さて、昨日はブログアクセスがとても多かったですね。
今日はやすさんからいただいたコメントを元に、続きを書きます。
=====
反骨精神は、育ててもらったことが私にはないので、育てるものなのかどうかわかりません。
ただ、その子の強みを一点突破で強化する試みは自己肯定観を高め、その子の人間存在を強くするものだと私は思います。
=====
私は、反骨精神は育てられる面もあるし、生得的に備わっている面もあると思います。
そしてASDの人でも、内なる反骨精神を抱いている人はいます。
やすさんも、大地君も、ちゅん平も。そして表現のかたちはちょっと違いますが、ニキさんの中にだって確実にそれはあって、ニキさんを引きこもりから社会へと前進させる力になったと見ていて思います。
もちろんこれほどの反骨精神を持ち合わせない人もいるでしょう。
けれども療育の世界で問題なのは、まるで反骨精神がないかのように子どもを扱って
結果としてその子が持っている強みを社会で生きていく力に結び付けられないところだと思います。
最初から弱者の面しか見ず、社会にその庇護を要求することを仕事にしている先生たちは
その子に備わっている反骨精神に目を向けることがありません。
私にはそれがもったいなく見えるのです。
=====
私にとって、「家事をする引きこもり」は噴飯ものの目標ですが、それをありがたがるご家庭もあるので、それはそれでそのご家庭やご本人の自由意思と自己責任で選択すればいいのだと思います。
それはリスクを取って極力社会でふつうに生きようとしている私たちにも言えることです。一次障害も二次障害も三次障害も、社会も医療も責任はとれません。自分でやりくりするほかありません。
困ったことに、医療サービスは家電製品を買うようにはなかなかいかない。発達障害を受け入れるかどうかとか(メニューのラインナップ)、どういう目標で治療するのか、とか、実際に医療を受けてみて、あとは自分で労力使って調べるしかないじゃないですか。現に、吉川徹医師によって明らかにされた治療の前提が、吉川徹医師個人のものなのか、名古屋大学病院児童精神科の共通認識なのか、名古屋大学発達臨床教室全体の認識なのか、確認が取れていません。
困ったものです。
=====
仰せのとおり、吉川医師の方針は、私と志を同じくする人々にとって、決して受け入れられるわけはありませんが
世の中には治らないこと、社会にひたすら庇護されることを望むご家庭もそれなりにあるようです。
そういう人たちが、名大病院に行って吉川医師を主治医にするのは、正しいことでしょう。
けれどもそういう道を望まない場合には
仰せの通り、それが吉川医師個人の方針にとどまるのかどうか、下調べをする必要があると思います。
発行物にはっきり明記されているのなら
名大病院に率直におききになるのが一番ではないでしょうか。
県で発行されたようなものなら、何度でも訂正の機会はあったはず。
それに載っているのなら、少なくとも吉川医師としては本音なのでしょう。
もっとも先日ここにも書いたように
同じ名古屋でも光君の主治医の先生などもいます。
私は具体的なお名前を存じ上げないし、予約状況なども知らないので、勝手に営業するつもりはありませんが
大地君と同じように虚弱で登校渋りだった光君が皆勤賞を取るまでの回復に至った「チーム光」の中にはこの先生の存在があったはずです。
とくに名古屋のような大都市において「支援のかたちは選択可能なのではないか」ということを伝えるために、あの記事をリンクしました。
こういう先生もいる一方、吉川医師の言動については、やすさんも明瞭に覚えていらっしゃるようですね。
=====
少なくとも、大の大人しかも社会的権威者が匿名で、障害を含む人生に果敢に向き合っている子供に対して、何と言ったか。決して忘れることはありません。
=====
今度のことを受けて、私の周囲の方々は
吉川医師は支援者として優しい顔をしながら、ものすごく根っこのところで差別意識のある人なのだろうということを話し合っていました。
それほど差別意識が違う方ならば、やすさんが明瞭に覚えていらっしゃる大地君にしたひどい発言を、もしかしたら自分ではひどい発言と思っていなかったのかもしれません。
私が恐ろしいのは、あの当時吉川の発言に同意して、リツイートしたりしていた臨床心理士もいたことです。
白くま母さんは怒ってその人をブロックしました。そうすると、なぜブロックされたのかその心理士はわからないようでした。
私は昨日思い出して、その心理士のついーとをたどってみました。
そして、人の心の動きに対して感覚が薄いというか、感情があまり濃くない人、という印象を受けました。
この人も悪気はなかったのだと思います。
ただ脳内に結ばれる人間像が平板な人に思えました。
