さて、金曜日に「30歳からの社会人デビュー」の白焼き戻して
あと二週間、ゆるゆるです。
この間に、まとまった読み物とか書き物とかするつもりですが。
昨日はわりと珍しい完全オフに近い状態。
ときどきついったーを見ていたら
「支援団体が当事者の入会を拒否する」っていう話題が出てました。
育つ途上では診断がつかず、こんがらがった状態で入ってきてトラブルになる。
それを避けたいのですね。苦労の経験もあるし。
受け皿、受け皿っていうことも言われますが
私は地元で発達障害者支援センターができたとき小躍りして取材に行って
アメリカ帰りの心理士(どや)が
「発達障害の人は話がとりとめないので支援に入りようがないことがある」って堂々と言ったとき
ああこの事業も先は暗そうだな、と思いましたよ。
自閉っ子シリーズを世に送り出した人間としてはね、たんに仕事を怠っているだけのように聞こえました。
吉川徹医師も現在、地元の自閉っ子キャンプにご参加のようですね。
ネットで匿名では障害のある子いじめしていても
地元ではいいおじさん、支援者をやっているのかもね。
でも私はそこで「陰ではこんなことやってるんだぜきーっ」っていう弾劾方面には走らないの。
それより読者の皆さんに、こういう風にご忠告しておきたいの。
「気に入らない出版社から本を出したからって、大地君にした仕打ち、見たでしょ?
地元ではいい顔していても、ネット上では自分の思想を盾に、障害のある子のいじめに加担する。
この程度の人間が、支援者をやっているんですよ。
それが現実」
こっちのほうが現実的に知っておくといい知識だと思うんですよね。
まあそれはきっと、皆さんのほうがご存知ね。
ギョーカイのことをあれこれ書くのはね、ギョーカイを批判しているというより
「当てにしないほうがいいよ」と言いたいだけ。私にとって大事なのは、ギョーカイ受けじゃなく愛読者の未来なので。
と思っていたら、『自閉っ子と未来への希望』についてつぶやいていた方がいました。
書いてあることに同意のつぶやきね。
たぶんここだと思います。
同書183ページね。
=====
不毛な構図
とにかくどこへ行っても見られるのは次の構図。
1 支援者が支援の必要性を訴える。
2 社会は理解しない。必ずしも悪意があるのではなく、理解が難しいせいでもある。
3 支援者の支援を訴える言葉がだんだん先鋭化していく。聞いているとまるで、自閉症者を世界の中心にすえないといけないと思っているのかと感じられるほど。
4 当事者や保護者が「自分たちは理解されていない」との意識を募らせていく。
支援者でもなく、当事者でも保護者でもない身として土俵下の砂かぶりで見ている一般民間社会人の私には、どこに行っても同じことが繰り返されているように思えました。
とは言っても、また話は戻りますが、頑張っている当事者・保護者もたくさんいたんですよ。ある著名支援者がおっしゃってました。「ネット上には不満が渦巻いているけれども、オフラインでは前向きに頑張っている人が多い」って。これは未だに、私の実感でもあります。
=====

みんなね、もっと社会の好意を信じてもいいと思います。とくに成人の方々。誤解に基づく恨みが多すぎて、社会の好意的なところにも気づきにくい。
ちゅん平が立ち直ったのはね、自分から社会に寄り添う生き方を選んだ、っていうのが大きいと思いますよ。
支援を当てにせず、社会の好意をもうちょっと信じる。
そっちのほうが効率的に見えますが、逆張りしてる人多いわね。
そういう人がうまくいってるかどうか見極めて
ネガティブ・インディケーターとして使うのもありじゃないかしら。
大阪の件にしたってねえ。
自分のつぶやき載せておきますね。
=====
支援者は被告人を救う気はなく、ただただこの事件を利用してるだけです。そこには加害者への支援も被害者への哀悼もありません。更に言えば自分たちが汗をかいて再発防止に務める意思も伝わってきませんね。
=====
障害と犯罪には関係がないという大本営発表のもとでは
遵法教育なんて、夢のまた夢ですわね。
そういうギョーカイの方針に飽き足らない方は、こちらをどうぞ。

あと二週間、ゆるゆるです。
この間に、まとまった読み物とか書き物とかするつもりですが。
昨日はわりと珍しい完全オフに近い状態。
ときどきついったーを見ていたら
「支援団体が当事者の入会を拒否する」っていう話題が出てました。
育つ途上では診断がつかず、こんがらがった状態で入ってきてトラブルになる。
それを避けたいのですね。苦労の経験もあるし。
受け皿、受け皿っていうことも言われますが
私は地元で発達障害者支援センターができたとき小躍りして取材に行って
アメリカ帰りの心理士(どや)が
「発達障害の人は話がとりとめないので支援に入りようがないことがある」って堂々と言ったとき
ああこの事業も先は暗そうだな、と思いましたよ。
自閉っ子シリーズを世に送り出した人間としてはね、たんに仕事を怠っているだけのように聞こえました。
吉川徹医師も現在、地元の自閉っ子キャンプにご参加のようですね。
ネットで匿名では障害のある子いじめしていても
地元ではいいおじさん、支援者をやっているのかもね。
でも私はそこで「陰ではこんなことやってるんだぜきーっ」っていう弾劾方面には走らないの。
それより読者の皆さんに、こういう風にご忠告しておきたいの。
「気に入らない出版社から本を出したからって、大地君にした仕打ち、見たでしょ?
