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誰の賃金が下がったのか?または国際競争ガーの誤解

経済産業研究所が公表した「サービス産業における賃金低下の要因~誰の賃金が下がったのか~」というディスカッションペーパーは、最後に述べるように一点だけ注文がありますが、今日の賃金低迷現象の原因がどこにあるかについて、世間で蔓延する「国際競争ガー」という誤解を見事に解消し、問題の本質(の一歩手前)まで接近しています。

http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/12j031.pdf

賃金構造基本統計調査を使用して、1990 年代及び2000 年代における日本の常用雇用労働者の賃金変化の要因分析を行った。その結果、既存の研究結果と異なり、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業の賃金が下がっていたことが判明した。

途中の数理分析は飛ばして、結論のところの文章を追っていくと、

製造業の賃金は、1993-1998 年の期間には上昇、1998-2003 年の期間、2003-2008 年の期間については大きな変化が観察されなかった。一方、サービス産業は、1993 年以降一貫して賃金は下がり、1993-1998 年は-3.0%低下、1998-2003 年は-7.8%低下、2005-2009 年は-7.9%の低下とその下落率も次第に大きくなってきた。
バブル崩壊後の時期に当たる1993-1998 年の期間では、製造業では賃金は上昇、サービス産業では下落、最大の下落要因はサービス産業におけるパート労働者の増加である。
この時期、業種計では賃金が上昇しており、業種別で見ても、製造業、建設業、卸売業、情報通信業、金融・保険業、医療・福祉業など多くの業種で賃金が上昇したが、小売業、宿泊業では10%以上も賃金が減少した。
1998-2003 年というアジア通貨危機からIT バブル崩壊の時期にかけては、ほぼ全ての業種で、全ての属性の労働者の賃金水準が平均的に下がっている。この時期は、業種計で賃金が減少、製造業でも、製造業以外でも、ほぼ全ての業種で賃金が減少している。
賃金から見たデフレ現象、つまり、同じ属性の労働者の賃金が下がるという減少は、この1998-2003 年の時期に起こっている。
2003-2008 年の日本経済が比較的堅調であった時期は、製造業の賃金は下がらない中で、サービス産業では大きく下落している。この時期のサービス産業の賃金下落の最大の要因は、労働時間の変化、次いで、パート労働者の増加である。この時期には、業種計の賃金は減少、製造業、卸売業など一部業種では賃金は増加したものの、それ以外の業種では減少している。特に、飲食サービス業、不動産業、医療・福祉業、小売業、宿泊業では大きく賃金が減少している。

1993-2009 年の期間において、サービス産業の中でも賃金下落が著しいのは、小売業、飲食サービス業である。小売業では、パート労働者の増加、労働時間短縮によって、飲食サービス業では年功カーブが緩やかになることに伴って賃金が下落した。一方、サービス産業の中で、賃金が比較的下落していないのは、卸売業、金融業である。卸売業、金融業では、労働者の年齢構成の高齢化、高学歴化によって賃金の下落が抑えられている。
1990 年代から2000 年代にかけて、女性労働者と男性労働者、パート労働者と一般労働者の賃金格差は縮小した。賃金カーブの傾きは、20 歳代、30 歳代のサービス産業で以前に比べると緩やかになっているものの、製造業についてはほとんど変わっていない。

国際競争に一番晒されている製造業ではなく、一番ドメスティックなサービス産業、とりわけ小売業や飲食店で一番賃金が下落しているということは、この間日本で起こったことを大変雄弁に物語っていますね。

「誰の賃金が下がったのか?」という疑問に対して一言で回答すると、国際的な価格競争に巻き込まれている製造業よりむしろ、サービス産業の賃金が下がった。また、サービス産業の中でも賃金が大きく下がっているのは、小売業、飲食サービス業、運輸業という国際競争に直接的にはさらされていない産業であり、サービス産業の中でも、金融保険業、卸売業、情報通信業といたサービスの提供範囲が地理的制約を受けにくいサービス産業では賃金の下落幅が小さい。

そう、そういうことなんですが、それをこのディスカッションペーパーみたいに、こういう表現をしてしまうと、一番肝心な真実から一歩足を引っ込めてしまうことになってしまいます。

本分析により、2000 年代に急速に進展した日本経済の特に製造業におけるグローバル化が賃金下落の要因ではなく労働生産性が低迷するサービス産業において非正規労働者の増加及び全体の労働時間の抑制という形で平均賃金が下落したことが判明した。

念のため、この表現は、それ自体としては間違っていません。

確かにドメスティックなサービス産業で「労働生産性が低迷した」のが原因です。

ただ、付加価値生産性とは何であるかということをちゃんと分かっている人にはいうまでもないことですが、世の多くの人々は、こういう字面を見ると、パブロフの犬の如く条件反射的に、

なにい?労働生産性が低いい?なんということだ、もっとビシバシ低賃金で死ぬ寸前まで働かせて、生産性を無理にでも引き上げろ!!!

いや、付加価値生産性の定義上、そういう風にすればする程、生産性は下がるわけですよ。

そして、国際競争と関係の一番薄い分野でもっとも付加価値生産性が下落したのは、まさにそういう条件反射的「根本的に間違った生産性向上イデオロギー」が世を風靡したからじゃないのですかね。

以上は、経済産業研究所のDPそれ自体にケチをつけているわけではありません。でも、現在の日本人の平均的知的水準を考えると、上記引用の文章を、それだけ読んだ読者が、脳内でどういう奇怪な化学反応を起こすかというところまで思いが至っていないという点において、若干の留保をつけざるを得ません。

(参考)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-107c.html(スマイル0円が諸悪の根源)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-2546.html(サービスの生産性ってなあに?)

