昨日はちゅん平さんの原稿読みながら、TLで自然発生している吉川徹祭りを見物して、RTしていました。
「家事のできるひきこもり」を目指す気のない人たくさんで
一様にあきれていましたね。
「高齢化する親とひきこもりの子どもの悲惨さはたくさん目にしてきた。だからこそ頑張ろうと思ってきた。目指すのそこですか」
「社会に送り出す力のある支援者がほしい」
「色々な喜びを味わう人生を送ってほしい」
当然でしょ。
「うちの地域が障害児でも社会に送り出すという方針でよかった」
よかったですね。
愛知県はご愁傷様。
でもまあ、こういう男前のドクターも、たしか名古屋の先生。
いかに支援者を選ぶのが大事かということですわね。
大きな看板に吊られずに、先生の質を見極めるのが大事。
私の愛知県知り合いで名古屋大学病院に通っている人はいないし
横浜は地元だけどよこはま発達クリニックに通っている実在の人物って周囲にはいません。
そういうもんでしょ。
ととさんからもコメントいただいたけど
やっぱり社会に出たい人はそういう方針の支援を選んだほうがいいね。医療も含めて。
まあそれは、「自閉っ子のための道徳入門」の優ままさんのお話に詳しいわね。
さて、
「そういう方針の医師は、親亡きあと面倒みてくれるのかしら?」なんて疑問の声がありましたが
おそらく自分が面倒見る気はなく、社会が面倒見るべきだという方針なのでしょうねという結論になりました。
だったらね、医者やめて政治家になればいいのに。
医者は治すのが仕事。
制度作りは政治家の仕事でしょう。
で、昨日はその政治家の皆さんが増税につながる法案を通過させたわけですが
社会保障の問題は、いうまでもなくこの国で深刻です。
以前から私は「今障害のない人だって年は取るし、いつ障害者になるかもしれないのに云々」と言う人たちの意図がどこにあるかわかんなかった。
そんなの当たり前でしょ。
でも昨日、国会の流れを見ていてふいにわかったんですね。
どうしてそういう意見に違和感を感じるのか。
自分の理想とする国家観というのはあるよね。
私の場合それはもちろん高福祉高負担ではないです。
一億いる国では無理。
北欧のように、ひとつひとつの国が日本の都道府県と同じ規模だからやれることでしょう(スウェーデンと神奈川県はほぼ人口が一緒)。
逆に一億いるメリットっていうのはあって
それは「選択肢の豊かさ」であり、私はこの国の選択肢の豊かさを愛しているので
「高負担だけど医療費も教育費も無料」っていう社会はぴんとこないのね。
つまんないじゃん、そんな社会に生きるのは。
税金がそれなりのところに収まり、可処分所得が多くて、必要なサービスは自腹で買う自由があるような、そういう社会がいいと私は思っています。
で、そういう国家観というのは
自分が今現在どれだけ福祉に依存しているかには別に左右されないと思う。
だって左右されたらそれは政見というより利権の問題になるよね。
私は利権で投票行動を起こす気はないの。
だけどね、考えてみてください。
医療費をかけ、健常児一人当たりよりずっと予算のかかった特別支援教育を受けた子どもの理想の未来が
「家事のできるひきこもり」だと言い放つ支援者。
こういう支援者はね、明らかに増税要因ですよ。
将来にわたってね。
いや、増税の必要性はわかりますよ。
でもギョーカイ的にそういう風潮がドミナントである限り
さらなる増税が必要とされ、それでいて保障は削られるということは想像できるんですけど皆さんはどう?
