あたりません。本人は自分から手を挙げるにはまだ遠慮があるようだが、求める声が大きくなれば、
それに応える意欲は充分に持っていると思う。ぜひ、「安倍晋三再生プロジェクト」を立ち上げたいと思っている人は
多いのではないか。(略)私も政治記者、政治評論家の「最後の仕事」として、「安倍再生プロジェクト」の陰の後見役に
なれれば、と願っている。政権実現までを見届けることができなくとも、少なくとも、日本の未来に貢献できることだと信じています。
(『月刊≦F二平成二十三年七月号、四十三頁)
総理経験者が、再度総理になることは、法的にも、政治的にも何ら問題はない。しかし、戦後政治史では、吉田茂の後、
絶えてなかった。岸信介、福田越夫、中曽根康弘の諸氏に関しては、総理退任後、再登板を期待しての擁立運動はあったが、
実現には至らなかった。橋本龍太郎は、総理退任後に改めて自民党総裁選に出馬し、小泉純一郎に敗れている。
それほど総理経験者の再登板はハードルが高い。にもかかわらず、今、戦後政治史の全てを知る三宅が、
何故数多い政治家の中で、あえて安倍晋三に次代の日本を託したいと、思いつめているのかー。
読者の多くにとっては、朝日の過激な憎悪も、三宅の大きな期待も、いささか意外なのではあるまいか。
温厚でいかにも育ちのよさそうに見える安倍が、本当に、そんな強烈な政治家なのか。一見、強烈な毒やカリスマを
感じさせない、寧ろ清潔な政治家像を結ぶ安倍の何が、こうした極端な反応を生むのか。朝日の幹部達の憎悪と、
三宅の大きな期待 この交点にいる安倍晋三とは何者なのだろう?そして安倍政権とは何だったのか?
|
|
|
安倍政権は、平成十八(二〇〇六)年九月に成立し、安倍が病気で辞任したため、一年後の平成十九年九月に幕を閉じた。
確かに五年以上前の政権だ。時の流れのあまりにも目まぐるしい現代では、ずいぶん昔のことのようにさえ思われる。
だが、それにもかかわらず、安倍政権は、実は一向に「過去」ではない。安倍は北朝鮮拉致問題に毅然と対応する
若手政治家として、国民的な信頼を獲得し、小泉純一郎の後任として、首相の座に上りつめた。五十二歳、
戦後最年少の首相だったが、掲げた理念はかつてない壮大なものだった。題して「戦後レジーム(体制)からの脱却」---。
戦後日本のあり方を根本から見直す、とてつもなく大きな国家目標だ。しかも理念の提唱にとどまらず、教育基本法改正、
防衛庁の省昇格、憲法改正の布石となる国民投票法の制定、天下りの規制を皮切りとする公務員制度改革など、
過去半世紀の全ての首相が敬遠してきた国家の土台部分の難しい宿題を、一挙に前進させたのである。
一内閣一仕事と言われた従来の自民党政権の常識からは想像もできない濃密さとスピードだ。外交では、
日本の安全保障の全面的な再構築を目指し、経済政策では、小泉の構造改革路線を、大胆な成長戦略に転換した。
小泉時代に拡大した格差社会の是正も順調に進め、日経平均株価は、安倍政権時代、二十一世紀に入って現在までの
最高値である一万八千二百六十一円九十八銭を記録している。民主党政権下の現在、株価が八千円台を低迷し
続けているのを思えば夢のような話だ。いずれにせよ、日本の明日の希望のための力強い第一歩を確実に歩み始めて
いたのが安倍時代だったのである。だが、あまりに大胆な挑戦は、多くの反発を呼ぶものだ。安倍に対しても、
数多くの反対勢力が生まれ、全力を尽くして安倍政権潰しに動いた。冒頭に紹介した朝日新聞幹部達の発言は、
そうした反安倍勢力の本音のごく一部に過ぎない。安倍晋三という螺爽たる「戦後レジーム」への挑戦者を、
「ひ弱なお坊っちゃん」という戯画に既めるために、あらゆる手段が用いられた。その結果、彼らは、国民の目から
安倍の実像を隠し、政権を短期で崩壊させることに成功する。安倍が退陣した後には、「戦後レジームからの脱却」も、
成長戦略も、安倍外交も、跡形もなく消え去り、「お坊っちゃん政治家の政権放り出し」という歪められた記憶の残像だけが、
国民の間に残ることになった。たった五年前なのに今の日本と同じ国とは思えないほど熱く、壮絶な政治的戦いの季節だった
安倍政権時代。理想とそれを破壊しようとする勢力との間で、絶えず政治が「炎上」していた一年。
成長の実感も希望も今とは比較にならぬほど強固だったあの時代。そして、国民の記憶からかき消されてしまった
安倍政治の実像。知らなければ、何も始まらない。目先の風潮に流されてばかりいては、何も見えない。日本が、
希望も展望も失って漂流するかのような今の衰退から脱出しようとするのなら、まずは、
時計の針を六年前の安倍政権発足時に戻してみてはどうだろうか。反安倍勢力によって封印された「壮大な国家目標」を
