さて、三時半に起きてサッカー見て、
今日一日はちゅん平さんの原稿です。
また泣いたところご紹介しますね。
ちゅん平さんの頑張る姿に涙することが多いですけど
ここはまた別の意味で泣きました。
お母様の親心にです。
=====
私の障害がまだ判明する前、原因不明の病と闘い、ひどい解離状態だった頃、私は母にこう言っていた。
「私はきっと一生一人きり。将来は施設に入って生きていくつもりです」
母の心にその言葉は刺さった。
まるで自分が私の人生を台無しにしてしまったかのように、母は己を責めていた。
暗い影を落とす私の将来が、母には不安だっただろう。
それが一転して、寄り添える相手が見つかった。
母はどんなにか安心したに違いない。
涙ながらに話す母を見て、私も胸が熱くなった。
=====
これは、ちゅん平さんに恋人ができたときのお母様の気持ち。
障害の診断もされないまま、重い精神症状に苦しみ、外の社会に出ることもできず
「私はきっと一生一人きり」と言っていた娘。
いつか先に旅立つであろう身として
どんなに苦しかったことでしょう。愛する娘が、生涯にわたって孤独に生きる姿を想像するのは。
でも恋人ができたことで
自分たちがいなくなっても
自分たちが守れなくなっても
誰かがそばにいてくれるかもしれない。
自分たちがいなくなっても
この子はひとりぼっちじゃないかもしれない。
そういう可能性が見えたことで、どんなにほっとしたでしょう。
その親心を思うと、私は涙が出ました。
親とはありがたいものだと思った。
「家事のできる引きこもり」に出会いのチャンスはありません。
家の中で家事をしているだけでは
親がいなくなったあと、寄り添ってくれる相手を見つけることはできません。
ちゅん平に出会いがあったのは
外の世界に出たからです。
自らの意思と周囲の支えの力で。
「目標は引きこもり」なんていうふざけたことを言う人が
周囲に一人もいなかったからです。
そういう意味で
ちゅん平は恵まれていました。

今日一日はちゅん平さんの原稿です。
また泣いたところご紹介しますね。
ちゅん平さんの頑張る姿に涙することが多いですけど
ここはまた別の意味で泣きました。
お母様の親心にです。
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私の障害がまだ判明する前、原因不明の病と闘い、ひどい解離状態だった頃、私は母にこう言っていた。
「私はきっと一生一人きり。将来は施設に入って生きていくつもりです」
母の心にその言葉は刺さった。
まるで自分が私の人生を台無しにしてしまったかのように、母は己を責めていた。
暗い影を落とす私の将来が、母には不安だっただろう。
それが一転して、寄り添える相手が見つかった。
母はどんなにか安心したに違いない。
涙ながらに話す母を見て、私も胸が熱くなった。
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これは、ちゅん平さんに恋人ができたときのお母様の気持ち。
障害の診断もされないまま、重い精神症状に苦しみ、外の社会に出ることもできず
「私はきっと一生一人きり」と言っていた娘。
いつか先に旅立つであろう身として
どんなに苦しかったことでしょう。愛する娘が、生涯にわたって孤独に生きる姿を想像するのは。
でも恋人ができたことで
自分たちがいなくなっても
自分たちが守れなくなっても
誰かがそばにいてくれるかもしれない。
自分たちがいなくなっても
この子はひとりぼっちじゃないかもしれない。
そういう可能性が見えたことで、どんなにほっとしたでしょう。
その親心を思うと、私は涙が出ました。
親とはありがたいものだと思った。
「家事のできる引きこもり」に出会いのチャンスはありません。
家の中で家事をしているだけでは
親がいなくなったあと、寄り添ってくれる相手を見つけることはできません。
ちゅん平に出会いがあったのは
外の世界に出たからです。
自らの意思と周囲の支えの力で。
「目標は引きこもり」なんていうふざけたことを言う人が
周囲に一人もいなかったからです。
そういう意味で
ちゅん平は恵まれていました。
浅見社長、おもしろすぎます。大爆笑です。
私も四半世紀前は引きこもりでしたが、それを継続することは生理的に困難でした。私には。
今日はリワーク体験者で職場復帰した人の公演がありました。その人を交えて何人かの同士で会話しました。大うつの人が公演者を含めふたり、社会性不安障害の人と私・アスペルガー障害を基盤とする抑うつ状態の者の対話でした。定型発達の人でもトラウマを持ち、ひどい悪さをするフラッシュバックのことが語られていました。悪いことは記憶に残るがいいことは忘れてしまうと嘆いておられました。
その点に関しては、楽しい思い出のフラッシュバックや懐かしいエピソードが映像で記憶されている非定型発達の私は幸せだと感じました。
私は医師に神の手を求めたり、当事者集団に権威を求めたりすることを自重していますが、私が最も頼りにしているのは、こういういろいろ微妙に違う当事者同士の人間関係です。統合失調症の仲間やパーソナリティー障害の仲間からも随分と自分治しのスキルを教えられました。
こういうプロの治り感覚。医者も心理士も誰も教えることはできません。プロの患者である私たち当事者ならでわのスキルです。
「家事をする引きこもり。オプション生活で人間関係の醍醐味を味わう。」でした。
ニキさん(あえて代表的にお名前を使って申し訳ないのですが)ほか皆さんは、本当に、完全に浅見さんに同意なさっているのでしょうか?
