ニュース9を見て、琴奨菊発言に心底びっくりした。
昨日、この大関は新鋭相手に有利な立ち上がりをし
でも策を急いでころんと投げられたのだが
記者にこう答えたらしい。
稀勢の里の一番前に取るから、プレッシャー与えようとしていいところ見せようとして焦った。
よこしまな気持ちがあるとだめだなとか(大意)。
私はこれを聞き、琴奨菊大っ嫌いという気持ちがよみがえった。
こういうちっちゃいこと言うから嫌いなんだよ。
土俵下で控える稀勢の里は、ただ目の前の自分の取組に集中している。
一方的な(しかも大関に相応しくないせこい)ライバル意識をいまだに口に出す石臼大関の小ささが私はいやだ。
これで思い出すのが吉川徹なのだが(そこかよ)。
そもそもこれだけ嫌いになったのは、性格が悪い発言にうんざりしたからだ。
今や吉川医師は、「社会進出」をテーマにしたシンポジウムで突然「家事のできる引きこもり」発言をして話をぶったぎってしまうほどの引きこもり原理主義者だということがはっきりしたので
大地君の育てられ方に異議を唱えたのも、まあ不思議ではない。
単純に、方針が違う。
私が心底解せなくて、そして決定的に嫌いになったのは
「花風社に儲かってほしくない」という発言だ。
うちが儲かる儲からないで、彼に何か影響あるの?
その後私は、遅ればせながらだけど
世の中には自分の幸せだけじゃなく嫌いな他人の不幸をも望むせこい人たちがいることに気づき
(そして幸い、私のまわりにはそういう人があまりいないことに気づいた。あまり周囲にいなかったから気づくのが遅くなった)
吉川もその一人にしか過ぎないことに気づいたが
それでもこういう発言をする人間が嫌いだという事実は変わらない。
昨日の菊発言は、それを思い出させたのでした。
相撲部でも同じような意見の母仲間がいたので、吠えていたら
別の母仲間が
「大関に上がったとき『皆に愛される』ことを目標に掲げた人ですからさもありなんです。これがどんなに気持ちの悪いことかわかっていないんですねきっと」とおっしゃっていて
ああ、本当にそうだ、と思いました。
そして大きなヒントになりました。
このあたりに、ASDの人が社会適応するときの誤解と苦しさがあるかも、と思いました。
菊関は決して人気のあるお相撲さんではない。
地元以外ではね。
だから大関に上がったとき、『皆に愛される』大関を目指すといったとき
色々な意味でなんだかな〜と思ったものである。
人はないものねだりするんだな、とか。
人気がないのがよほど悔しかったのかな、とか。
でも一番の違和感は
「それって大関が目標とすること?」ぽかーんていうのが大きかったと思う。
ASDの人って、小さいときからなんとなくはぶかれてきた人が多いから
いざ自分の障害を知り、世の中適応しようとするとき
過剰に適応しようとして、疲れ果て、逆に世の中恨み系になっていく傾向が少なくとも一部の人に見られる。
私はこれもったいないなあと思ってみているんですけど
「皆に愛される」って、一つのキーワードかもしれませんよ。
つまりね
そんなこと目指さなくてもいい、っていう意味で。
それを目指すのは、「気持ち悪い」んですよ。
不自然なことだしね。
みんなに愛されなくたって生き抜いていけるんですよ。
私を見ればわかるでしょ。
自分のやるべき事を一生懸命信念に基づいてやっていれば
嫌う人がいても
支持してくれる人もたくさん出てきますよ。
人間関係っていうのはそういうものです。
顔色を伺って、自分を抑えて抑えて築くものではありません。
きっとこのあたりの認識の違いで
「人間が大好き」か「世の中しんどい」かに分かれるような気がする。
あ、それと余談だけど
「愛想がいい」と「人に可愛がられる」っていうのも別物みたいね。
就労関係の人と話したりして、そういう話が出る。
人に可愛がられる人って、ぶすっとしていても可愛がられるし
逆に愛想がよくしていても可愛がられない人もいる。
その違いがどこから出てくるかわからないんだけど
私の持っている仮説としては
親が「敬して遠ざける」ように「腫れ物に触る」ように育てている子は
社会も同じように接するような気がしますね。
これも観察途上ですが。
☆☆☆
きせのんは落ち着いていますわ。
私も(ウソ)。
昨日、この大関は新鋭相手に有利な立ち上がりをし
でも策を急いでころんと投げられたのだが
記者にこう答えたらしい。
稀勢の里の一番前に取るから、プレッシャー与えようとしていいところ見せようとして焦った。
よこしまな気持ちがあるとだめだなとか(大意)。
私はこれを聞き、琴奨菊大っ嫌いという気持ちがよみがえった。
こういうちっちゃいこと言うから嫌いなんだよ。
土俵下で控える稀勢の里は、ただ目の前の自分の取組に集中している。
一方的な(しかも大関に相応しくないせこい)ライバル意識をいまだに口に出す石臼大関の小ささが私はいやだ。
これで思い出すのが吉川徹なのだが(そこかよ)。
そもそもこれだけ嫌いになったのは、性格が悪い発言にうんざりしたからだ。
今や吉川医師は、「社会進出」をテーマにしたシンポジウムで突然「家事のできる引きこもり」発言をして話をぶったぎってしまうほどの引きこもり原理主義者だということがはっきりしたので
大地君の育てられ方に異議を唱えたのも、まあ不思議ではない。
単純に、方針が違う。
私が心底解せなくて、そして決定的に嫌いになったのは
「花風社に儲かってほしくない」という発言だ。
うちが儲かる儲からないで、彼に何か影響あるの?
