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被災建物残すべき?各自治体の選択

TBS系(JNN) 9月12日(水)1時11分配信

 被災地に残された船や建物などの問題です。震災の爪痕を留めるこれらのものを残すべきか、それとも撤去すべきか。遺族の間でも意見は割れています。貴重な記憶なのか、それとも負の遺産なのか。現状を取材しました。

 「奇跡の一本松」と川を隔てた対岸に、陸前高田市立・気仙中学校は建っていました。校舎の前に設置されたボードに、少女が何かを書き込んでいました。全壊した校舎は取り壊される予定で、ボードには卒業生や教職員らによる別れのメッセージが寄せられていました。

 「校舎はなくなっても思い出は消えません」
 「取り壊し反対」
 「さっさとぶっ壊せ。見てると辛えんだよ」

 校舎は3階まで津波に飲み込まれましたが、生徒はいち早く近くの高台に避難し、全員無事でした。建物が解体されたあと、そうした記憶は残るのでしょうか。

 被災地では今、震災の様々なエピソードをまとう施設が次々と姿を消しています。災害の教訓を後世にどう伝えるのか。震災発生から1年半、残ることの意味、遺すことの意味を改めて考えます。

 気仙沼市・鹿折地区にある千葉とし子さんの家の窓からは、震災以降、あるものが見えるようになりました。330トンの漁船が、今も陸上に乗り上げたままです。船は津波に押し流され、何軒もの家や建物にぶつかり、車を押しつぶしたとされます。異様な光景に次々と人が訪れ、写真を撮っていきます。

 「基本的に、市としては(船を)残せればいいなと思っています。どれほどの映像があっても、どれほどの文献が残っても、実際にそこにある物以上のインパクトはない」(気仙沼市・菅原茂市長)

 忘れてならないのは、住民の理解を得ることです。そこでポイントとなるのが、月日の経過です。

 「人々が災害を忘れつつあることを、たぶん皆さん気づいていると思うんですね。そうなった時に、どうやってこの震災を記憶に残してもらうか、また知らない人たちにこの災害をどう伝えるか。これから生まれてくる、この地の人たちにどう伝えて行くかということに、たぶんだんだんと考えが変わってくると思います」(東洋大学・関谷直哉准教授)

 遠藤美恵子さんも、時間の流れに伴い、自らの気持ちの変化に気づいた1人です。あの日、町の職員として住民に避難を呼びかけ続けた娘の未希さんを、津波で失いました。

 震災直後、遠藤さんは娘が命を落とした防災対策庁舎の取り壊しを強く望みましたが、今では時おり、足を運ぶようになりました。遺族の間には、一刻も早い解体を主張する声に加え、保存か解体か、時間をかけて検討するよう求める声も新たに出ていて、町は対応を決めかねています。

 保存に向けて、間もなく伐採される「奇跡の一本松」。陸前高田市は付近一帯を公園として整備し、被災した建物も残す意向です。

 「私は、建物で犠牲者が出ていないところがあれば残せると思っておりますが、残念ながら、犠牲者が出たところについては、ご遺族の心情も察しながら、基本的には残すべきでないと考えています」(陸前高田市・戸羽太市長)

 避難してきた住民100人以上が命を落とした市民体育館や、大勢の職員が亡くなった市役所の旧庁舎には、今も大勢の人が足を運びます。これらの建物は、今年度中に取り壊される予定です。

 「我々は犠牲になった方を踏み台にして、この地域を興していく気持ちはありません」(陸前高田市・戸羽太市長)

 保存か、解体か。その選択は、犠牲者の有無によって決めるべきことなのでしょうか?

 「基本的には地元の人たちがどう考えるか、そこの意見集約がどうできるか、基本的にはそれに従うのが第一だろうと思います」(静岡大学・牛山素行准教授)

 民宿の屋上に乗った観光船「はまゆり」。震災直後、この光景は大槌町の名前と共に、広く世界に紹介されました。その後、二次災害に繋がる恐れがあるとして、「はまゆり」は撤去、解体。町では現在、驚きの計画が進められています。

 「災害の記憶、防災教育、そういう視点から復元したいと思ってます」(大槌町・碇川豊町長)

 「はまゆり」の実物大レプリカを制作し、あの光景を再現するというのです。町はすでに復元のための寄付を募集しています。

 災害の記憶や教訓を後世に語り継ぐために、何を残し、何をなくすのか。復興への歩みを進める中で、被災地は今、その取捨選択を迫られています。(11日23:13)

最終更新:9月12日(水)2時42分

TBS News i

 

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