そういう人とは「ひどい発言」の内容が違うのだと思います。その人はやすさんが見抜いた、吉川発言の残酷さを見抜けなかったのでしょう。
実はこの人は花風社の愛読者のようです。少なくとも神田橋先生の本が大好きだったようです。
ただこのブログや私のついーとは嫌いなようです。私が作る本と結びつかないようです。
時々そういう人がいますが、周囲の人たちなら知っているように、私は使い分けられるほど器用な人間ではなく、ニキさんにさえ「わかりやすい」と言われるほどわかりやすい人なので
人間が平板に見える人には見えないものがあるのだろうなあと思っています。
吉川医師は、保護者には一枚岩でいてほしかったようです。
それを分断させる、と私に腹を立ててました。
けれども「家事のできる引きこもり」が目標の当事者や保護者と「社会(みんな)の中で生きる。」ことが目標の当事者や保護者、この二者が分断しないほうが不自然ではないですか。
志があまりに違います。一緒にいることはむしろ社会全体の損失ではないでしょうか。
吉川医師は、神田橋先生のこともさんざん匿名でこき下ろしていましたが
それを私にぶつけるのは弱いものいじめ以外の何者でもありません。本当に卑怯です。
医師と医師ならば、神田橋先生に直接話し合えばいいのです。
書面にまとめれば、版元として転送する労くらいは取ります。神田橋先生がお答えになるかどうかは先生次第ですが。
まあよこはま発達クリニックのように、転送する切手も依頼の手紙も同封しないような礼儀知らずなら無視したでしょうけれども。
「患者が健康になったとき、どういう姿になるか」という未来を思い描きながら治療に当たる神田橋先生。
「目標は家事のできる引きこもり」と勝手に決める吉川医師。
同じ名古屋でも、大地君の本を紹介し、患者が描いた絵本の自費出版に協力する先生。
どの支援のかたちを選んでもいいのです。日本はそういう選択肢のある国です。
だからこそ
自閉っ子が反骨精神という宝を持っている場合には
それを否定しない支援者との出会いがあるといいなあと思います。

今日はやすさんからいただいたコメントを元に、続きを書きます。
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反骨精神は、育ててもらったことが私にはないので、育てるものなのかどうかわかりません。
ただ、その子の強みを一点突破で強化する試みは自己肯定観を高め、その子の人間存在を強くするものだと私は思います。
=====
私は、反骨精神は育てられる面もあるし、生得的に備わっている面もあると思います。
そしてASDの人でも、内なる反骨精神を抱いている人はいます。
やすさんも、大地君も、ちゅん平も。そして表現のかたちはちょっと違いますが、ニキさんの中にだって確実にそれはあって、ニキさんを引きこもりから社会へと前進させる力になったと見ていて思います。
もちろんこれほどの反骨精神を持ち合わせない人もいるでしょう。
けれども療育の世界で問題なのは、まるで反骨精神がないかのように子どもを扱って
結果としてその子が持っている強みを社会で生きていく力に結び付けられないところだと思います。
最初から弱者の面しか見ず、社会にその庇護を要求することを仕事にしている先生たちは
その子に備わっている反骨精神に目を向けることがありません。
私にはそれがもったいなく見えるのです。
=====
私にとって、「家事をする引きこもり」は噴飯ものの目標ですが、それをありがたがるご家庭もあるので、それはそれでそのご家庭やご本人の自由意思と自己責任で選択すればいいのだと思います。
それはリスクを取って極力社会でふつうに生きようとしている私たちにも言えることです。一次障害も二次障害も三次障害も、社会も医療も責任はとれません。自分でやりくりするほかありません。
困ったことに、医療サービスは家電製品を買うようにはなかなかいかない。発達障害を受け入れるかどうかとか(メニューのラインナップ)、どういう目標で治療するのか、とか、実際に医療を受けてみて、あとは自分で労力使って調べるしかないじゃないですか。現に、吉川徹医師によって明らかにされた治療の前提が、吉川徹医師個人のものなのか、名古屋大学病院児童精神科の共通認識なのか、名古屋大学発達臨床教室全体の認識なのか、確認が取れていません。
困ったものです。
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仰せのとおり、吉川医師の方針は、私と志を同じくする人々にとって、決して受け入れられるわけはありませんが
世の中には治らないこと、社会にひたすら庇護されることを望むご家庭もそれなりにあるようです。
そういう人たちが、名大病院に行って吉川医師を主治医にするのは、正しいことでしょう。
けれどもそういう道を望まない場合には