それにしてもねえ、「家事のできるひきこもり」か。そこまでは想像していなかったわ。
最近明らかになったことといえば藤居学の体罰的犬的療育もそう。
それに加えて吉川徹の「家事のできるひきこもり」。
最初に「この人たち変」と感じた人の根本の哲学はやっぱり変ですね。
一ミリたりとも妥協しなくて本当によかったです。
私はやはり、今後も好き嫌いでつきあう相手を決めようと思います。
だってそれが一番当てになるもん。少なくとも私の場合。
いい年して全方位外交している人見ると
「それほど自分に自信がないのかな?」って思うんですけど
中立っていうのはまあ、ありえないからね。まともに社会人やっていれば。
私は家族が、寝たきりの高齢者や手のかかる障害のあるお子さんを抱えて大きな負担に苦しむのは間違いだと思います。
そういうときに手を差し伸べる国家であってほしい。
そして高齢者にせよ障害者にせよ、持っている能力は使うべきだと思います。
本人のためにも、周囲のためにも、社会のためにもね。
そしてそういう方針の支援者と仕事をします。
「そうじゃない人の意見を聴け。聴かないのは独断」ってよく言われますが
そういう人の意見を好んで発表する版元もありますので
そっちにいったらどうですか? というのが私の意見です。
別に花風社にこだわることないと思うんですけど。
私は人の言うことを聴かないのではないですよ。
猿烏賊の意見は聴かないけど。
神田橋先生、愛甲さん、瀧澤さん、ニキさん、ちゅん平、大地君、そのほか大勢の方たちのご意見を参考にしています。
中立好きな人いるけど
それほど自分のやってきたことに自信がないのかな? と不思議です。
中立は20代で終わらせよう。
大人がやることじゃないよ。
というわけで
増税につながる方針の支援者を、私は支持しませんわ。
版元として。
国民として。
過度な増税を望まない庶民の一人として。

「家事のできるひきこもり」を目指す気のない人たくさんで
一様にあきれていましたね。
「高齢化する親とひきこもりの子どもの悲惨さはたくさん目にしてきた。だからこそ頑張ろうと思ってきた。目指すのそこですか」
「社会に送り出す力のある支援者がほしい」
「色々な喜びを味わう人生を送ってほしい」
当然でしょ。
「うちの地域が障害児でも社会に送り出すという方針でよかった」
よかったですね。
愛知県はご愁傷様。
でもまあ、こういう男前のドクターも、たしか名古屋の先生。
いかに支援者を選ぶのが大事かということですわね。
大きな看板に吊られずに、先生の質を見極めるのが大事。
私の愛知県知り合いで名古屋大学病院に通っている人はいないし
横浜は地元だけどよこはま発達クリニックに通っている実在の人物って周囲にはいません。
そういうもんでしょ。
ととさんからもコメントいただいたけど
やっぱり社会に出たい人はそういう方針の支援を選んだほうがいいね。医療も含めて。
まあそれは、「自閉っ子のための道徳入門」の優ままさんのお話に詳しいわね。
さて、
「そういう方針の医師は、親亡きあと面倒みてくれるのかしら?」なんて疑問の声がありましたが
おそらく自分が面倒見る気はなく、社会が面倒見るべきだという方針なのでしょうねという結論になりました。
だったらね、医者やめて政治家になればいいのに。
医者は治すのが仕事。
制度作りは政治家の仕事でしょう。
で、昨日はその政治家の皆さんが増税につながる法案を通過させたわけですが
社会保障の問題は、いうまでもなくこの国で深刻です。
以前から私は「今障害のない人だって年は取るし、いつ障害者になるかもしれないのに云々」と言う人たちの意図がどこにあるかわかんなかった。
そんなの当たり前でしょ。
でも昨日、国会の流れを見ていてふいにわかったんですね。
どうしてそういう意見に違和感を感じるのか。
自分の理想とする国家観というのはあるよね。
私の場合それはもちろん高福祉高負担ではないです。
一億いる国では無理。
北欧のように、ひとつひとつの国が日本の都道府県と同じ規模だからやれることでしょう(スウェーデンと神奈川県はほぼ人口が一緒)。
逆に一億いるメリットっていうのはあって
それは「選択肢の豊かさ」であり、私はこの国の選択肢の豊かさを愛しているので
「高負担だけど医療費も教育費も無料」っていう社会はぴんとこないのね。
つまんないじゃん、そんな社会に生きるのは。
税金がそれなりのところに収まり、可処分所得が多くて、必要なサービスは自腹で買う自由があるような、そういう社会がいいと私は思っています。
で、そういう国家観というのは
自分が今現在どれだけ福祉に依存しているかには別に左右されないと思う。
だって左右されたらそれは政見というより利権の問題になるよね。
私は利権で投票行動を起こす気はないの。
だけどね、考えてみてください。
医療費をかけ、健常児一人当たりよりずっと予算のかかった特別支援教育を受けた子どもの理想の未来が
「家事のできるひきこもり」だと言い放つ支援者。
こういう支援者はね、明らかに増税要因ですよ。
将来にわたってね。
いや、増税の必要性はわかりますよ。
でもギョーカイ的にそういう風潮がドミナントである限り
さらなる増税が必要とされ、それでいて保障は削られるということは想像できるんですけど皆さんはどう?
