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【芸能・社会】

震災から1年半 高田の一本松CD化

2012年9月12日 紙面から

高田の一本松の前で、歌を捧げたサスケのカツ(左)とタカ

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 保存に向けて12日に切断される岩手県陸前高田の一本松。昨年、東日本大震災後、7万本のうち1本だけ残った松を報道で知った作詞家の藤公之介さん(71)が書き上げた詞にフォークデュオ、サスケが曲をつけた「生きてりゃいいこときっとある〜高田の一本松〜」が、CD化された。

 大塚博堂の「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」、榊原郁恵の「いとしのロビン・フッドさま」などの作詞で知られる藤さんは、宮城県塩釜市出身。石巻市に住んでいた妹夫婦が、津波で犠牲になった。一本松を見た瞬間、グッとくるものがあったという。

 「天に向かって伸びて行け だけどがんばらなくていい 生きてりゃいいこと きっとある」と希望を託した詞を書いた。いろんな有名作曲家が頭に浮かんだが、かつて「いいメロディーを書くなぁ」と記憶に残っていたサスケにコンタクトをとった。愛媛県出身の双子のデュオ、サスケは震災当時、仕事先の岩手県一関で被災。公演は中止となり、しばらく旅館に足止めされた。そんな体験もあって、メロディーに思いをのせた。

 昨年秋と今年4月に陸前高田を訪れ、一本松の前で2人で歌を捧げたサスケ。東京・吉祥寺のライブハウス「MANDA−LA2」などで歌い続けてきた。

 ところが、その後、メーンボーカル担当の弟タカ(58)が突然体調を崩し、精密検査を受けたところ末期に近い肺がんと診断された。のどに変調をきたし、がく然としながらも「何とかして歌えるうちに残したい」。友人の支えもあって、何とかCDを完成させた。

 「いい出来だ」と藤さん。「いろんな人に聴いてもらって、震災のことを忘れないでほしい」とタカ。兄のカツも、うなずいた。7月29日に開かれた「サスケを励ます会」には、三上寛らミュージシャン仲間のほか全国から100人近いファンがかけつけ、入院前の最後の歌声を披露したサスケ。今は、一本松に自身の命をつなぐ闘いを重ねている。

 なお、CDに関する問い合わせは、所属事務所のファミリーアーツ(電)03(6312)0304、公式サイトhttp://sasuke.me/へ。

 

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