仰せの通り、それが吉川医師個人の方針にとどまるのかどうか、下調べをする必要があると思います。
発行物にはっきり明記されているのなら
名大病院に率直におききになるのが一番ではないでしょうか。
県で発行されたようなものなら、何度でも訂正の機会はあったはず。
それに載っているのなら、少なくとも吉川医師としては本音なのでしょう。
もっとも先日ここにも書いたように
同じ名古屋でも光君の主治医の先生などもいます。
私は具体的なお名前を存じ上げないし、予約状況なども知らないので、勝手に営業するつもりはありませんが
大地君と同じように虚弱で登校渋りだった光君が皆勤賞を取るまでの回復に至った「チーム光」の中にはこの先生の存在があったはずです。
とくに名古屋のような大都市において「支援のかたちは選択可能なのではないか」ということを伝えるために、あの記事をリンクしました。
こういう先生もいる一方、吉川医師の言動については、やすさんも明瞭に覚えていらっしゃるようですね。
=====
少なくとも、大の大人しかも社会的権威者が匿名で、障害を含む人生に果敢に向き合っている子供に対して、何と言ったか。決して忘れることはありません。
=====
今度のことを受けて、私の周囲の方々は
吉川医師は支援者として優しい顔をしながら、ものすごく根っこのところで差別意識のある人なのだろうということを話し合っていました。
それほど差別意識が違う方ならば、やすさんが明瞭に覚えていらっしゃる大地君にしたひどい発言を、もしかしたら自分ではひどい発言と思っていなかったのかもしれません。
私が恐ろしいのは、あの当時吉川の発言に同意して、リツイートしたりしていた臨床心理士もいたことです。
白くま母さんは怒ってその人をブロックしました。そうすると、なぜブロックされたのかその心理士はわからないようでした。
私は昨日思い出して、その心理士のついーとをたどってみました。
そして、人の心の動きに対して感覚が薄いというか、感情があまり濃くない人、という印象を受けました。
この人も悪気はなかったのだと思います。
ただ脳内に結ばれる人間像が平板な人に思えました。
そういう人とは「ひどい発言」の内容が違うのだと思います。その人はやすさんが見抜いた、吉川発言の残酷さを見抜けなかったのでしょう。
実はこの人は花風社の愛読者のようです。少なくとも神田橋先生の本が大好きだったようです。
ただこのブログや私のついーとは嫌いなようです。私が作る本と結びつかないようです。
時々そういう人がいますが、周囲の人たちなら知っているように、私は使い分けられるほど器用な人間ではなく、ニキさんにさえ「わかりやすい」と言われるほどわかりやすい人なので
人間が平板に見える人には見えないものがあるのだろうなあと思っています。
吉川医師は、保護者には一枚岩でいてほしかったようです。
それを分断させる、と私に腹を立ててました。
けれども「家事のできる引きこもり」が目標の当事者や保護者と「社会(みんな)の中で生きる。」ことが目標の当事者や保護者、この二者が分断しないほうが不自然ではないですか。
志があまりに違います。一緒にいることはむしろ社会全体の損失ではないでしょうか。
吉川医師は、神田橋先生のこともさんざん匿名でこき下ろしていましたが
それを私にぶつけるのは弱いものいじめ以外の何者でもありません。本当に卑怯です。
医師と医師ならば、神田橋先生に直接話し合えばいいのです。
書面にまとめれば、版元として転送する労くらいは取ります。神田橋先生がお答えになるかどうかは先生次第ですが。
まあよこはま発達クリニックのように、転送する切手も依頼の手紙も同封しないような礼儀知らずなら無視したでしょうけれども。
「患者が健康になったとき、どういう姿になるか」という未来を思い描きながら治療に当たる神田橋先生。
「目標は家事のできる引きこもり」と勝手に決める吉川医師。
同じ名古屋でも、大地君の本を紹介し、患者が描いた絵本の自費出版に協力する先生。
どの支援のかたちを選んでもいいのです。日本はそういう選択肢のある国です。
だからこそ
自閉っ子が反骨精神という宝を持っている場合には
それを否定しない支援者との出会いがあるといいなあと思います。
やがて例の対談集となります。当事者の就労への努力と苦闘が語られるなかでの、「発達障害者、特に自閉症スペクくトラム当事者の目標は、実は「家事をする引きこもり」なのですよ。後はすべてオプション」なる吉川徹先生の発言記録でした。
あの発言以降、一気にそういう方向に話が展開されてしまい、就労支援関係の福祉関係者が沈黙していた様子が議事録からは垣間見れました。その場にいた人々は一体、どういう心境だったのでしょうか。
何を目標にするべきか。それは医師が決めることではありません。医師はあくまでも技術者。神の手ではありません。