地元ではいい顔していても、ネット上では自分の思想を盾に、障害のある子のいじめに加担する。
この程度の人間が、支援者をやっているんですよ。
それが現実」
こっちのほうが現実的に知っておくといい知識だと思うんですよね。
まあそれはきっと、皆さんのほうがご存知ね。
ギョーカイのことをあれこれ書くのはね、ギョーカイを批判しているというより
「当てにしないほうがいいよ」と言いたいだけ。私にとって大事なのは、ギョーカイ受けじゃなく愛読者の未来なので。
と思っていたら、『自閉っ子と未来への希望』についてつぶやいていた方がいました。
書いてあることに同意のつぶやきね。
たぶんここだと思います。
同書183ページね。
=====
不毛な構図
とにかくどこへ行っても見られるのは次の構図。
1 支援者が支援の必要性を訴える。
2 社会は理解しない。必ずしも悪意があるのではなく、理解が難しいせいでもある。
3 支援者の支援を訴える言葉がだんだん先鋭化していく。聞いているとまるで、自閉症者を世界の中心にすえないといけないと思っているのかと感じられるほど。
4 当事者や保護者が「自分たちは理解されていない」との意識を募らせていく。
支援者でもなく、当事者でも保護者でもない身として土俵下の砂かぶりで見ている一般民間社会人の私には、どこに行っても同じことが繰り返されているように思えました。
とは言っても、また話は戻りますが、頑張っている当事者・保護者もたくさんいたんですよ。ある著名支援者がおっしゃってました。「ネット上には不満が渦巻いているけれども、オフラインでは前向きに頑張っている人が多い」って。これは未だに、私の実感でもあります。
=====
みんなね、もっと社会の好意を信じてもいいと思います。とくに成人の方々。誤解に基づく恨みが多すぎて、社会の好意的なところにも気づきにくい。
ちゅん平が立ち直ったのはね、自分から社会に寄り添う生き方を選んだ、っていうのが大きいと思いますよ。
支援を当てにせず、社会の好意をもうちょっと信じる。
そっちのほうが効率的に見えますが、逆張りしてる人多いわね。
そういう人がうまくいってるかどうか見極めて
ネガティブ・インディケーターとして使うのもありじゃないかしら。
大阪の件にしたってねえ。
自分のつぶやき載せておきますね。
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支援者は被告人を救う気はなく、ただただこの事件を利用してるだけです。そこには加害者への支援も被害者への哀悼もありません。更に言えば自分たちが汗をかいて再発防止に務める意思も伝わってきませんね。
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障害と犯罪には関係がないという大本営発表のもとでは
遵法教育なんて、夢のまた夢ですわね。
そういうギョーカイの方針に飽き足らない方は、こちらをどうぞ。
齢はすでに介護保険支払いの年代。愛知県なので有力な団体がいくつかありますが、浅見社長にYTの件で電話を入れた大学教授が主宰する著名団体を含めて、いずれも「学齢期の方のみ」といのことで、あっさりと入会お断りのメールをいただきました。
結論、そういう団体から支援なんて要りません。吉川とかいう「家事をする引きこもり」を治療目的であると愛知県の公文書で宣言している人物の影響なんて、拒否します。
業界長大御所の裏話(息子に当事者がいて、自分の高額交換料や印税が息子に入るシステムを作ったらしい)目の当たりにして、大御所様が自閉症当事者が世界の中心にならなければならないと、いくつかの著書の中でシュープラー博士との対話と言う形なども含めて何度も記述していますが、そういうことだったか、真に受ける必要はないと、腑に落ちました。
法を犯すこともなく勤労し続け、納税し続け、二次障害にあって休職中のやすさん。善良な一市民ですね。
愛知県は一応、先進地域のはずじゃなかったっけ。先進地域できわめて善良な自閉症スペクトラムの成人に受け皿を用意できないギョーカイが、実の姉を殺した殺人犯にどういう受け皿を用意するんでしょうね。ワクワク。
ところでこのコメントを見て、思い出したことがあるので次のエントリに活かしますね。
またお越しくださいませ。
かつて、カナータイプの方々の療育していました。
周りの指導員がボコスカぶん殴り、ティーチだ応用行動分析だとのと言っていましたが、イエス・キリトスを仰ぎ見る施設より「愛の鉄拳実施で信仰を注入する命令」を受けましたが、私は無視しましたよ。
知的障害者は証言能力ゼロですから、何やってもいいんでしょうか。
かつての僕は可愛いと思ったから、大変な世界だと知りつつ知的障害者福祉に飛び込んで行きました。だから、可愛いと思う存在を、制圧はすんだのに指導員側が気分を害したからぶん殴るということは、自動的に構える知的障害者たちを見ても学習が間違っているとしか思えず、できませんでした。
巧妙に隠せばばれないので裁かれません。協調して(有形力の行使)することが組織人としての行動なのでしょうが、私にはできませんでした。残念ながら、社会性や想像力が欠如していたので。
今の仕事でも、ダーティーで見ないほうが関わらないほうがいい部分もあるようですが、脳みその回転がスムーズでない私は、関わりたくありませんね。そういう難しいのは。
私はそういう、ゆるい人間なので、触法当事者の気持ちがよくわからないみたいです。注意欠陥の気のあるASD当事者は、のんびりしてて平和だと思いますよ。
やすさんは口は悪いけど(って私に言われたくないだろうね)、私が発見した法則に則ると、触法リスクのない発達障害者です。
そう思う理由はここに書かないことにします。そのうち発表しますね。
それにしても。。。
TEACCHとか応用行動分析って、鉄拳回避できるんじゃないの? なんちゃってTEACCHかしら。ああでも藤居学も体罰肯定みたいだし。わかんないや。
またお越しくださいませ。
ビヘイビア教の押し付けといいキリスト教原理主義の強制といい、あの時代は脳みその緩い私には大変な環境にいましたわ。