ネットで、「意見」を言うことは誰にでもできた。ネットで「議論」をすることは誰にでもできた。誰しもが自由なネットを謳歌していた。誰しもが平等なネットを称揚していた。まったく、お話にならなかった。まったく、冗談ばかりだった。
ネットを介した意見や議論こそ無意味である、もはやそう言わなければ何もはじまらなかった。あらゆる知力を用いて、これをすべて無価値と断じなければならなかった。
ネットによって、私たちのつながりはますます希薄に拡散していった。そこで見られる正直さは、ほんとうのことを隠して形式的な率直さを褒め合うだけのゲームになった。ネットの平等な関係性は、嫉妬由来の悪意をいくらでも、誰に対しても投げつけてよいのだという手前勝手な卑怯さをもたらしただけだった。ネットがもたらした利点はことごとくが裏目に出ていた。そして馬鹿な若年層と中高年と女たちはどんどんつけあがっていった。
ネットはあらゆるものを可視化したが、可視化されたのはひとの愚かさだけだった。
たとえば中途半端な知性は、少し前には「集合知」などという冗談で褒めそやされていた。まったく笑い話だった。この世で一番まずい料理は何か。それは中途半端なシェフ気取りの人間が作った料理である。そのような料理を、私たちは毎日食べさせられているようなものだった。
家にひきこもることはできなかった。なぜならネットはすでに社会だったからだった。家にいても、学校にいても、会社にいても、どこにいても私たちは、ネットがもたらした言語空間に閉じ込められていた。そこから出ることはできなかった。いや、もはや日本の外にも外部がないことは明白だった。
<外>は消失し、ネットの内部だけが残っていた。
そして、誰しもが<だれか>になりたがっていた。そもそもそのような願望こそが凡庸だった。しかし諦められなかった。
スタジオで一回千円で撮影してもらった写真をPhotoshopで加工してプロフィール写真を作り、プロフィールには「作家」、あるいは「詩人」と書く。これがたとえばネットにしか居場所のない私たちのさみしい営みだった。一行も作品を書かずにそのようなことが可能だった。毎日ブログで日記を書いて<創作>の神秘について語ることも容易だった。あるいは存在しない女たちとの性交について書くことすら容易だった。
誰しもが<だれか>になりたがっているのに、それがなんなのかわからなかった。何になりたいのかわからなかった。いや、違った。みなが<しあわせ>になりたかった。しかし、誰もなれなかった。誰一人として、なれなかった。しかしネットの中にいる限りにおいて、その寂しさ、虚しさ、どうしようもなさを知ることはできなかった。その事実を巧妙に隠蔽する装置としてネットが機能していたからだった。
2012年、男も女も、ほんとうに孤独だった。
男は「妻が浮気した」話を2chやTwitterに書き込み、妻に精神的制裁を与える方法を、ネットのあちら側のひとびとの<善意>に基づく協力を得ながら探していた。あるいは、自分が孕ませた女をどう処理するか、その相談をしていた。
女は女で、なさけない男たちに失望した後、すべてをあきらめて適当な人間と結婚するだけのために婚活をするか、性差の存在しないファンタジーに逃避するぐらいの道しか許されてはいなかった。
この男女関係に欠けているのは男と女そのものだった。男は女を見ておらず、女は男を見ていなかった。眼はあるのに盲目だった。
誰もが、毎日のようにTwitterで、Google+で、Facebookで、話して、Favして、いいね!して、RTして、shareして、ありとあらゆるシステムによって準備されたツールを用いてコミュニケーションを取っていた。しかしそれにもかかわらず、男も女もお互いのことをまったく見ていなかった。そこにあったのは<つながり>の不在に他ならなかった。
かつて男は女を単なる女性器とみなしていた。いまは違う。さらに悪くなっていた。女はすでに女性器ですらなかった。女はすでにセックスの対象ですらなかった。女は単にマスターベーションのための<モノ>でしかなかった。ネットに、町に蔓延するマスターベーションのための道具、マスターベーションのための作品、マスターベーションのための広告、ありとあらゆるものが、女を道具以上のものにすることを拒んでいた。つまり女はすでに、男が自分を投影するための道具でしかなかったのだった。
女もまた同じだった。男も女もお互いを道具扱いして、さらに孤独になっていた。
そして、誰もそれをおかしいと思っていなかった。誰も、ネットをおそろしいと思っていなかった。私たちの敵こそがこのネットだった。私たちの非人間性を助長しているものこそがネットだった。私たちを限りなく愚かにしているのもまたネットだった。これに抗わねばならなかった。これとたたかわねばならなかった。
