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OJTという名の"単純労働"

『職場学習論』の中原淳さんが、「「OJT信仰・手放しのOJT礼賛」を超えて : OJTの脆弱性・成立条件を考える」という短文を書かれています。

http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/09/ojtojt_ojt.html

日本には、どうやら「OJT信仰」というものがあるようです。「手放しのOJT礼賛」といってもいいかもしれません。

OJTの「よいところ」ばかりが注目され、「結局、経験なんだよ、経験」といった具合に、ある種の「経験主義」「現場主義」と絡み合いながら、その学習効果が「ロマンティシズム」をもって語られる。

その反面、OJTの悪いところ、制約、脆弱性、そして成立条件などのシビアな側面が、あまり着目されないのです。

として、いくつもの点を指摘していくわけですが、その最後の第4のポイントは、

そして、第四のポイント、OJTの最大の脆弱性は、OJTはともすれば「単なる労働」に変わり果てる、ということです。本来OJTは、「Learningful work(学びに満ちた仕事)」であるはずなのに、いつのまにか「Learningless job(学びもクソもへったくりもない、単なる労働)」になってしまう、ということです。
意図せず、意識せず、それは進行します。特に、「職場の多忙感が高い場合」や、「業績へのプレッシャーが高い場合」、また「OJTに対する上司の理解や認識がナノレベルである場合」に、起こる可能性が高くなります。

最悪の場合、職場には「OJTという名の"単純労働"」「OJTという名の"下請け労働"」が、横行します。部下が、「上司の尻ぬぐい」をするというかたちになるのです。

って、これが実は日本の産業化が始まった明治時代の(OJTなんてはいからさんな言葉のなかった時代ですが)壊れつつあった徒弟制の描写でよく出てくる姿なんですよね。それゆえに徒弟たちが居着かずに流動化する。

それではだめだというので、まずは公的な養成施設に送り込むのですが、それでも流動化が止まらず、結局社内で養成施設を設けるという方向にいく。以来、こういう社内Off-JTが日本型雇用システムの教育訓練の中心で、OJTが主流になるのは高度成長以後なのです。

普通の社会ではOJTはほっとくと単純労働になると考えた方が良く、そうならないためには、よほど強固なメンバーシップ感覚が必要なのでしょう。

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