それにしてもねえ、「家事のできるひきこもり」か。そこまでは想像していなかったわ。
最近明らかになったことといえば藤居学の体罰的犬的療育もそう。
それに加えて吉川徹の「家事のできるひきこもり」。
最初に「この人たち変」と感じた人の根本の哲学はやっぱり変ですね。
一ミリたりとも妥協しなくて本当によかったです。
私はやはり、今後も好き嫌いでつきあう相手を決めようと思います。
だってそれが一番当てになるもん。少なくとも私の場合。
いい年して全方位外交している人見ると
「それほど自分に自信がないのかな?」って思うんですけど
中立っていうのはまあ、ありえないからね。まともに社会人やっていれば。
私は家族が、寝たきりの高齢者や手のかかる障害のあるお子さんを抱えて大きな負担に苦しむのは間違いだと思います。
そういうときに手を差し伸べる国家であってほしい。
そして高齢者にせよ障害者にせよ、持っている能力は使うべきだと思います。
本人のためにも、周囲のためにも、社会のためにもね。
そしてそういう方針の支援者と仕事をします。
「そうじゃない人の意見を聴け。聴かないのは独断」ってよく言われますが
そういう人の意見を好んで発表する版元もありますので
そっちにいったらどうですか? というのが私の意見です。
別に花風社にこだわることないと思うんですけど。
私は人の言うことを聴かないのではないですよ。
猿烏賊の意見は聴かないけど。
神田橋先生、愛甲さん、瀧澤さん、ニキさん、ちゅん平、大地君、そのほか大勢の方たちのご意見を参考にしています。
中立好きな人いるけど
それほど自分のやってきたことに自信がないのかな? と不思議です。
中立は20代で終わらせよう。
大人がやることじゃないよ。
というわけで
増税につながる方針の支援者を、私は支持しませんわ。
版元として。
国民として。
過度な増税を望まない庶民の一人として。
中傷ばかり。
そしてさりげなく夫の自慢。
いつも自分の自慢ばかりそんなに認めて欲しい?
浅見さんてよっぽど自分に自信がないのね
自慢ばかり
自慢っていうのは出し手と受け手両方がいて初めて成り立つと思うんですよね。出し手としては事実を記述しているつもりでも、受け手のほうになんらかのコンプレックスがあったら自慢に聞こえるわけだしさ。
中傷ねえ。私としてはいいのかよこんな支援でという提言のつもりですけど、中傷と受け取るのなら、それを問題にすべきは吉川医師なり名大病院なりであって、第三者が口出ししてもあんまり意味がないんじゃないのかな。
それと認めてもらいたいねえ。少なくとも猿烏賊にもこういう頭の悪いコメントする人にも認めてもらいたい気持ちはないなあ。
自慢と自信がどう結びつくかはどっかの安っぽい大衆心理学書にてきとーなこと書いてあるんだろうし、私はそういうの読む気もしないから知らないけど、自分が自信がある人かどうかなんて考えない。時間の無駄でしょ。ただ楽しく生きてますよ。
以上です。気が済んだ? へんな米したひと。
この国にはお隣の大陸国家と違って言論の自由があるのだから、個性的で刺激的な出版社、大歓迎です。
自慢してはいけないのでしょうか。批判してはいけないのでしょうか。
少なくとも、大の大人しかも社会的権威者が匿名で、障害を含む人生に果敢に向き合っている子供に対して、何と言ったか。決して忘れることはありません。
トラウマチックなエピソードですが、それをも反骨精神を呼び起こす記憶にしたいものですね。
>トラウマチックなエピソードですが、それをも反 骨精神を呼び起こす記憶にしたいものですね。
そんなふうに考えられる成人当事者に、長男もなって欲しいと思いました。
発達障害は、発達します!!長男を育てて来ての、実感です。
=====
花風社の本、主治医から発達障害を告げられ後、数多く拝読しました。明白なメッセージを放つ、個性のはっきりした出版社だと感じています。
この国にはお隣の大陸国家と違って言論の自由があるのだから、個性的で刺激的な出版社、大歓迎です。
=====
ありがとうございます。
数ある発達障害の本の中でも花風社の本は別格、などという言葉もいただきますが
私は別に奇をてらって今の路線の本を出しているわけではありません。
私もかつて、ギョーカイメジャーの言うとおり、社会が自閉症を理解すればこの人たちは幸せになるのだと信じていました。
けれどもギョーカイメジャーのいう「理解」が必ずしもフェアではないこと
そのような理解をされてもこの人たちが社会の中で幸せに人と暮らせることはないことを悟りました。「わかってもらうことの限界」という題をつけて、「自閉っ子と未来への希望」に書いてあります。
なぜギョーカイメジャーに擦り寄らないかというと、もしかしたら自信があるのかもしれないし、もしかしたら自慢の夫(爆)がいるので、あまり損得を気にせずのびのびと仕事ができる環境にいるからかもしれません。いずれにせよ、この路線を気に入ってくださるお客様に支えられている幸せな身分です。
そういうわけなので、変なコメントをする人みたいな、卑屈な人には批判されることは、私が正しい道を行っているという証拠だと受け止めています。
吉川医師がかつて大地君に言ったひどい言葉、私は思いだすたびに胸が悪くなります。けれどもそれはまた、別の記事で展開します。
またお越しくださいませ。
反骨精神、いい言葉ですね。
私は色々思いだしたことがあったので、書こうと思います。
おからさんの息子さんにお会いしたことはありませんが、
ママがママなので、きっと根本がたくましい方だと想像します。短期間で身体も精神もぐっと強くなられたそうですね。
また楽しいお話聞かせてください。
ここにもどんどんお越しくださいませ。