今週は初めから不愉快で極めてトラウマ的な文章を読みました。担当の先生方から、自分の思いをため込まないで、どこかで表現することを指導されていて、当事者間の研究でも、問題行動や病的現象を防ぐためにもモヤモヤした思いをためこままないこと、という解決案が出されていました。今回はそれが真実だと思ったので、シェアしました。
愛知県内では吉川徹先生は大変な権威なので、医療関係者は誰も反論には共感しません。ああ、この人たちは検査屋(心理士)、管理屋(福祉士、看護師)なのだと思いました。
私にとって、医師は基本的には「薬の出し屋。文章屋。場所の提供屋」です。
自分を取り巻く状況を冷めた目で見つつも、やはり腑にすとんと落ちる反応もあったので、それは嬉しかったです。
それにしても今日は朝から前職のことやら現職のことやらが映像つきで懐かしく思い出されました。暇なデイケアの日課の中でぼんやり楽しげに思い出していました。それは多分、神田橋先生の言うところの「良性のフラッシュバック」だと思いました。そのことを軽く新人の心理士に言ったところ、頼りにならない別の若い心理士がびっくりした形相でやってきて、休憩を命じられ、別に急ぐ作業もなかったので、ぼんやりと従うということがありました。
今からしてみれば、悪感情が伴わなくてもフラッシュバックは疲れてしまうのかもしれないので、すぐに止めるべき(良性のは自分の意思で中止できます。長沼先生の言うとおり)でしたし、そんなことを経験の少ない若者に語るべきではなかったと反省しました。
午後は頓服を服用し、家に着いたころにはへとへとになっていました。「なんで今日はこんなに疲れるの。フラッシュバックのせい?」と思っていたら、そういうば、吉川徹先生によるこれ以上にない刺激的な文章を読んでしまったことを思い出しました。
吉川先生に悪気はないと思います。スタッフも自分のタスクをこなしていただけです。疲れは私の勝手な「ゆがんだ認知」によるものです。
気にしすぎたかなと思います。こういう方には極力省エネで接しなければなりませんね。私まだ、抑うつ取れてません。休職中です。
「家事をする引きこもりによる、豪華オプション人生」達成のためにも、世の中を渡る修行しなくちゃね。
そうかあ。吉川は愛知県でそれほどメジャーなのですか。
その立場でそういう流れだとしたら
今後愛知県でシューカツしようとすすべての自閉っ子の敵ですね。
でもまあ、ギョーカイメジャーには多いことのようなので
吉川はたんにメジャーを目指しているのかも。
横浜の田舎者である私は、吉川にケンカ売られるまで大大大名古屋大学の事情には詳しくなかったんですけど、ていうか吉川徹の名前は、箱根のこっちでは聞いたことなかったんですえど、
まあ売られたケンカは買わないとねー。
またお越しくださいませ。
うちは発達障害というよりも自閉症なんですが、「家事をするひきこもり」が目標なら、高等部卒業、就職浪人1年目の今、すでに達成していると思っています。というか、家の中の仕事のほか、ひとりで簡単な買い物にも行きますし、ひとりで路線バスに乗って週2回、ある事業所に通って2時間程度のお手伝い的な仕事もさせてもらっていますので、ひきこもりにオプションもついています。
でも、この状態を目標と思ったことはありません。可能性がある限り、ほんとの仕事をさせたい。息子本人もちゃんとした仕事を見つけて、人の役に立つ仕事をしたがっていると思っています。「毎日一生懸命やっていれば、きっと雇ってくれる人が現れるよ」と声をかけると、がんばります。
高等部時代、学校からは「コミュニケーションが苦手なようだから、卒業したあとも、もう少し訓練したらどうですか」と言われましたが、最後まで一般就労の目標をおろさなかったので、結局就職浪人となりました。
しかしながら、もしも「家事のできるひきこもり」を学校が目標にしていたとすれば、それは十分達成されています。っていうか、その程度なら学校に通わなくても達成できています。
何が言いたいかというと、はじめから目標を低くしていたら、それ以上のものは達成できないということです。支援者が低い目標で安心していたら、それ以上を目指す努力をしなくなります。
また、個々の子どもの状況によって目標は、ちがってくるので、安易な一般化はすべきでないと思います。
ただ、その状態に達するまでのとりあえずの短期目標という位置づけであって最終目標ではない、というとらえ方もあるのかもしれません。
就労への努力と苦闘が語られる中で出てきたのであれば、まずは目標を一段下げて当事者の気持ちを軽くしようという意図もあるのかもしれません。
原文は読んでいないので、単純に思ったことを書かせていただきました。
知っているのは浅見さんのブログを見ている人だけ。
メジャー?なのは名古屋でだけなのでは?