掲げたあの時代を、正確な記憶として取り戻してみてはどうだろう。本書は、そのささやかな一試論に他ならない。 |
|
|
1 安倍晋三内閣発足
私が安倍の面識を得たのは、昨年(平成二十三年)十月、ごく最近のことだ。物静かな微笑、寛いだ中にも、自ずから感じられる気品と威厳の高さが印象的だった。語り口は澱みなく、会話の中にさりげなく挟まれるユーモアは、その場を不思議な明るさで包み込む。「政治家っていうのは、忙しくしていないと不安になるものなんだね。予定が入っていないと、おや、俺はこんなことで大丈夫なんだろうか、と。予定が入っていればいるほど元気になるわけ。予定がないのにある振りをして、会合をさっさと抜け出してみせたりして(笑)。
政治家同士が集まる会合だと、最初に抜けた奴から悪口を言われるんだね。一人抜けると残った人たちがその悪口を言うん
だけど、一人抜け、二人抜けして、一緒に悪口言っているうちはいいけど、気がついたら自分が最後の一人になっていたりして…。
これはこれで、一番惨めなわけだよ」こうした笑いは、他愛ないようだが、嫌味にならずに座を明るませるのは、
実は易しいことではない。まして、安倍は「暇」どころではないし、「自分が最後の一人になっていることなどあり得ない
政治家である。下手にこんな話をすれば、自分の人気や地位の安泰の上でいい気になっているように取られかねない。
だが、安倍の語調には人を見下した口調も皮肉もない。自分を侍んだ力みも、逆に、自分の弱点を自覚していない者
特有の嫌味もない。そう、安倍は、自分が岸信介元首相の孫、安倍晋太郎元外相の息子で、政治家として特別に恵まれた
環境に育ったからこそ、総理の椅子に、あれほど早く辿り着いたことを、よく自覚している。自覚しているが、
それで卑下するわけではない。逆に傲慢になるわけでもない。自ずからなる気品があり、座を和らげ、それでいて悠然と明るい。
ある人は貧苦の中で苦労人として叩き上げねばならず、別のある人は、生まれながらに王者たらざるを得ない。
生涯、性格の弱さに苦しむ人もいれば、傲岸さを克服できずに、大きな不幸を背負い込む人もいるだろう。人は誰しも、
生を享けた時から、宿命を負って生きる。安倍の、闊達な無邪気、無邪気だが自然な気配りは、安倍が己の恵まれた宿命を
受け入れているその潔さから来るのではあるまいか。政治家に限らない。今の日本でこれほど精神的な気品を感じさせる
人物に出会うことは、まれである。なるほど、才人はいる。カリスマはいる。有名人はいる。才能や野心を体中の
全細胞から発散し、自分の存在感、オーラを、これでもかとしたたかに打ち出してくる一群の人々。経済的成功という名
の金粉で身をまとった現代的カリスマ。精神的な帰趨の見えない現代、様々な分野で心の指針を与え、ベストセラーを量産する、
現代風に演出された新しい教祖たち・・・・・。
命をも賭し戦い抜く政治家か
政治の世界でも、そうしたカリスマ型のリーダーを求めようと思えば、勿論いないわけではない。今年(平成二十四年)
一月一日の産経新聞のアンケート「理想的なリーダーは誰ですか?」では、第一位が坂本龍馬、二位が織田信長、
四位に小泉純一郎、五位に橋下徹の名前が挙がっている。以下、経済人やタレントの名が続き、大分下位、十四位には
石原慎太郎の名前も見える。この手の企画は、いずれ遊びに過ぎないと言ってしまえばそれまでだ。が、
逆に遊びだからこそ、「リーダー」という言葉からの連想ゲームになっているとは言えるだろう。龍馬は『竜馬がゆく』、
信長は『国盗り物語』と、いずれも司馬遼太郎の作品で作られたイメージの原型が、NHKの大河ドラマなどで繰り返し変奏
されながら、定着したものだろう。現存の政治家で上位に入った小泉、橋下、石原に共通するのは、この司馬"信長・龍馬像の
延長にある理想のリーダー像のように思われる。断乎として主張し、敵に対してひるまず、戦上手で、
戦いぶりに独特の色気があるー。勿論、現代の「戦」は、戦国時代や幕末の「戦」とはわけが違う。
二極対立の構図を素早く演出して敵を叩く鮮やかさ、テレビで戦上手の印象を与える瞬間の話芸……。
中曽根康弘元首相が小泉を評した「ワンフレーズ・ポリティクス」の、最大限の活用だ。リーダーは、集団に帰属する人々
を安心させねばならないから、彼らのように、敵を叩いて絵になることが重要な一資質であるのは間違いない。
だが、現代のようにマスコミの作る虚像があまりにも実態とかけ離れている時代には、このリーダー像を過信し
過ぎない用心も必要だろう。例えば、こんな問いを、問いかけながら、リーダー像を考え直してみてはどうだろう?
