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【群馬】

東日本大震災から1年半 避難者の今 <1>「なぜ逃げた」 夫婦裂く

主婦が夫の誕生日に送ったメール=吉岡町で

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 東京電力福島第一原発1号機が水素爆発した昨年三月十二日。福島県伊達市の主婦(44)は一刻も早く子ども三人と逃げたかったが、十五日に女性の安産を願う集落の祭りが控えていた。

 「こんなことをしている場合じゃない」。そう訴えたが、集落の長老たちに「すでに坊さんを呼んだ。やめるわけにはいかない」と押し通された。

 祭りが終わるとその日のうちに車で出発。大渋滞の中、翌十六日朝、渋川市内の姉宅に着いた。熊本県に単身赴任中だった夫(45)は途中で合流すると「なんで勝手に避難するんだ」と声を荒らげた。放射能への考えは完全にすれ違っていた。

 夫への不満は募っていた。次女(15)が小学校時代苦しんでいたいじめに向き合ってくれなかった。いつの間にか多額の借金を抱え、四年前、個人再生して処理した。「子どもたちを守るために逃げたのに。こんな人、父親じゃない。もう離婚だ」。そう腹に決めた。

 川場村が避難者を受け入れていると姉に教わり、十六日午後に同村へ。安心感に浸ったのもつかの間。「仕事がある」「母校で卒業したい」と夫や子どもに押し切られ三週間後、伊達市へ戻った。

 夫の両親や近所の住民は「なんで逃げた」。米国に住むめいだけは「早く逃げた方がいい」と強く勧めた。海外避難に備え、子どもたちのパスポートを初めて取ると「大げさだ」と夫は不満げだった。

 今春、次女は福島県の甲状腺検査を受けた。結果は「5・1ミリ以上のしこりや20・1ミリ以上ののう胞がある」とするB判定で二次検査の対象だった。だが、その後連絡はなく、判定結果の意味も分からず、不安は募る。

 気付くと涙が流れている。息苦しさに襲われる「パニック障害」も起こった。白髪が増え、五百円玉大の円形脱毛が二つ、三つ…。いじめ問題を機に通院していた心療内科で処方される睡眠薬や精神安定剤の量は震災以降、三倍に増えた。

 今年三月。群馬県による避難者への借り上げ住宅の提供が月内に締め切られるのを知って、あわてて申請した。吉岡町内のアパートに決まり、体調がいい日を選んで、少しずつ荷物を車で運んだ。

 八月十一日、子ども三人を伊達市内の自宅に残し一足先に引っ越した。次女や高校三年の長男は来年度に移ってくる。県内には両親や姉がいる。話し相手が近くにいるだけで少し気が楽になった。

 ただ県の借り上げ住宅にいつまでも住めるわけではない。貯金はなく、働かないといけないが医師からは「働けば病状が悪化する」と忠告されている。

 九月三日夜、誕生日を迎えた夫に長文のメールを送った。

 「(次女の)いじめと一人で戦い、バイト、専業主婦、恐怖の震災、原発、病気、周囲からの冷たい言葉、そういう嵐にふんばって生きてきた。もうすべてから解放され、ゆったりとした気持ちで過ごしたいです。お互い残りの人生を自由に生きたいね。じゃ、よい後世を…」

 「苦労かけてごめんね」との夫の返事は、心に響いてこなかった。

 伊達市内では依然、放射線量が毎時二マイクロシーベルト以上と比較的高い地域がある。

    ◆  ◆

 「故郷では暮らせない」。そう国に言われたり、自身で判断したり、さまざまなきっかけで群馬県に避難してきた人たち。一時、最大三千七百三十人に上り、九月五日現在は千八百八十五人。東日本大震災から一年半。一向に静まらない感情と格闘しながら、一歩を踏み出そうと、もがく姿を追った。

 (この企画は伊藤弘喜が担当します)

 

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