ちなみに私は、花風社の自閉っ子シリーズにずっと励まされながら
わが子を育ててまいりました。
なので、ひとくくりに愛知県終了などと宣言されるのは非常に悲しく思います。
仰せの通りと思います。
かつて吉川医師は、私の書いたものを、自分では引用すら読みもせず、藤居の誤った解釈をうのみにして私を攻撃してきたことがあります。
今回はやすさんが引用をこちらに書いてくださっていますが、私も原文を入手するつもりです。
それと、目標。これは別エントリで展開するつもりですが、医療と縁がなく生きてきた私には、どうして発達障害の世界では医師が一人の人生の目標に口出しできるのか、不思議で仕方がありません。
医療というのは目的は治療であるはずです。どうして医師がペアレントメンターをやったり、ニートを推奨しているのか、さっぱりわかりません。
目標は各人・各家庭のもとです。
ちゅん平さんが本当に弱かった時代を知っている私としては、週五日作業所に通えるようになっただけで大満足していました。
そこから抜け出したいと強く思ったのはちゅん平さんです。そのとき周囲にできる支援とは「無理しなくて今のままでいいじゃない」という一言を言わないことだと思います。私はそういう風に接してきました。私の人生ではない。これからちゅん平さんは自分の人生を生きる権利があるからです。
たいしさんも応援しています。
またこちらにもお越しくださいませ。
自閉っ子シリーズをご愛読いただきありがとうございます。
そして愛知県終了、というタイトルが刺激的過ぎたのならごめんなさい。もちろん、本気ではありません。
だって愛知県には素晴らしい支援者もいるし、素晴らしい保護者もいる。大地君の修行仲間光君のママも本に登場してくださった賢ママさんも愛知県の方です。
私が心配したのは、そういう方たちの地道な努力が吉川発言でぶっ壊れるのではないかということです。
これはね、東京周辺でも見られる現象です。
たとえば就労支援セミナー。発達障害者を雇ってもいいかなと考えている企業を集めて、その前でギョーカイメジャーが堂々とおっしゃるわけですね。「自閉症の人に努力させてはいけません」とか。これで雇用が進むと思いますか?
それと同じような悪影響をローカルギョーカイメジャーらしき吉川医師が及ぼさないといいなあと思います。だってこの発言を真に受けた企業は自閉症の人を雇おうと思わないですよ。それはマリーさんのお子さんにも、賢ママさんのお子さんや光君にも迷惑なことでしょう。
影響が最小限だといいですね。名大が愛知県に迷惑かけてたら洒落にならないもの。
またお越しくださいませ。
東京にも、家族系&専門系団体で「家事をする引きこもり」を探求する動きがあります。それ以上は言えません。ソースは公開しないという当事者同士の約束です。
確か愛媛の笠先生だったか、発達障害支援法で発達障害者から企業社会から体よく排除されるのではないかと危惧しておられました。
働き続けられない存在を企業は雇用することができません。そういうレッテル貼りを「業界メジャー」がするのであれば、徹底的にプロテストするしかありません。
プロは自分の利益を最小のリスクで最大化するものです。そういう冷徹な資本主義の精神が根底にあると考えれば、「業界メジャー」の目指すものが見えて来ると思います。
賢い消費者になり、豪華オプション生活を豊かに過ごしたいものです。
各団体がどういう主義主張を持っているかは、組んでるイベントなんかを外からうすらぼんやりと見ているだけでなんとなくわかります。まあその構成員もおなかの中では様々なのだと思いますけどね。どっちつかずの状態をよしとする方も世の中には多いようなので。でもまあ、ありのまま系団体とありのまま系医療に別れを告げてぐぐっと二次障害を減らした例は「自閉っ子のための道徳入門」に書いてありますから、よかったら見てくださいませ皆さん。
それとうすらぼんやりとしているとどこからともなく就労支援やら特例子会社やら支援会社やらのいい評判や悪い評判が入ってきますが、まあどの世界でもあることですよね。
冷徹な資本主義の精神がギョーカイメジャーに宿っていたら、もっと事態はマシだったかも、と思います。ギョーカイの根底にあるのは「死んだふり」ではないでしょうかね。
豪華オプション生活、楽しんでください。誰にもそれを止める権利はありませんね。箱根のこっちでは聴いたことないローカルメジャー医でも。