小泉、橋下は、真に守るべき価値のためならば、命をも賭し、本当に成果をもぎ取るまで、けんかボロボロになってでも
戦い抜く「政治家」なのか?それとも、彼らは、寧ろ、喧嘩上手な強いリーダーを演じる卓越した「俳優」に過ぎないのでは
あるまいか?大河ドラマの中で、坂本龍馬を演じる福山雅治も、織田信長を演じる渡哲也も、命がけの人生を演じ、
必死必殺の勝負を演じはしたが、もちろん、実際にそれで命を落としたわけでも、戦いを勝ち取ったわけでもない。
舞台から降りて、メークを取れば、信長や龍馬ではなく、現代の成功した一俳優に戻る。だが、現実の信長や龍馬は、
無論俳優ではなかった。彼らはマス・イメージ上の英雄ではない。命のやり取りを現実にした。血みどろになって戦った。
「みどろ」は漢字を当てれば「塗」だ。彼らが血みどろの戦いを戦ったということは、まさに血の熱さ、重さ、血なまぐささに
塗りたくられるという、何とも格好の悪い生き方を選んだということに他ならない。そして、二人とも、その戦いを勝ち取れずに、
道半ばで横死した。この上なく、外聞の悪い、見てくれの悪い死に様ではあるまいか?彼らの最期は、大河ドラマが荘厳なBGMと
共に美しく描く世界とは、おそらく対極にあったはずだ。だが、本当にリーダーとして戦うとは、そういうことなのだ。
何か高い価値の実現に己を賭して、ぎりぎりの人生を生きるとは、生きることのみっともなさを引き受けることに他ならない。
リーダーを気取るならば、俳優であればいい。しかし本当に戦う人間は、みじめな屍を衆目にさらすことを恐れてはいけない。
そういう意味では、小泉、橋下は、自己の限界を超える強烈な戦いを挑んだ政治家ではない。
血みどろになってでも成果を勝ち取ろうとした政治家ではない。彼らは政治家としてあまりにスマートだ。
そして、実は、本書の主人公である安倍晋三こそが、「俳優」ではなく、本当に戦うべき課題をしっかりと見据え、
それが血みどろの戦いになることに、いささかもひるまず、信じ難い突破力で猪突猛進した「戦うリーダー」だったのである。
穏やか過ぎる外貌が、安倍の強烈な政治家像を隠している。だが、実際の安倍政治は、官僚とマスコミを敵に回して、
息を呑むほど壮絶な戦いを展開した。内閣は、まるごとマスコミの餌食となり、連日「炎上」し続けた。
政治的成果は豊富で失政は一つもなかったのに、参議院選挙で大敗した。閣僚からは自殺者まで出た。
首相時代の安倍は、健康面でも実は「死」に近づいた上、政治的な「死」を経験した。まさに、安倍こそは、
信長や龍馬がそうであったように-----「戦いを勝ち取れずに、道半ばで」、「格好悪く」も政治的に「横死」した人物だった。
安倍が、本当に戦ったからだ。それも無謀極まる戦いを。首相として安倍が掲げたスローガンは「戦後レジーム(体制)
からの脱却」だった。何と分かりにくいメッセージだろう。「所得倍増」(池田勇人)、「列島改造」(田中角栄)を持ち出すまでもなく、
「戦後レジームからの脱却」とは、およそ選挙向けでも、テレビ向けでもないスローガンである。しかし又、よく考えれば
何と大胆なスローガンだろう。「戦後体制」とは現代日本のあらゆる分野における既得権益層に他ならない。
そこから「脱却」するとは、様々な分野に伏在する全既得権益層を敵に回すことだ。安倍政権の政治を「安倍革命」と
呼んだのは、他ならぬ中曽根康弘元首相である。三十年近く前、「戦後政治の総決算」を旗印にした中曽根から見てなお、
安倍の政治は「革命」に見えたのだ。「戦後レジーム」とは何であり、安倍が何故それと戦わなければならなかったのかは、
後に述べる。しかし、それが、現在の日本の停滞、展望のなさ、この社会の風通しの悪さ、日本への誇りを持てず、
幸せの手応えを得られずに漂流する若者達を大量に生み出している元凶であるのは間違いない。
そうした元凶を根源から潰して、新鮮な日本へとフル・モデル・チェンジするために、安倍は、「戦後」のあらゆる既得権益層----
マスコミ、硬直した官僚機構、労組、日教組、あらゆる反日集団ら---と、いわば全面戦争を戦い、敗れたのだ。
「安倍革命」の頓挫
安倍晋三内閣は平成十八(二〇〇六)年九月に発足し、一年後に、総辞職している。好感度抜群の内閣(発足時支持率六十三%