(追記)

上記「スマイル0円が諸悪の根源」のコメント欄で、かつて経済産業研究所に研究員として在籍していたことのある人の、「なんもわかっとらん」丸出しのツイートを紹介していますので、ご参考まで。

3法則氏の面目躍如:

http://twitter.com/ikedanob/status/17944582452944896

>日本の会社の問題は、正社員の人件費が高いことにつきる。サービス業の低生産性もこれが原因。

・・・なんにせよ、このケーザイ学者というふれこみの御仁が、「おりゃぁ、てめえら、ろくに仕事もせずに高い給料とりやがって。だから生産性が低いんだよぉ」という、生産性概念の基本が分かっていないそこらのオッサン並みの認識で偉そうにつぶやいているというのは、大変に示唆的な現象ではありますな。

(おまけ)

なんだかやたらにブコメが付いているのですが、その中にこんなのが・・・。

http://b.hatena.ne.jp/entry/eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-0c56.html

napsucks国際競争力のある企業は真っ先に取引先に値下げを迫るだろうし、そいつらから金をもらって生きるしかないドメスティックな産業が先にダメージを食らうのは当然だろ。2012/09/10

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コメント

まさにTHEデフレって感じですね

>1993-1998 年は-3.0%低下
>1998-2003 年は-7.8%低下
>2005-2009 年は-7.9%の低下

ちょうどCPIが+1%を割り始めたのが1993年頃、マイナス域に突入したのが1998年頃ですから、見事に合致しますね。1.5~1.6%/年という低下率を見ても、雇用への悪影響を出さないためには、日銀のいう1%でなく、2%のインフレの必要性が表れているように見えます。

先日もコメントさせて頂きましたが、『こんなに失業があるのに中銀はなぜ利率を引き上げるんだと文句をつける側』の不在が切実な問題ですね・・・

投稿: charleyMan | 2012年9月10日 (月) 16時03分

飲食サービス業の賃金はそれこそ政治的問題であって、金融政策でどうにかなるものではないように思いますがどうなのでしょうか。

投稿: みんど | 2012年9月10日 (月) 18時58分

たしかに”製造業”の賃金は下がってないですけど、国際競争にさらされている工場部門(途上国でも組み立てられる)と
国際競争にさらされてない研究開発部門(途上国では研究できない)はわけて見てみないとわからない。

製造業の雇用者数は右肩下がりですよね?工場の海外移転
http://www.meti.go.jp/statistics/tyo/kougyo/wagakuni/2006/pdf/3.pdf

製造業の工場部分が海外に移転し、研究開発部門だけが本国に残ればむしろ平均賃金は上がる。

投稿: ちょこたん | 2012年9月10日 (月) 21時43分

>まさにそういう条件反射的「根本的に間違った生産性向上イデオロギー」が世を風靡したからじゃないのですかね。

>現在の日本人の平均的知的水準を考えると、上記引用の文章を、それだけ読んだ読者が、脳内でどういう奇怪な化学反応を起こすかというところまで思いが至っていない

「売り上げが上がらない限り、賃金が上がらないのも、
(法的要件満たしているのに)社会保険に入れないのも、
健康を脅かすほどにタダ働きするのも、しょうがない」
という意識を持つ人は決して珍しくないように思えますものね・・・。

「売り上げ」は、経営する側(法律的な意味での“社員”)の能力次第、という風には、悲しいかな、ならないのよね・・・(“取締役”とかの肩書きで、その経営能力はすでに公認済みであるかのように…)。

(まあ、買い手の問題もあるけれど。)

投稿: 原口 | 2012年9月10日 (月) 22時21分

製造業の雇用が減ってサービス業が増えるけどブラックだからデフレになるってことですねcat

投稿: 熟女 | 2012年9月10日 (月) 22時50分

他の誰かと代替可能性の高い単純労働であればあるほど、供給過剰になり賃金が下がるのは当然ですね。飲食業のウェイター、ウェイトレス、小売業の店員などは、まさに学生のアルバイトで十分対応可能なので、賃金は下がらざるを得ません。それが市場原理というものです。他の人より高い賃金がほしいのであれば、他の人にはできない特殊な技能を身につけるしか方法はありません。それは、社会情勢がどう変化しようとも普遍的な現実です。

投稿: こうじ | 2012年9月11日 (火) 08時58分

輸出産業が競争力を高める過程で国内サービス産業の付加価値生産性が高まっていったように(バラッサ・サミュエルソン効果)、シャープに象徴される輸出企業の国際競争力の低下は国内サービス産業の付加価値生産性にマイナスに働きますので、

>グローバル化が賃金下落の要因ではなく

すでにグローバル化している時代において、輸出産業の競争力低下は国内サービス産業の賃金下落の要因になっている、と言うべきでしょうか。
おかげで、いまや誰も口にしなくなった「内外価格差」は大きく「是正」されました。

投稿: yatsu | 2012年9月11日 (火) 10時24分

つまり、国際的にみると、この3年で日本の生産性は5割ほど向上した、とみればよいでしょうか。
(おもに円高によって)

投稿: mohno | 2012年9月11日 (火) 15時22分

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