その後私は、遅ればせながらだけど
世の中には自分の幸せだけじゃなく嫌いな他人の不幸をも望むせこい人たちがいることに気づき
(そして幸い、私のまわりにはそういう人があまりいないことに気づいた。あまり周囲にいなかったから気づくのが遅くなった)
吉川もその一人にしか過ぎないことに気づいたが
それでもこういう発言をする人間が嫌いだという事実は変わらない。
昨日の菊発言は、それを思い出させたのでした。
相撲部でも同じような意見の母仲間がいたので、吠えていたら
別の母仲間が
「大関に上がったとき『皆に愛される』ことを目標に掲げた人ですからさもありなんです。これがどんなに気持ちの悪いことかわかっていないんですねきっと」とおっしゃっていて
ああ、本当にそうだ、と思いました。
そして大きなヒントになりました。
このあたりに、ASDの人が社会適応するときの誤解と苦しさがあるかも、と思いました。
菊関は決して人気のあるお相撲さんではない。
地元以外ではね。
だから大関に上がったとき、『皆に愛される』大関を目指すといったとき
色々な意味でなんだかな〜と思ったものである。
人はないものねだりするんだな、とか。
人気がないのがよほど悔しかったのかな、とか。
でも一番の違和感は
「それって大関が目標とすること?」ぽかーんていうのが大きかったと思う。
ASDの人って、小さいときからなんとなくはぶかれてきた人が多いから
いざ自分の障害を知り、世の中適応しようとするとき
過剰に適応しようとして、疲れ果て、逆に世の中恨み系になっていく傾向が少なくとも一部の人に見られる。
私はこれもったいないなあと思ってみているんですけど
「皆に愛される」って、一つのキーワードかもしれませんよ。
つまりね
そんなこと目指さなくてもいい、っていう意味で。
それを目指すのは、「気持ち悪い」んですよ。
不自然なことだしね。
みんなに愛されなくたって生き抜いていけるんですよ。
私を見ればわかるでしょ。
自分のやるべき事を一生懸命信念に基づいてやっていれば
嫌う人がいても
支持してくれる人もたくさん出てきますよ。
人間関係っていうのはそういうものです。
顔色を伺って、自分を抑えて抑えて築くものではありません。
きっとこのあたりの認識の違いで
「人間が大好き」か「世の中しんどい」かに分かれるような気がする。
あ、それと余談だけど
「愛想がいい」と「人に可愛がられる」っていうのも別物みたいね。
就労関係の人と話したりして、そういう話が出る。
人に可愛がられる人って、ぶすっとしていても可愛がられるし
逆に愛想がよくしていても可愛がられない人もいる。
その違いがどこから出てくるかわからないんだけど
私の持っている仮説としては
親が「敬して遠ざける」ように「腫れ物に触る」ように育てている子は
社会も同じように接するような気がしますね。
これも観察途上ですが。
☆☆☆
きせのんは落ち着いていますわ。
私も(ウソ)。
私は親方が「自分は相撲を楽しいと思ったことは一度もなかった」と語ったのを聞いて、本当にすごい人だと思いました。
稀勢の里は北の湖の現役のころより華があり、人気があり、でも実力が到底追いついていません。
どういう横綱になっていくのか、楽しみに見守りたいと思っています。