それらの皆さんは、他者への侮蔑発言の場に名まえを出されることを、喜んでおられるのでしょうか?
望んでおられるのでしょうか?
本が売れる、それなら良いと、達観しておられるのでしょうか?
ちゅん平さん、まだ若いのに、浅見さんの強烈な刷り込みではかわいそう。
利用されっぱなしではかわいそう。
ドンドンひとり立ちしてもらいたいものです。
恋愛、結婚、次のステージです。
私は今夜、やすさんのおっしゃる楽しいフラッシュバックを経験して、一歩仕事を進めました。
そのお話については、近々かきますね。
それと、医師の患者の人生に及ぼす権利についても思うところがあるので、書きます。
ツイッターを読んでいる方には、周知のことかもしれませんが。
またお越しくださいませ。
この尋常ならざる解釈間違いをみて、当事者じゃないかなと思ったので、誤学習訂正のためにあえて親切心でレスします。
完全に同意する個体は、人間社会でありえるでしょうかね?
そして私は事実の記述をしているだけで、別に誰かを侮蔑しているわけではありません。藤居や吉川もそのつもりだったんでしょうけど。
そして藤家さんのこれからを決めるのは、藤家さん自身であり
もちろん私が決めることでもなければ、名乗りもしない誰かさんが藤家さんに口出しする権利もないですね。
そのカンチガイ、セルフエスティームの異様な高さがいかにもなので
タイトルも名前も入れない無礼者にもかかわらず、あえてコメを公開しますね。
あなたのようなひねくれた大人に育たないこと
それがうちの本の存在意義です。
それに、はしくれといえど、作家としてのプライドはあります。
誰かの刷り込みで本を書くほど、素人ではありません。
私は私の意志で、自分から社会に寄り添う生き方を選んだのです。
浅見さんの考え方に異論があられるのでしょうが、それを唱えるのに誰かを引き合いに出さないでください。
この人はね、かわいそうなことに社会というものがまだわかっていないのです。
完全に同じ考えではない個体同士が、それでも志を同じくすることがあって、協力しあって一つの仕事を成し遂げていく、そういう経験がないのです。
こういう人にとって、一緒に働くということは洗脳を意味しているのかも。
そして社会が怖くなっているかも。
かわいそうですね。
ニキさんと私の関係性は、ちゅん平との関係性とはまたちょっと違う。それぞれ個性が違うから当たり前です。それが社会でしょ。
今度の本で、それがよくわかるんじゃないかな。
今二冊の本を同時に進めていて、私は幸せですよ。私に素晴らしい本を出させてくれてありがとう。
またお越しくださいませ。
同じ障害でもちゃんと結婚した人いたんですね。
ほっとしました
藤家さんはまだ交際中ですが、多くの当事者の方が結婚され、幸せな家庭を築かれていますよ。
「自閉っ子のための道徳入門」という最新刊をお読みいただければ、そういう体験談も出てきます。そして重度から軽度の方にわたって、愛と性についてベテラン支援者の方が教えてくださいます。
よかったらお手にとってみてください。
またお越しくださいませ。