書き手が試されるように、読者もまた試されていた。この巨大な敵といかにたたかうかが問われていた。誰しもがわかりやすい<建設的>な回答を求めていた。それは当然のことだった。社会のひとびとは、政治家が、学者が、評論家がそれを提示すべきだと要請していた。だが、それは不可能だった。残念ながらかれらは、自分たちの小ささを理解する機会を得なかった。自分たちの醜さを直視する機会を得なかった。なぜなら、かれらは<恵まれていた>からだった。生まれてから一度も、カネがない状態を経験したことがなかった。生まれてから一度も、弱者に暴力を振るったこともなかった。生まれてから一度も、罵倒され、つばを吐かれ、塩をまかれた経験がなかったからだった。恵まれていた。まったくご立派だった。まったくご立派でお話にならなかった。不幸が必要なのではなかった。必要なのは想像力、かれらに欠けているのは、ことばにすればたった三文字で表現できる力に他ならなかった。
想像力とは何か。想像するとはどういうことか。ネットにそれがないことだけは明白だった。
ネットには、弱者への誹謗中傷と、名誉と名声がほしい市民活動家と、カネがほしい評論家と、部屋にこもって出てこない小説家と、票がほしい政治家と、単著を売りたいライターと、ガス抜きを必要とする詩人と、女をマスターベーションの道具にしたい男と、男を財布としか見ない女と、あいうえおがまだ書けない小学生、中学生、高校生、大学生、大学院生と、貧乏人からカネをむしることだけを考える携帯屋と、Twitterの書き込みでメニューが割引なレストランと、誹謗中傷しあうひとびとをまとめて読み物にして晒しあげあまつさえそれで広告費を稼ぐTogetterと、スーツと食事の自慢ダイアリーのFacebookと、猫画像のGoogle+がすでに存在しているが、しかし、想像力だけは、どこにも見つからないのだった。
私、元ブロガーnoon75こと根本正午は、日本社会に、公器に、死んだブロゴスフィアに、共同体等に対し、ひとつの処方箋も、対策も提示しない。そのようなものは等しく無意味に違いない。しかし、取り戻さねばならないものは知っている。それは<つながり>である。だれもかれもが即座に繋がるネット社会で、このようなことを言うのは狂人の所業に相違なかった。しかし、ネットがもっとも損ねているもの、それは<つながり>に他ならなかった。それは言わねばならなかった。
毎日ハローこんにちはと投稿しても、それは無意味な記号に過ぎない。毎日+1して毎日Favして毎日いいね!しても、それはつながりでも何でもなくただのボタンに過ぎなかった。そんなものを百万回押したところであなたの人生は少しも変化せず少しも豊かにならず今日も庭を眺めながらひとりぼっちでマスターべションをするだけの人生しかやってこないのである。
いや、もっとはっきり書かなければいけないだろうか。もっと個別具体的に書かねばいけないだろうか。そうだ、ここはネットだった。何の権威付けもなく、何の制度もなく、いかなる組織のバックアップも受けない、孤独な兵士たちの戦場だった。世界は小さかった。世界は限りなく腹立たしいまでに狭くなった。書かねばならない。たたかわねばならない。人間を非人間にするシステムとたたかわねばならない。そのために何が必要か。セックスが必要だった。セックスがなによりも必要だった。セックスだけがゆいいつの解だった。
男女はお互いに幻想を押し付けあっている。ネットを離れても、ネットが流布している思い込みと、幻想と、偏見になお縛り付けられ、支配されている。それはあまりにも苦しい人生だった。そのようなものを捨て去ることからはじめなければならない。相手の身体を、こころを使ったマスターベーションだけはやめなければならない。<この世界>に触れるために避妊具を捨て、生身の身体で排卵し、シャセイしなければならない。それは痛みを伴う認識に他ならず、麻薬と鎮痛剤しか流通しないネットには永遠に存在し得ないものである。
ネットに閉じ込められて、そこから一歩も外へ出られないとしても、私たちには、生きる自由が与えられているはずだった。いつくたばるかわからぬ、この惨めでしみったれた人生。ひとは生きていても死ぬことができる。それはあなたたちのまわりの大人たちをみれば一目瞭然である。会社、学校、家庭に、どれだけの死んだ眼をした<日本人>がいるか、あなたたちはみなよく知っているはずである。病気だからではない。カネがないからではない。戦争に負けたからではない。かれらが最初に見失ったのは、人間らしく生きる自由である。それは与えられていながらも、やはり勝ち取らなければならぬものなのである。
状況は最悪でありネットは狂っている。しかしどんなに悲惨な状況においても、なお、<自由>は勝ち取ることができるものである。生きることをすべてに優先させよ、行動によってではなく、ただひとつ、考えるという挑戦をもって。