〈朝日〉〜七十・三%〈読売〉)が、マスコミの総攻撃の中、短期間に瓦解した。安倍内閣時に広報担当の首相補佐官を務めた
側近の一人、世耕弘成が、先日、安倍に強い関心を持つ大学生たちとのミーティングの席上、次のように話していたのが印象
に残っている。今でもよく思うんだよね。安倍内閣とは一体何だったのだろうって。あの叩かれ方は何だったのだろう。
今の民主党政権へのマスコミのおざなりな批判を見ていると、本当に何だったのだろう、と。もし、若い皆さんが安倍さん
のことで何か企画するならば、右とか左とか、そういうイデオロギーにこだわらずに、本当の意味で、一体あれは何だったのかを
総括するような企画を、寧ろしてほしいと思いますね。世耕という冷静な政策通が思わず漏らした、この時の正直な嘆きの深さを、
私は、その後、しばしば思い出す。生き馬の目を抜く政界を生きてきた一線級の政治家が、自分の属していた内閣について
一体何だったのだろう」と自問自答して自ら驚いている。これはやはり普通の事態ではあるまい。
そして、この世耕の素朴な疑問は、実は彼ら安倍政権の中枢メンバーらの私的な問題などでは全くない。
それは、寧ろ、全ての日本人に関わる、いや、すべての日本人の将来に関わる、極めて重い問いを内に含んでいる。
当事者自身が今もって理解に苦しむような異常なドラマが、安倍内閣をめぐって展開していた。何よりも異常なことは、
そのドラマでは、マスコミの多数が、安倍内閣を引きずり降ろす主役となっていたことだった。
彼らは、中曽根をして「安倍革命」と言わしめたほどの、安倍内閣のドラマチックな政治劇を、「お坊っちゃん内閣の崩壊」
という全く別のドラマに置き換え、内閣を総攻撃し続けた。この手法によって、内閣発足から十ヵ月後の参議院選挙で、
安倍自民党を大敗させた。直後に、安倍は重い病に倒れ、内閣総辞職を余儀なくされる。「安倍革命」は頓挫した。
それから間もなく五年。この「安倍革命」の意義を十分に総括する試みは全くなされなかった。
自民党政権の功罪がじっくり吟味されることもなかった。「戦後レジーム」は自民党政権下で成熟と喪失を遂げた。
だから安倍の「戦後レジームからの脱却」とは、実は自民党政権が作り上げてきた「戦後」の功罪の、検討と再生の物語でも
あったのである。その意味でも、マスコミや言論界は、幅広く「安倍革命」の是非を国民的議論に育てる責務があったはずだ。
だが、彼らはそのような知的で真剣な議論を全て省いた。安倍叩きの明け暮れの次には、「政権なだれ交代」に雪崩を打った。
政権交代の必然性や問題点、また、交代後の政権のあり方などが丁寧に論じられた形跡はない。メディアには、
無責任に世論を煽る人間ばかりが横行した。「政権交代は日本の民主政治にとってそれ自体目的である」「(財源の)
細かい数字は後からついてくるのである」 (山口二郎北海道大学教授『世界』岩波書店、平成二十一年九月号)
「民主党の政策がまとまっていないという指摘がありましたが、政権を獲ったことがないから仕方がない面もあるんです。
政策を集約しても実行ができないわけですから、あんまりそこを言うのはかわいそうかなと」
(御厨貴東京大学教授『文塾春秋』平成二十一年六月号)現代日本を代表する政治学者の発言がこれである。
政権交代を鼻歌交じりの気軽なゲームとでも思っていたのだろうか。運動会ならば参加することに意義があるかもしれないが、
政権は、国家の全権を担うのである。国家は安全保障政策や財政によって、全日本人の生命や財産、幸福を最も直接的に
担保する存在だ。日本の国力を安定、強化する以外の如何なる目的による政権交代も正当化され得ないのは言うまでもない。
「政権を獲ったことがない」ことは統治の現場に慣れていない言い訳にはなっても「政策がまとまっていない」理由にはならない。
「政策がまとまっていな」ければ、それは政党とは言えない。そんな政党に、生命、安全、財産を任せろというのは、
金庫の鍵もない銀行に金を預けろと言っているのと同じではないか。そして、実際に、我々日本国民は、
民主党政権の成立を許すことによって、確かに自分の財産を、鍵のない銀行に預けてしまったのだ。
|
|
|
|
|
|
|
|